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「なるたけ帝都から遠く離れた土地、誰も私たちのことを知らない土地で真新しい人生を始めようとふたりで話し合って辿り着いたのが、この地でした。この地以外も点々としたのですが、田舎の集落というものは余所者に対して排他的であることを私は身をもって感じました。しかし、この四藻木の集落の人たちは広い心を持った人が多く、余所者の私たちにも温かく接してくださいました。私たちは、病院が近くに無いこの地に病院を開業し、余所者の私たちを広い心で迎え入れてくださった人々に感謝の意を込めて『よもぎ医院』と名付けました。親の反対を押し切り駆け落ちなどという恩を仇で返すようなことをした問題児が病院を開業するだけのお金をどうやって工面したのか? と訊きたそうなお顔をしていらっしゃいますね、七菊様。お金は大学時代の親友である桜井昇に借りたのです。桜井の家は帝都から少し離れた『南一区』に代々つづく医家で裕福でした。桜井に駆け落ちのことを告げると彼は私にお金を貸してくれました。彼も私と同様、社会的弱者に寄り添う医者に成りたいという志を持っておりました。彼は私に『必ずお前が目指す医者に成れ! 道を誤ったら絶交だ!』と言って大金を貸してくれました。私は、桜井に足を向けて寝られないのです」
「よもぎ医院を開業した当初は中々患者さんが来てくれませんでした。病院になんてかかったことがない人たちが殆どでしたから、それは想定内でした。どこぞの大病院みたいに大金を請求されると思っていたのでしょうね。勿論、私たちにも生活がありますからタダでというわけにはいきませんが病院経営に支障をきたさない範囲内でお代を頂くようにしました。私たちはこの集落に住む人々と親交を深め、世間話などからその暮らしぶりを尋いて、病院にかかる必要のあるご家族がいないかを確認し、診る必要がありそうだなと思った方には、疑われる病気と治療内容、もしその病気だった場合に必要になる費用をお伝えするようにしました。こうして、よもぎ医院に少しずつ患者さんが来院されるようになり、噂はあっという間に伝わり、よもぎ医院はこの地に暮らす人々にとって必要不可欠な存在と成りました。貧しい人々を助けたいという志をもつ私にとっては嬉しいことでしたが、私は医者であると同時に一介の研究者でもありましたので、研究に費やす時間がとれなくなってしまったことには少し困っておりました。そこで、親友の桜井と連絡を取り、大学時代の友人で、うちで働いてくれる医師はいないかと尋いてみたところ『それならば俺が行こうか?』と買って出てくれました。桜井の頭の良さ、医師としての器はよく知っておりましたので、願ったり叶ったりでした。よもぎ医院は桜井のおかげで誕生した病院です。私は彼に、院長に成るべきなのは私ではなく君だと言いましたが彼は頑なに受け入れなかったので、彼にはこの病院の副院長に成ってもらうことで話は纏まりました。桜井と看護婦養成学校卒業の学歴を持つ彼の奥さんも一緒に働いてくれることになり、よもぎ医院は私の描いていた理想の病院へと少しずつ近付いておりました」
「私たち夫婦にはすでに『瑠璃』という名の女の子がおりましたが、桜井夫妻が、よもぎ医院の大切な仲間となってくれて間もなく、妻が男の子を無事出産いたしました。『鬼灯』と名付けました。裕福ではありませんでしたが、心優しく美しい妻と可愛い子どもたち、家族同然の同志たち、この病院を必要としてくださる患者さんたち……私ほどの幸せ者はこの世に存在するのだろうかと疑ってしまうくらいに私は忙しくも幸せな毎日を送っておりました。そして、この幸せは、私の命が尽きるまで続いていくのだと当たり前のことのように思っておりました。
ところが、不幸というものは、幸せ呆けする人間を地獄に堕としてやろうと虎視眈々と気配を消しながら近付いてくるものなのです。さあ、ここからが盛り上がるところですよ、七菊様」
「一緒に働いてくれる仲間たちも増えて、よもぎ医院の評判は近隣の集落にも広まり私どもを信頼してくださる患者さんも増え、私たちは医療の専門家としてより一層自己研鑽に励んでおりました。そんなある日、家族ぐるみで親しくしていた酒屋の主人が血相を変えて院内に飛び込んで来て『写真でしか見だごどがねような、ごっつい車がこっちに向がって走ってぎでら』と言うので、患者さんたちを刺激しないように、私は妻に外の様子を見に行ってほしいとお願いしました。数分後に戻って来た妻はとても困った顔をしていました。『どうした?』と尋くと妻は、『九賀野財閥』のご令嬢があなたに話があるから会わせるように言っていると答えました。正直、あの時、嫌な予感がいたしましたよ、七菊さん。ここまでお話ししてもまだ思い出せませんか? そのご様子から察するに、まだピンときていないようですね」
「よもぎ医院を開業した当初は中々患者さんが来てくれませんでした。病院になんてかかったことがない人たちが殆どでしたから、それは想定内でした。どこぞの大病院みたいに大金を請求されると思っていたのでしょうね。勿論、私たちにも生活がありますからタダでというわけにはいきませんが病院経営に支障をきたさない範囲内でお代を頂くようにしました。私たちはこの集落に住む人々と親交を深め、世間話などからその暮らしぶりを尋いて、病院にかかる必要のあるご家族がいないかを確認し、診る必要がありそうだなと思った方には、疑われる病気と治療内容、もしその病気だった場合に必要になる費用をお伝えするようにしました。こうして、よもぎ医院に少しずつ患者さんが来院されるようになり、噂はあっという間に伝わり、よもぎ医院はこの地に暮らす人々にとって必要不可欠な存在と成りました。貧しい人々を助けたいという志をもつ私にとっては嬉しいことでしたが、私は医者であると同時に一介の研究者でもありましたので、研究に費やす時間がとれなくなってしまったことには少し困っておりました。そこで、親友の桜井と連絡を取り、大学時代の友人で、うちで働いてくれる医師はいないかと尋いてみたところ『それならば俺が行こうか?』と買って出てくれました。桜井の頭の良さ、医師としての器はよく知っておりましたので、願ったり叶ったりでした。よもぎ医院は桜井のおかげで誕生した病院です。私は彼に、院長に成るべきなのは私ではなく君だと言いましたが彼は頑なに受け入れなかったので、彼にはこの病院の副院長に成ってもらうことで話は纏まりました。桜井と看護婦養成学校卒業の学歴を持つ彼の奥さんも一緒に働いてくれることになり、よもぎ医院は私の描いていた理想の病院へと少しずつ近付いておりました」
「私たち夫婦にはすでに『瑠璃』という名の女の子がおりましたが、桜井夫妻が、よもぎ医院の大切な仲間となってくれて間もなく、妻が男の子を無事出産いたしました。『鬼灯』と名付けました。裕福ではありませんでしたが、心優しく美しい妻と可愛い子どもたち、家族同然の同志たち、この病院を必要としてくださる患者さんたち……私ほどの幸せ者はこの世に存在するのだろうかと疑ってしまうくらいに私は忙しくも幸せな毎日を送っておりました。そして、この幸せは、私の命が尽きるまで続いていくのだと当たり前のことのように思っておりました。
ところが、不幸というものは、幸せ呆けする人間を地獄に堕としてやろうと虎視眈々と気配を消しながら近付いてくるものなのです。さあ、ここからが盛り上がるところですよ、七菊様」
「一緒に働いてくれる仲間たちも増えて、よもぎ医院の評判は近隣の集落にも広まり私どもを信頼してくださる患者さんも増え、私たちは医療の専門家としてより一層自己研鑽に励んでおりました。そんなある日、家族ぐるみで親しくしていた酒屋の主人が血相を変えて院内に飛び込んで来て『写真でしか見だごどがねような、ごっつい車がこっちに向がって走ってぎでら』と言うので、患者さんたちを刺激しないように、私は妻に外の様子を見に行ってほしいとお願いしました。数分後に戻って来た妻はとても困った顔をしていました。『どうした?』と尋くと妻は、『九賀野財閥』のご令嬢があなたに話があるから会わせるように言っていると答えました。正直、あの時、嫌な予感がいたしましたよ、七菊さん。ここまでお話ししてもまだ思い出せませんか? そのご様子から察するに、まだピンときていないようですね」
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