憂悶日和

喜島 塔

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 枕元の時計に視線を移す。午前四時二十分を少し過ぎたところだ。昨日、何時に眠りに就いたのかは分からないが、何時間眠ったかなんて大した問題じゃない。仕事に行って、大事な商談やらプレゼンをしなけりゃいけないわけじゃあないのだもの。私は、アザラシみたいに、ごろんっと横を向いて背中を丸め膝をお腹の方に寄せてお腹に挟んだ風船を割らないみたいな慎重さでもってゆっくりと身体を起こす。何度も、ぎっくり腰をやっているから、そういうふうにして起き上がる癖が身体に染みついているのだ。ノベルにごはんをあげなければならない。私は、まるで、ノベルの母親にでもなったかのような使命感に駆られる。築三十八年の木造の家は経年劣化で其処彼処の床が弛んで抜けそうだから、私は、特に傷みが酷い床板を避けて階下の台所へと向かう。古い建物だから階段の勾配もきつい。傘寿を迎えた父は、とうとうこの階段の上り下りが出来なくなった。一階の和室に眠る両親はまだまだ夢の中だ。私は、和室と階段の間の廊下を通り過ぎ、居間のドアを開け家の北側にある台所に到着し、ノベルのごはんの用意をする。仔猫が我が家にいるなんて未だに信じられないし実感が湧かない。ガタがきているとはいえ一軒家に違いないのだから猫を飼おうが犬を飼おうがご近所の皆さんにご迷惑さえお掛けしなけりゃ構わないだろうと思われるかも知れないが、何せ、両親、特に父が動物嫌いなものだから、私は何十年も猫を迎え入れることを大反対されてきたのだ。条件付きだが、猫を飼っていいと許可が下りたのは年初の頃だ。多分、私がこの家を出るのを止めるための譲歩案だろう。私は、うつ病の他に、潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんという難病を患っている。五年ほど前、私は、他県で友人とルームシェアしながら激務(と言っても、私が大学を卒業してから転々としてきたブラック企業と比べたらマシだったと記憶しているが)をしていた。虚弱体質の身体と絹豆腐よりも柔い精神は、もぬけの殻になった築百年の襤褸屋敷が風雨やら害虫やらに蝕まれていくように、あれよあれよという間に崩壊した。しつこい下腹部痛と血の塊のような血便で眩暈を起こし、パソコン画面の文字がゆらゆらと踊っていた。鳴り止まぬ電話の音は苛々を増幅させ、増々病状は悪化した。流石にまずいなと思い、予定していた通院日を繰り上げた日に、主治医の先生から緊急入院するよう言い渡された。それから一回は会社復帰したものの二週間あまりで病状は増悪ぞうあくし、約一年の間に四回入退院を繰り返した。非正規社員だった私が復職できる筈もなく、私は、それ以降仕事ができないでいる。社会と接触することを極力避け、自室に引き籠り、日がな一日、執筆をする。プロの小説家じゃないから印税なんて一円も入ってきやしない。三食メシ付きの悠々自適な生活。ああ、呑気なもんだ、羨ましいと思われるだろう。実際、私の従姉妹などは口に出して言う。「いつまで遊んでいるの? 親も年老いたんだから、働いて少しは親孝行しなよ」と。彼女たちは、適齢期に結婚をして子を産んだ真人間だ。子もすくすくと育って大きくなったから、良い学校に行かせ良いパートナーと出会い結婚し子を得て模範的な良い人生を送らせるためにパートの仕事をして家計を支えている真人間だ。私のような社会の塵芥のような人間とは天と地の差。ああ、すごい、偉い、素晴らしい! ブラーヴォー! いや違った。女性にはブラーヴァ! を使うんだったっけ。こんなこと知っていたところで何の役にも立たないけれどもね。そうそう、どうして、猫を迎え入れることができたのかという話の途中だったね。私の話は、理路整然としていなくてすぐに脱線する。支離滅裂だ。『理路整然』の反対語は『支離滅裂』。これは知っている。
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