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第六章
「道化師の朝の歌」1
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泉が死に、母の中で俺が消滅してから、一年以上の月日が流れていた。
俺は、祖母の庇護の元、一年以上もの長きに渡り怠惰なニート生活を送り、二十一歳に成っていた。
その後、母は、入退院を繰り返していた。あれほど献身的に母に付きっきりで看病していた父は、介護休業期間を使い切り職場復帰すると、秘書の若い女と男女の仲になり、母を置き去りにしてアメリカへと逃避行して行ってしまった。「愛」だ、「家族」だ、「夫婦」だ、「絆」だ、などと、反吐が出るような綺麗事を声高らかに叫んでみても、所詮こんなもんなんだな、と思った。そんな虚飾に満ちた現実に対し、俺は、今更幻滅したり、嘆いたりすることはなかった。そんなこと、とうの昔に知っていたのだから……
“正しい記憶”が戻らず、未だに現実を受け入れることができない母は、退院時も常に不安定な状態だったため、祖母は、世田谷区経堂にマンションを借り、退院時はそのマンションで母の世話をした。俺たち元家族が暮らしていた港区のマンションは、祖母と母だけで暮らすのには広過ぎたし、何より、母の記憶を錯綜させる引き鉄となる、たくさんの思い出が染み付いていたため、そこを使用するわけにはいかなかったのだ。しかし、無用の長物となった港区のマンションを、祖母は頑なに手放そうとはしなかった。俺がその理由を知るのはかなり後のこととなるのだが、祖母は、いつか、娘の“正しい記憶”が蘇り、辛い現実を受け止め、前に進むことができる日がきた時に、残された家族であのマンションで楽しく暮らしたいと強く願っていたそうだ。母は、夫に愛想を尽かされたという厳しい現実は、意外にも、取り乱すことなくすんなりと受け入れることができたので、以前の住居を手放したという母の嘘に対して疑問を持ったり反抗することはなかったそうだ。俺、つまり“谷村泉”は、パリのコンセルヴァトワールに留学中ということになっている。嘘に嘘を重ねた世界で生きていると、なんだか、何が真実で、何が偽りなのかが解らなくなってくる。谷村泉を演じ続けているうちに、俺は、もう、自分が「泉」であっても「舜」であっても、どうでも良くなってきた。
俺は、祖母の庇護の元、一年以上もの長きに渡り怠惰なニート生活を送り、二十一歳に成っていた。
その後、母は、入退院を繰り返していた。あれほど献身的に母に付きっきりで看病していた父は、介護休業期間を使い切り職場復帰すると、秘書の若い女と男女の仲になり、母を置き去りにしてアメリカへと逃避行して行ってしまった。「愛」だ、「家族」だ、「夫婦」だ、「絆」だ、などと、反吐が出るような綺麗事を声高らかに叫んでみても、所詮こんなもんなんだな、と思った。そんな虚飾に満ちた現実に対し、俺は、今更幻滅したり、嘆いたりすることはなかった。そんなこと、とうの昔に知っていたのだから……
“正しい記憶”が戻らず、未だに現実を受け入れることができない母は、退院時も常に不安定な状態だったため、祖母は、世田谷区経堂にマンションを借り、退院時はそのマンションで母の世話をした。俺たち元家族が暮らしていた港区のマンションは、祖母と母だけで暮らすのには広過ぎたし、何より、母の記憶を錯綜させる引き鉄となる、たくさんの思い出が染み付いていたため、そこを使用するわけにはいかなかったのだ。しかし、無用の長物となった港区のマンションを、祖母は頑なに手放そうとはしなかった。俺がその理由を知るのはかなり後のこととなるのだが、祖母は、いつか、娘の“正しい記憶”が蘇り、辛い現実を受け止め、前に進むことができる日がきた時に、残された家族であのマンションで楽しく暮らしたいと強く願っていたそうだ。母は、夫に愛想を尽かされたという厳しい現実は、意外にも、取り乱すことなくすんなりと受け入れることができたので、以前の住居を手放したという母の嘘に対して疑問を持ったり反抗することはなかったそうだ。俺、つまり“谷村泉”は、パリのコンセルヴァトワールに留学中ということになっている。嘘に嘘を重ねた世界で生きていると、なんだか、何が真実で、何が偽りなのかが解らなくなってくる。谷村泉を演じ続けているうちに、俺は、もう、自分が「泉」であっても「舜」であっても、どうでも良くなってきた。
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