片翼を失ったピアニスト

喜島 塔

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第八章

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 俺の指は南加子さんの通話ボタンを押していた。南加子さんの声を聞くまでの数十秒が、何十時間にも思えた。
「もしもし……」
 電話越しの南加子さんの声は涸れていた。
「南加子さん? もしかして泣いているの?」
「違うのよ。ちょっと今、悲しいDVDを観てて……年をとると涙脆くなってしまっていけないわね」
「何観てたの? 『フランダースの犬』?」
 南加子さんは笑った。勿論、それが作り笑いであることはバレバレだった。
「そうね……よくわかったわね。あの最終回は何度観ても悲しいわね」
「南加子さんは、嘘を吐くのが下手だね。本当は『フランダースの犬』なんて観ていないんでしょう?」
「バレちゃった? 本当はね、就職活動が上手くいってなくて悩んでいたのよ。私……今まで事務職なんてやったことないから……面接官にパソコンができないこと馬鹿にされちゃって……悔しいわね」
 ああ……これも嘘だ……本当に嘘を吐くのが下手な人だな。
「ねえ、南加子さん、これから、そっち行ってもいいかな? 俺、南加子さんに話さなきゃならないことがあるんだ」
「ええ……私も、舜くんに逢いたい、逢いたい……私も、舜くんに大事な話があるの……」
「わかった……今、従業員駐車場だから、三、四十分くらい後にはそっちに着くよ」
「ええ……気を付けて来てね」
 辺りを見渡すと、俺以外誰も居ないと思っていた駐車場にまだ一台、グレーの軽自動車が停まっているのが見えた。その車は、俺から逃げるようにして駐車場を後にした。運転席でハンドルを握っていたのは、間違いなく、北澤沙都だった。北澤は、唯一、マユリと仲が良かったスタッフだ。嫌な予感がした。愛美に、
 ――友達と飯食って帰る。遅くなるから先に寝てろ
 と、LINEをしてから南加子さんのアパートへと向かった。アウトレットモールの閉店時間の二十時を大幅に過ぎたバイパス道路は閑散としており、早番の日の朝の渋滞が嘘のようだった。アパートに到着したのは、二十一時三十分を少し過ぎた頃だった。車を降り、夜空を見上げると、東の空に「夏の大三角」が見えた。「こと座のベガ」と「わし座のアルタイル」。「ベガ」と「アルタイル」は、七夕伝説の「織り姫」と「彦星」で、この二つの星の間には「天の川」が流れている。そして、天の川の上を翼で橋渡しをするように「はくちょう座のデネブ」がベガとアルタイルを結び「夏の大三角」と呼ばれている。
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