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2章:御霊様
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「終わらせなきゃいけないからね」
なんて意味深な事を冬馬くんは呟きながら、蔵の奥で紙束を手早くビニール袋に詰めていた。
私はその姿をぼんやりと眺めながら、あんぱんをちまちまとかじっていた。コンビニで売っているような安い菓子パンの甘さが疲れた体の隅々まで行き渡るような気がした。
ゆっくりと味わうように食べていると、用事が済んだであろう冬馬くんがニコニコとした顔で蔵から出てきた。
「まだ食べてたのかい? ほら、行くよ」
軽い調子でそう言い残すと、彼は振り返りもせず歩き出した。私はまだ少しだけ座っていたかったが、重い身体を引きずるように立ち上がり、ゆっくりと彼の背を追った。
蔵から出ると、もう夜が明けきりそうな空だった。先ほどまで埃っぽい空気ばかりを吸っていたせいで、朝独特の清らかな空気が肺に満ちなんだか気持ち悪くなった。
それはまるで学生時代に試験前の徹夜をしたあとのような、重たい胃の不快感だった。
だが、その気持ち悪さとは裏腹に、村は驚くほどのどかで美しかった。
不気味だと思った至る所に飾られていた鏡はキラキラと反射し、畑の稲も青々と実っていた。
滝壺も月夜の下とはまるで雰囲気が変わり、朝日を反射して光をまとっており神がいるといわれるのも納得なほど美しかった。
ただそばにある社はドアが開けっぱなし、割れた鏡は雑に地面に投げられておりタチの悪い強盗にでもあったのかという状況であった。
強盗のように社を荒らした犯人である冬馬くんは、そんなこと露一つ感じていないようで社の前にある大きな石に腰を下ろし、タバコをぷかぷかと吸いはじめた。
私は立っているだけの体力もなくなっていたので、何も言わずに彼の隣に座った。煙が目に沁みた。こんな状況でもタバコをふかしているこの人は、どこまで不謹慎なのかと思った。
「そういえば、探し物って……見つけたんですか?」
「ああ」
冬馬くんは短く頷いた。どこか満足げだった。
「でも、それだけじゃ足りない。彼らは神を壊しただけじゃ納得しないはずだ」
「……え、でも。もう朝ですよ?どうするんですか?」
「そう。とっても困った」
彼はまた頷いて、どこか嬉しそうに笑った。その表情が癪に障って、私は思わず眉をしかめた。
「君ならどうする?どうしたら、自分の信じてたものが間違ってたと認められる?」
「……自分の考えよりも正しい説明を聞いた時……とか?」
「他には?」
「……それが嘘だって、目に見えてわかる証拠を突きつけられた時?」
「そだね、視覚から情報は強い。証拠ってやつだ」
彼はゆっくりと立ち上がった。煙草の吸殻をビニール袋の中に落とす。紙束に火がつくのが見えた。冬馬くんはそれをひょいと社に向かって放った。
「……え?」
「君が言ったんだ。これがなければ信仰の対象がなくなる、って。だから僕たちは共犯」
悪びれる様子もなく、冬馬くんは口の端を釣り上げた。私は何か言い返そうとしたが、喉が詰まって声にならなかった。
ぱち、という乾いた音。紙が焼け、木の柱に燃え移り、炎がゆらゆらと社を包んでいく。古い木造の建物は想像以上に簡単に燃えた。しめ縄が炭になり、屋根がみるみるうちに黒く崩れていく。
「……意外と、燃えるんですね」
ぽつり、と独り言のように口をついて出た。
暫くすると、複数の足音と、慌ただしい怒鳴り声がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。
冬馬くんもそれに気づいたようで、最後にもう一本吸っていたタバコを火に投げ入れると、私に向かって「さぁ、あと少し頑張ろうか」と言った。
今井さんをはじめとした村の男たち、割烹着姿の女性たち、ざっと十数人が火の手を目にして駆け寄ってきた。皆、呆然とした表情で炎を見つめ、次第に混乱の声が飛び交い始めた。
「水を! 水を持ってこい!」
「御霊様が……!」
「お前たち、何度こんなことをすれば気が済むんだ!」
怒号が飛ぶ。
彼らの混乱と怒りを前に、全くもって正しい反応だと思わず納得していると、冬馬くんに脇腹を軽く突かれた。それはわまるで今だ、と言われているようだった。
私はぐらつく足取りで立ち上がり、燃え盛る社を背にして、大きく息を吐いた後声を張り上げた。
「――御霊様を倒しました!」
その声に、ざわめいていた村人たちの動きが止まった。しんと静まり返る。滝の流れる音、鳥のさえずりだけが響く。
「夜が明けても、私たちは生きている。それが、証拠です」
もうやけっぱちだった。
限界の身体に鞭をうち、叫んだ声は見苦しいほどに掠れ上擦っていたと思う。
だがどにでもなれという気持ちの方が強かった。
なんて意味深な事を冬馬くんは呟きながら、蔵の奥で紙束を手早くビニール袋に詰めていた。
私はその姿をぼんやりと眺めながら、あんぱんをちまちまとかじっていた。コンビニで売っているような安い菓子パンの甘さが疲れた体の隅々まで行き渡るような気がした。
ゆっくりと味わうように食べていると、用事が済んだであろう冬馬くんがニコニコとした顔で蔵から出てきた。
「まだ食べてたのかい? ほら、行くよ」
軽い調子でそう言い残すと、彼は振り返りもせず歩き出した。私はまだ少しだけ座っていたかったが、重い身体を引きずるように立ち上がり、ゆっくりと彼の背を追った。
蔵から出ると、もう夜が明けきりそうな空だった。先ほどまで埃っぽい空気ばかりを吸っていたせいで、朝独特の清らかな空気が肺に満ちなんだか気持ち悪くなった。
それはまるで学生時代に試験前の徹夜をしたあとのような、重たい胃の不快感だった。
だが、その気持ち悪さとは裏腹に、村は驚くほどのどかで美しかった。
不気味だと思った至る所に飾られていた鏡はキラキラと反射し、畑の稲も青々と実っていた。
滝壺も月夜の下とはまるで雰囲気が変わり、朝日を反射して光をまとっており神がいるといわれるのも納得なほど美しかった。
ただそばにある社はドアが開けっぱなし、割れた鏡は雑に地面に投げられておりタチの悪い強盗にでもあったのかという状況であった。
強盗のように社を荒らした犯人である冬馬くんは、そんなこと露一つ感じていないようで社の前にある大きな石に腰を下ろし、タバコをぷかぷかと吸いはじめた。
私は立っているだけの体力もなくなっていたので、何も言わずに彼の隣に座った。煙が目に沁みた。こんな状況でもタバコをふかしているこの人は、どこまで不謹慎なのかと思った。
「そういえば、探し物って……見つけたんですか?」
「ああ」
冬馬くんは短く頷いた。どこか満足げだった。
「でも、それだけじゃ足りない。彼らは神を壊しただけじゃ納得しないはずだ」
「……え、でも。もう朝ですよ?どうするんですか?」
「そう。とっても困った」
彼はまた頷いて、どこか嬉しそうに笑った。その表情が癪に障って、私は思わず眉をしかめた。
「君ならどうする?どうしたら、自分の信じてたものが間違ってたと認められる?」
「……自分の考えよりも正しい説明を聞いた時……とか?」
「他には?」
「……それが嘘だって、目に見えてわかる証拠を突きつけられた時?」
「そだね、視覚から情報は強い。証拠ってやつだ」
彼はゆっくりと立ち上がった。煙草の吸殻をビニール袋の中に落とす。紙束に火がつくのが見えた。冬馬くんはそれをひょいと社に向かって放った。
「……え?」
「君が言ったんだ。これがなければ信仰の対象がなくなる、って。だから僕たちは共犯」
悪びれる様子もなく、冬馬くんは口の端を釣り上げた。私は何か言い返そうとしたが、喉が詰まって声にならなかった。
ぱち、という乾いた音。紙が焼け、木の柱に燃え移り、炎がゆらゆらと社を包んでいく。古い木造の建物は想像以上に簡単に燃えた。しめ縄が炭になり、屋根がみるみるうちに黒く崩れていく。
「……意外と、燃えるんですね」
ぽつり、と独り言のように口をついて出た。
暫くすると、複数の足音と、慌ただしい怒鳴り声がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。
冬馬くんもそれに気づいたようで、最後にもう一本吸っていたタバコを火に投げ入れると、私に向かって「さぁ、あと少し頑張ろうか」と言った。
今井さんをはじめとした村の男たち、割烹着姿の女性たち、ざっと十数人が火の手を目にして駆け寄ってきた。皆、呆然とした表情で炎を見つめ、次第に混乱の声が飛び交い始めた。
「水を! 水を持ってこい!」
「御霊様が……!」
「お前たち、何度こんなことをすれば気が済むんだ!」
怒号が飛ぶ。
彼らの混乱と怒りを前に、全くもって正しい反応だと思わず納得していると、冬馬くんに脇腹を軽く突かれた。それはわまるで今だ、と言われているようだった。
私はぐらつく足取りで立ち上がり、燃え盛る社を背にして、大きく息を吐いた後声を張り上げた。
「――御霊様を倒しました!」
その声に、ざわめいていた村人たちの動きが止まった。しんと静まり返る。滝の流れる音、鳥のさえずりだけが響く。
「夜が明けても、私たちは生きている。それが、証拠です」
もうやけっぱちだった。
限界の身体に鞭をうち、叫んだ声は見苦しいほどに掠れ上擦っていたと思う。
だがどにでもなれという気持ちの方が強かった。
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