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2章:御霊様
10(完)
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「倒した、だと? そんなわけがあるか!」
誰かの怒鳴り声が、夜明け前の空に鋭く響いた。
それを皮切りに、村人たちの間から次々と怒声が上がる。
「適当なこと言いやがって!」
「出鱈目を言うのも大概にしろッ!」
ごうごうと燃え盛る社の火音の向こうから、ざわついた声がこだまする。
そのどれもが、信じていたものを失った人間の、悲鳴のように聞こえた。
彼らの叫びがまとも過ぎて一瞬怯みそうになったが、私もここで引くわけにはいかない。手のひらに、握ったままの拳に、力を込める。
私は火に包まれた社を真っすぐに指差した。もう、やけっぱちだった。
「嘘じゃありません!あそこに封じられていたものは確かに強力な存在でした。苦戦はしましたが……ですが、倒しました!」
熱に目が潤み、喉がひりつく。
言葉がうまく続かず、少し息を飲んだ。
あんぱんなんぞ食べておらず、水をしっかり飲んでおくべきだった。この場にそぐわない後悔が生まれる。
「そして、そいつが倒れたとき、最後の力を振り絞って社を……あれを燃やしたんです!」
我ながら支離滅裂だ。何を言ってるのか、自分でもよくわからない。
それでも、出まかせを力いっぱいに言い切った。
呆然とする村人たちの顔と共に、冬馬くんが肩を震わせて笑いを堪えているのが見えた。
……ムカつく。
なんで私ばっかり、こんな役回りなんだ!
そんな気持ちで力一杯冬馬くんを睨みつけるとと、彼はいつものように肩をすくめた。そして、私の隣に一歩進み出る。
「もう終わったんだよ」
冬馬くんの声は静かだった。けれど、その響きは燃える社の爆ぜる音をも貫いて、はっきりと届いた。
「もう、あれを祀る必要もなくなった。あれは村を繁栄させていたかもしれない……でも、同時に皆さんの心に一滴の闇を垂らしていた。そんな儀式は、もう終わっていいんだ」
冬馬くんは今までに見たことのないほど柔らかい顔をして村人の顔一人一人を覗き込むかのように見回した。私からしたら非常に嘘くさいペテン師の顔に見えた。
そして高橋さんの顔を見つけると、更に笑みを深めて言葉を続けた。
「高橋さん。貴方には、もうわかっているはずです。――もう、“名捧げ”も、“花嫁”も、いりません」
高橋さんは先ほどまでどこか余裕のある笑みを浮かべていたが、その言葉に目を見開き、視線を地面にに落とした。だが、すぐに顔を上げた。その顔は、どこか苦しいような、何かから解放されたようなおだやかな顔だった。
「……ああ、終わったんだな。御霊様は……もういない。恐れることなんて、何一つ……ないんだ」
彼が口にしたその言葉は、村人たちにとって決定打だった。
先ほどまでの怒鳴り声はやみ、「高橋さんがそういうなら、御霊様は倒されたんだ……」と誰かがぼそりと呟いた。
その後は驚くほどあっけなく私たちは解放された。
……唖然とした。あまりにも調子が良すぎた。
帰りの車の中。まだ朝日は昇りきっておらず、車窓に映る山の端が、ぼんやりと明るさを帯びていた。
私は運転席から冬馬くんに話しかけた。
「……ねぇ、なんで高橋さん、あんなバレバレな嘘に乗ってくれたんですかね?」
彼はふっと鼻を鳴らして、窓の外を見ながら言った。
「さあね。……でも、彼も“御霊様”を壊したかったんだろう」
「……憎んでたってこと?」
「多分ね。これは僕の憶測だけど、さ――」
冬馬くんは、指を一本ずつ折るように、話を始めた。
「まずひとつ。御霊様の由来が書かれたあの古文書。あんなの、本来ならもっと奥に仕舞われているものだ。なのに、手前にあった。つまり、わりと最近、誰かが確認したってこと」
「……高橋さん?」
「そう。次に、君が見つけた“花嫁”の手紙。普通、こういうのって“神の花嫁”って名義で、祭りの時期にどこかへ籠められてさ。現代風に言えば“お籠もり”なんて言ってごまかして、隔離されて、慰み者になるんだ。名を捧げた男は“器”に、身を捧げた女は“依り代”に。……ようするに、村人の憂さ晴らしの口実さ」
言葉が冷たい。けれど、冬馬くんの口調は一切揺らがなかった。
「三つ目。庫裏に行ったけど、立派な仏壇があった。けどね、その隣に小さな位牌が置かれてたんだ。――“信女”も“大姉”も、尊称がなかった。つまり、地獄に落ちた扱いってこと。自死した人間の戒名だよ」
「……地獄に?」
「そう。けど、その前には花が供えられていてね。埃ひとつなかった。だから、こう考えた。――高橋の母は“神の花嫁”になって、結果、自死したんだ。彼はそれを恨んでいた。けど、家族としての情は、きっと捨てきれなかった」
私はハンドルを握ったまま前だけを見ていたから冬馬くんがどんな顔をしているかはわからなかった。だが彼の吐く小さな息だけは聞こえた。
「……まぁ全部、僕の推理だけどね。高橋が話に乗ってくれて、本当に助かったよ」
私は思わず、彼の方を向きそうになった。
「……全部、憶測だったんですか?」
「そうさ。違ってたら違ってたで――もう、社も鏡も記録もない。あいつらが何を信じようと、崇める対象はもう灰だ。どうあがいても、何も戻らない」
そうあっけらかんという彼に私は言葉を飲み込んだ。
この人は本当に倫理観が死んでいる。
でも、そうなると……
私は少し躊躇ったが我慢できず、どうしても聞きたかったことがあり口を開いた。
「じゃあ……なんで私、呼ばれたんですか?」
冬馬くんは白い歯を見せて笑った。
「決まってるじゃないか。面白いことは、分かち合わなきゃ」
その言葉に疲労とは違う疲れが、じわじわと頭を締めつけてくる。
私は黙ってため息をひとつついた。
「……とりあえず次はもう少し面白いことで呼んでください」
誰かの怒鳴り声が、夜明け前の空に鋭く響いた。
それを皮切りに、村人たちの間から次々と怒声が上がる。
「適当なこと言いやがって!」
「出鱈目を言うのも大概にしろッ!」
ごうごうと燃え盛る社の火音の向こうから、ざわついた声がこだまする。
そのどれもが、信じていたものを失った人間の、悲鳴のように聞こえた。
彼らの叫びがまとも過ぎて一瞬怯みそうになったが、私もここで引くわけにはいかない。手のひらに、握ったままの拳に、力を込める。
私は火に包まれた社を真っすぐに指差した。もう、やけっぱちだった。
「嘘じゃありません!あそこに封じられていたものは確かに強力な存在でした。苦戦はしましたが……ですが、倒しました!」
熱に目が潤み、喉がひりつく。
言葉がうまく続かず、少し息を飲んだ。
あんぱんなんぞ食べておらず、水をしっかり飲んでおくべきだった。この場にそぐわない後悔が生まれる。
「そして、そいつが倒れたとき、最後の力を振り絞って社を……あれを燃やしたんです!」
我ながら支離滅裂だ。何を言ってるのか、自分でもよくわからない。
それでも、出まかせを力いっぱいに言い切った。
呆然とする村人たちの顔と共に、冬馬くんが肩を震わせて笑いを堪えているのが見えた。
……ムカつく。
なんで私ばっかり、こんな役回りなんだ!
そんな気持ちで力一杯冬馬くんを睨みつけるとと、彼はいつものように肩をすくめた。そして、私の隣に一歩進み出る。
「もう終わったんだよ」
冬馬くんの声は静かだった。けれど、その響きは燃える社の爆ぜる音をも貫いて、はっきりと届いた。
「もう、あれを祀る必要もなくなった。あれは村を繁栄させていたかもしれない……でも、同時に皆さんの心に一滴の闇を垂らしていた。そんな儀式は、もう終わっていいんだ」
冬馬くんは今までに見たことのないほど柔らかい顔をして村人の顔一人一人を覗き込むかのように見回した。私からしたら非常に嘘くさいペテン師の顔に見えた。
そして高橋さんの顔を見つけると、更に笑みを深めて言葉を続けた。
「高橋さん。貴方には、もうわかっているはずです。――もう、“名捧げ”も、“花嫁”も、いりません」
高橋さんは先ほどまでどこか余裕のある笑みを浮かべていたが、その言葉に目を見開き、視線を地面にに落とした。だが、すぐに顔を上げた。その顔は、どこか苦しいような、何かから解放されたようなおだやかな顔だった。
「……ああ、終わったんだな。御霊様は……もういない。恐れることなんて、何一つ……ないんだ」
彼が口にしたその言葉は、村人たちにとって決定打だった。
先ほどまでの怒鳴り声はやみ、「高橋さんがそういうなら、御霊様は倒されたんだ……」と誰かがぼそりと呟いた。
その後は驚くほどあっけなく私たちは解放された。
……唖然とした。あまりにも調子が良すぎた。
帰りの車の中。まだ朝日は昇りきっておらず、車窓に映る山の端が、ぼんやりと明るさを帯びていた。
私は運転席から冬馬くんに話しかけた。
「……ねぇ、なんで高橋さん、あんなバレバレな嘘に乗ってくれたんですかね?」
彼はふっと鼻を鳴らして、窓の外を見ながら言った。
「さあね。……でも、彼も“御霊様”を壊したかったんだろう」
「……憎んでたってこと?」
「多分ね。これは僕の憶測だけど、さ――」
冬馬くんは、指を一本ずつ折るように、話を始めた。
「まずひとつ。御霊様の由来が書かれたあの古文書。あんなの、本来ならもっと奥に仕舞われているものだ。なのに、手前にあった。つまり、わりと最近、誰かが確認したってこと」
「……高橋さん?」
「そう。次に、君が見つけた“花嫁”の手紙。普通、こういうのって“神の花嫁”って名義で、祭りの時期にどこかへ籠められてさ。現代風に言えば“お籠もり”なんて言ってごまかして、隔離されて、慰み者になるんだ。名を捧げた男は“器”に、身を捧げた女は“依り代”に。……ようするに、村人の憂さ晴らしの口実さ」
言葉が冷たい。けれど、冬馬くんの口調は一切揺らがなかった。
「三つ目。庫裏に行ったけど、立派な仏壇があった。けどね、その隣に小さな位牌が置かれてたんだ。――“信女”も“大姉”も、尊称がなかった。つまり、地獄に落ちた扱いってこと。自死した人間の戒名だよ」
「……地獄に?」
「そう。けど、その前には花が供えられていてね。埃ひとつなかった。だから、こう考えた。――高橋の母は“神の花嫁”になって、結果、自死したんだ。彼はそれを恨んでいた。けど、家族としての情は、きっと捨てきれなかった」
私はハンドルを握ったまま前だけを見ていたから冬馬くんがどんな顔をしているかはわからなかった。だが彼の吐く小さな息だけは聞こえた。
「……まぁ全部、僕の推理だけどね。高橋が話に乗ってくれて、本当に助かったよ」
私は思わず、彼の方を向きそうになった。
「……全部、憶測だったんですか?」
「そうさ。違ってたら違ってたで――もう、社も鏡も記録もない。あいつらが何を信じようと、崇める対象はもう灰だ。どうあがいても、何も戻らない」
そうあっけらかんという彼に私は言葉を飲み込んだ。
この人は本当に倫理観が死んでいる。
でも、そうなると……
私は少し躊躇ったが我慢できず、どうしても聞きたかったことがあり口を開いた。
「じゃあ……なんで私、呼ばれたんですか?」
冬馬くんは白い歯を見せて笑った。
「決まってるじゃないか。面白いことは、分かち合わなきゃ」
その言葉に疲労とは違う疲れが、じわじわと頭を締めつけてくる。
私は黙ってため息をひとつついた。
「……とりあえず次はもう少し面白いことで呼んでください」
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