境界標の彼と終わらない怪異を

りく太

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3章:冥婚

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「婚約って……?」

指の先が震えた気がした。私は水滴がついたグラスを両手で包み込むように包み込んだ。手に平に感じる冷たさが、また可笑しな事に巻き込まれと言うこの情況が夢ではないことを伝えている。

「ん?知らないのかい?冥婚だよ、冥婚」

いやぁ祝い事だなぁ、なんて笑いながら冬馬くんは冥婚について説明しはじめた。

「冥婚ってのは、死者と結婚する儀式のことだよ。未婚のままで死んだ人間なんて極楽浄土にはいけないし、なんなら祟りになるなんて言われてるからねぇ。でもさぁ、もしそれが本当なら、この世の怪異は未婚者だらけさ」

人と深く付き合うことができない弱虫のくせに、よくもまぁ生者様に恨みを抱けるよねなんて馬鹿にしたような態度を隠そうともせずクスクスと続けた。

冬馬くんの言葉を聞きながら、笑いごとじゃないよ、と心の中で何度も繰り返していた。

死者と結婚。

そんなもの、怪談の中の話だと思っていた。でも私は確かに、誰かと盃を交わした。手に残るぬるい感触が、それが夢ではなかったことを何よりも物語っていた。

「……嫌だな」

声が、勝手に漏れた。

「でも、大それた事言ってますが、それって迷信的儀式ってことですよね」

私はそんな冬馬くんのふざけた態度にたいした事ない話なのでは?ただの夢の中での結婚式なだけだと思い込もうとした。

「まぁ大した事ないと言えばないかもね……死者と結婚と言っても結婚だからね。当たり前だけど、現実でも他の人間にうつつを抜かしちゃいけないよ。それは浮気だからね。」

冬馬くんはニコニコしてコーヒーカップの縁を撫でながら話し出す。

「あとはね、日常生活に霊的干渉が起きたり、呪いや悪夢見たりするくらいかな。死者と結婚したんだもん。君もあっち側に近づいてしまうのは道理だよね」

彼の説明を聞いて私は思わず頭を抱えそうになった。この人の常識を私に当てはめちゃいけなかったんだ……。

「それ全部、十分に大した事ですよ……」

こんな非現実的な話を聞いて、ありえると思ってしまうほど、私の頭も世間の常識からズレてきているようだった。
それもこれも全部冬馬くんのせいだ。

「で、今回はどうしたら助かるんですか?」

「え?やめちゃうの?結婚」

「え?逆に聞きますけど、冬馬くんなら死者と結婚するんですか?」

きょとんとした顔でこちらを見てくる冬馬くんを思わず強く睨んでしまった。
そんな私に冬馬くんはまたカラカラと笑った。

「冗談だよ。そんなに怒らないでくれよ」

「……笑えないですよ」

「そうだねぇ……婚約を取り消すのは難しいね。君、拾った封筒を無くしてしまったんだろ?」

私は小さく頷いた。
無くしてしまったと言うよりは、最初からそんなものを拾ったこと自体が夢のような気もする。

「それを燃やしてしまうか、他の人に押し付けたらどうにかなったかもしれないけど……まぁ、君の都合での婚約破棄だから代償はしっかり取られるだろうけどね」

「それって私の都合になるんですか……?」

「あぁなるとも。だって封筒を拾ったんだろ?それは同意したってことだよ。なのに急に結婚したくないなんて、彼からしたらショックな出来事だよ」

「ちょっと待って……冬馬くんは私と彼のどっちの肩を持つ気ですか」

「勿論、君だよ。藤宮くん」

嘘が本当か、彼は目を細めて笑った。
またあの嘘くさいピエロみたいな笑みだ。

「なら彼と結婚する前に現実で他の人と結婚しちゃえばどうなんです?」

彼は少し目を見開いて驚いた。

「君、結婚する予定でもあるのかい?」

「いや……ないですけど」

だと思ったよ、なんて声をあげて笑う冬馬くんにイラッとした。
私、そんなに恋愛に疎そうに見えるのか!
恥ずかしさと苛立ちが一気に押し寄せ、思わずコースターを投げつけたくなった。

ひとしきり彼は笑い、目尻の涙を拭った。
ムカつく男なのに、まつ毛についたきらりと光る雫を拭うその仕草が様になっていて私はさらに唇を尖らせてしまった。

「ごめん、ごめん。そんなに怒らないでくれ。君が結婚しなくてもいいように、まずは無くした封筒でも探しに行こうか。さぁ案内してくれよ」

彼はそう言って立ち上がった。
私は少し迷ったけど、机に置かれていた伝票を掴み会計に向かった。

これでコーヒー一杯分の働きはしてもらわないと。

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