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母親視点
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しおりを挟むついに子供が生まれた。男の子。長い間、私が待ち望んでいた瞬間だったがエリオットはその場にいない。
彼は新しい妻の妊娠を祝うために家族と一緒に盛大な宴を開いていた。私はそのことを知っていたが改めて心の中で痛みを感じずにはいられなかった。
その日、私は一人で出産を迎え、数人の使用人だけが私を支えてくれた。彼らは少しでも私を励まそうと優しく声をかけてくれた。
何人かは涙ぐんでいた。私が一人でいることを気の毒に思ってくれているのだろう。しかし、彼らの同情がどこか遠く感じられ、心は深く沈んでいった。
新しい命が私の腕の中で温かく感じられたとき、ひとしきり涙がこぼれた。
それは喜びの涙ではなく、どこか虚しさを感じる涙だった。エリオットの顔を思い浮かべながら私はこの子にどう向き合っていけばいいのかを考えた。
私が今、何をしても、この子を育てるために何をしてもエリオットには届かないという現実が重くのしかかっている。
その日の夜、家の中で新しい妻とエリオットがどれほど幸せそうに過ごしているのかを想像するたび、私はこの孤独をどう乗り越えればいいのか分からなくなった。
子供は確かに私の心を少しだけ癒してくれる。でもエリオットの不在が私の心に穴を開け続けていた。
娘に会いたい。
娘はもうこの世界にはいない。彼女は元の世界に帰ってしまった。そんな娘にもう二度と会うことはないのだと頭では分かっていても心がそれを受け入れられない。
あの日、娘が生まれたときのことを思い出す。あの小さな命が私たちの元にやってきた瞬間、平凡だった夫の顔に心からの喜びが浮かんでいた。
夫は特別な人間ではなかった。どこにでもいる、普通の男性だったけれど私と娘がいればそれだけで満たされているようなそんな人。
彼は娘を抱き上げた瞬間、目を潤ませながら「本当にありがとう」と言ってくれた。
普通の男性で、普通の父親で私たちを心から大切にしてくれるそんな夫。
あの小さな家庭がどれほど平穏で幸せだったか。あの頃の夫と娘と過ごしていた日々があまりにも懐かしく、切なく、そして無性に恋しく感じられる。
娘に会いたい。
あの頃のように彼女の笑顔を見て、抱きしめたくてたまらない。異世界に来てしまったとしても、あの子は私の一部であり、私の大切な宝物だったのに私が手放したの。
心の中で彼女の名前を呟く。その声が空虚に響くたび、私はまた胸が締め付けられるのを感じた。
この世界には彼女がいないことが、こんなにも辛いとは思わなかった。もう一度、あの子に会いたい。あの子の笑顔を、声を、もう一度だけ感じてみたい。
◆
数年後、気がつけば私は愛人から使用人になっていた。最初は耐えがたかったその変化も時間が経つにつれて自然に受け入れることができるようになった。
エリオットと若い妻の仲睦まじい様子を私は遠くから眺めることしかできなかった。
彼が私にくれた思い出や言葉が徐々に薄れていくような気がして、時折寂しく感じることもある。
洗濯物を干し終わると私は小さな息子の顔を思い浮かべた。あの子を育てることが私の今の生きがいになっている。
それでも時々、あの娘と過ごした日々が恋しくなる。彼女の笑顔や手をつないで歩いた時間が恋しい。
そう言えば……あの子がこの世界を離れる時に掛けた言葉は聞こえているのかな?
「幸せになって」
その言葉は今でも心の中で娘への願いとして残り続けているの。
完
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感想ありがとうございます。
エリオットや家の思惑についてのご推察はなるほどと思いながら拝読しました。
作中では明言していませんが、聖女という存在を個人ではなく価値として見ていた大人たちがいたこと、その空気感は確かに意識して書いています。
母親が恋に浮かれていた。という表現もまさにその通りで、娘との決定的なすれ違いが生まれて、あのラストになりました。
娘側の「母親は母親でいてほしかった。祈っていてほしかった」という感情に共感していただけたことも、とてもありがたいです。
ご感想ありがとうございます。
母子にとっては理不尽に召喚され、娘は母と国のために必死で役目を果たしたにも関わらず、報われないどころか関係を壊されて終わる。かなり救いのない構図でした。
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感想ありがとうございます。
親子を不幸にしてしまって申し訳ないです。