シークレットベイビー~エルフとダークエルフの狭間の子~【完結】

白滝春菊

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ダークエルフの誘惑編

敵か、救い手か

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 シリウスが騎士たちと共に戦地へ赴いたその日、ガレットの屋敷にはアステルとステラが滞在することになった。大きな木々が並ぶ庭を抜け、静かな空気に包まれた屋敷の玄関に立つとアステルは深く息を吸い込み、心を落ち着ける。

「カレンさん。しばらくの間ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「お願いします」

 アステルが少し緊張しながらそう言った後にステラも真似をしてお礼を言うとカレンは柔らかな微笑みを浮かべる。
 カレンは騎士団長ガレットの妻であり、アステルがこの国に来たばかりの頃から親身になって彼女を支えてくれた貴族の女性だ。

「全然いいのよ。しばらくとは言わずに、ずっといてもいいんだから」

 その時、カレンの視線が外に向かい、屋敷の敷地の向こうでダークエルフの女性が早足で横切る姿が見えた。

「あの人があの噂のダークエルフ?」
「ええ……でも様子がおかしい……」

 問いかけるカレン。アステルはその質問に小さく頷いた。ヴェラはシリウスがしばらくの間、国を出ていくのを知ったから追いかけたのだろうか?
 正直、不安であるがアステルにはどうすることもできないのでシリウスを信じることしかできないのが歯がゆかった。

「まあ、ここなら警備は厳重だしアステルたちに危害は及ばないわ」

 カレンの自信を持ったその言葉にアステルは少し安心した。

 アステルは、緊張した手を優しく握るステラの手をしっかりと握り返し、屋敷の中へと足を進めた。温かい陽射しが差し込む屋内に入ると、二人の心も少しずつ和らいでいく。新たな場所での生活が始まることを感じながら、彼女たちはこれからの運命に思いを馳せた。

 ◆

 数日後。屋敷の中でアステルとカレンは広々としたリビングにゆったりと座り、テーブルには香り高い紅茶と美味しそうな軽食が並んでいた。
 穏やかな光が窓から差し込み、最近まで続いていた緊迫した日々からは考えられないほどの静けさと安らぎが漂っている。

「それにしても、こうしてお茶を飲むのは久しぶりね」
「そうですね」

 カレンが柔らかい微笑みを浮かべるとアステルは小さく笑いながら頷く。薬師としての仕事が忙しくなるにつれ、カレンと時間が少なくなっていたことを思い返していた。

「……シリウスのいない生活は寂しい?」

 カレンが少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、さりげなく尋ねるとアステルの頰はほんのりと赤らみ、視線を落としながら小さな声で答える。

「はい。最近はずっと一緒にいたら……」
「そうよね。やっと会えたのにまた離ればなれなんて寂しいわよね」

 カレンは静かにカップをソーサーの上に戻した。アステルもカレンの言葉に共鳴し、目を伏せたまま寂しげに呟く。

「だからダークエルフの里に行かれるのは絶対に嫌なんですけど、どうしたら解決できるのかわからなくて」
「この国の法律は面倒だからね。直接手を出せば捕まることも、国外追放もできるけど、付きまとう程度ではそうもいかないから……そういえば、お弟子さんはどうなの?」

 アステルの言葉に空気が一瞬重くなる。カレンは微妙な沈黙を打破すべく、話題を変えることにした。

「ケルヴィンですか?ええ、彼は飲み込みが早いし、頭も良いからあっという間に上達していますよ」

 アステルは心配する気持ちを込めて話し続けた。現在は親の介護のためもしばらく仕事を休んでもらっているが、アステルとは別に薬の注文を受け、貸し与えた道具を使ってできる範囲の仕事をしているらしい。道具屋もすっかり彼に信頼を寄せている様子だ。

「ケルヴィンね。ステラが妹ほしいって頼んだら、馬鹿にしてくるんだよ」

 カレンの幼い息子と遊んでいたステラが自慢の三つ編みを引っ張られながら話に混ざってくる。

「妹?なんの話?」
「ああ、いえ、友達に妹がいて、ステラも欲しいって駄々こねちゃって」
「ケルヴィンにステラの妹、買ってきてってお願いしたの」
「買ってきてって言ったの?それは馬鹿にされちゃうわね!」

 ステラの純真なお願いを知ったカレンは驚きを隠せず笑いを漏らすとステラは頬を膨らませて無言になってしまう。

「でもアステルが頼めば、シリウスも聞いてくれるんじゃない?」
「そう簡単にはできないので……」

 カレンが冗談めかして言うとアステルは苦笑した。エルフのような長命種は子供は簡単には授かれない。ステラは奇跡的に授かったようなものなので気長に待ってほしいものだ。

「失礼いたします、カレン様」
「何か用かしら?」
 穏やかな午後の光がリビングに差し込み、静かな時間が流れていたその時、屋敷の扉に軽くノックが響いた。カレンが目を向けると、使用人の一人が入り口に立ち、緊張した様子で告げた。

「はい、実はケルヴィン様がアステル様とお話ししたいとおっしゃって、屋敷にお越しになりました」
「ケルヴィンが?」
「わざわざここまで来るってことは何か相談でもあるんじゃない?」

 カレンが使いの者に手を振り、ケルヴィンを通すように伝えると数分後、ケルヴィンがリビングの扉を静かに開け、少し緊張した面持ちで足を踏み入れた。

「失礼します」

 その声には、普段よりもどこか固さがあった。彼の背筋はきちんと伸びており、その表情には一瞬の戸惑いと、何か大切な用件を抱えているような重みが感じられた。少し不安げにアステルとカレンを見つめると、彼は小さく頭を下げた。

「ケルヴィン、どうしたの?」

 アステルは席を立ち、優しく声をかける。彼女の柔らかな瞳がケルヴィンに向けられると彼はしばらく言葉を探すように黙っていた。その沈黙がほんの少し長く感じられ、アステルは軽く息を吐き、静かに待った。

 「実は、アステルさんに相談したいことがあって……」

 やがて、ケルヴィンは重い口を開いた。彼の声には、どこか焦りが滲んでいる。

「……あのダークエルフの女性が……倒れたんです」
「ヴェラさんが?」

 ケルヴィンがぽつりと告げると、アステルは驚き、顔色を一瞬で変えた。
 その名前を口にした瞬間、胸の奥に何か冷たいものが走った。あのヴェラが? 倒れるだなんて。

「倒れたのは、国を出る前だって聞いています。ですが、最初に運ばれた病院での治療がうまくいかなくて、状態が悪化してしまった。回復魔法をかけても治らなかったんです」
「え?病院で回復魔法を掛けてもらえばなんとかなるから、大丈夫なんじゃないの?」

 カレンが不思議そうに尋ねると、アステルは静かに首を横に振った。

「ダークエルフには回復魔法があまり効かないんです」

 ダークエルフは強靭な肉体と回復力を持つ反面、回復魔法をほとんど受け付けないという弱点があった。そのことを、アステルはシリウスから聞いている。

「じゃあ、それで、ケルヴィンが薬を頼まれたと?」

 カレンが話の核心に触れると、ケルヴィンはしっかりと頷いた。彼の表情には、少しの不安と、何か決意したような強さが見える。

「実はアリサさんを介して依頼が来て、ダークエルフに合う薬を調合してほしいと頼まれたんです。薬師として少しでも役に立てればと思って、調合に取り組んだんですが……ダークエルフの体質に合う薬の調合は、まだ僕には難しくて……」

「ダークエルフの用の薬の作り方はまだ教えていなかったわね。特にヴェラさんのように体調が不安定だと、何が原因で症状が悪化するか予測するのも簡単ではないから、聞きに来て正解よ」

 アステルはケルヴィンをしっかりと見つめながらシリウスとのやり取りを思い出していた。
 体調が悪い時に買った薬を飲んだら余計に悪化したことが何度かあったのでそれ以来はほとんど自然治癒に任せている、と。
 なのでそんなシリウスの体に合う調合を作ってあげていたのだ。
 怪我を治す薬はほとんどの種族には効くが、病気を治すための薬は種族によって効き目が違う。ダークエルフのように特殊な体質を持つ者にはどんな薬が必要か、まだ分からないことが多い。

「だから、私も行くわ。カレンさんはステラのことをお願いします」

 アステルは決意を込めて言った。ケルヴィンを助けたい、そしてヴェラを救いたいという思いが胸の中で強く膨らんでいる。

「流石にそれはダメよ! シリウスに守るように頼まれているんだから!」

 カレンが驚きながら言うと、アステルは少し困ったように眉を寄せたが、ステラが一歩近づき、寂しそうに小さな声で呟いた。

「お母さんのお薬で治してあげないの? あの人、雨の中立ってて病気になったんだよね?」

 その言葉がアステルの心を揺さぶった。ステラは、ヴェラが危険な存在だとシリウスから何度も教えられていたにもかかわらず、なぜか彼女に対して悪い印象を抱いていないようだった。アステルは深く息を吐き、静かに言った。

「……そうね。このままじゃ手遅れになってもおかしくない」

 その言葉に、どこか切なさが含まれている。

「どうしてそこまでして助けようとするの? 敵なんでしょ」

 カレンの言葉は、アステルの胸を刺した。ヴェラは、確かにシリウスの敵だった。しかし、アステルが感じていたのは、単なる敵意ではなかった。何かが心の中で引っかかっていた。

 「あの人を見ていると思い出します……昔、シリウスを助けた時のことを」

 アステルは一度目を伏せ、静かに言葉を紡いだ。初めてシリウスと出会った日のこと。彼は行き倒れていて、弱りきっていた。そんなシリウスとヴェラの姿がどこか似ているように感じられたのだ。

「だから、助けたいと思って」

 アステルの声は穏やかでありながら、決意が込められている。

「せっかくシリウスが貴女達を守る為に身を削ってくれたのに」

 カレンの言葉は痛いほど正しい。しかし、アステルは引くことができなかった。

「本当にごめんなさい。それでも彼女を助けたいんです」

 深く頭を下げ、心から謝罪の気持ちを伝えるとカレンは少しの間黙って考え、そして重い息を吐き、ついに小さく頷いた。

「わかったわ。でも、絶対に一人で行動しないって約束して」
「はい! ありがとうございます!」

 アステルは顔を輝かせ、深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。
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