「お前が死ねばよかった」と言われた夜【新章スタート】

白滝春菊

文字の大きさ
95 / 127
再婚編

しおりを挟む
 当然だった。ヴィクトル様が戦場へ出てから、シオン様の重荷は比べものにならないほど増したのだ。
 今まではあの冷酷で容赦ないヴィクトル様が前に立って貴族たちの暴走を抑え、睨み、牽制していたそうだ。
 しかし、その盾がいなくなった瞬間、封じられていたあらゆる欲望が一気に噴き出した。

 各地の貴族は自領の拡大や特権の主張に走り、政治の場は混乱を極めていったそうだ。
 さらには長年仕えてきた側近のマクセル様でさえ、場の空気を読まぬ軽率な発言を繰り返し、燃えかけた火種にさらに油を注いでしまう始末だった。
 その一言一言に煽りたてられた貴族たちは感情を昂らせ、連日、同じ国の未来を語るはずの者たちが互いを牽制し、争いと駆け引きだけが積み重なっていったとシオン様が嘆いていたのを覚えている。

「これから……ヴィクトル様の屋敷へ向かいます」
「そうか。やっと、だな」

 ほんのわずかに柔らかくなった声。それでも、その奥にある重たい疲労感は消えない。

「あの男は不器用だ。苦労も多いだろうが頼む」
「ありがとうございます」
「困ったら何でも言ってくれ。ここに戻ってきてもいいんだぞ?」
「……はい」

 深く一礼し、私は静かに背を向けた。シオン様の視線が最後まで私を見送っているのを肌で感じる。扉の向こうに出るその瞬間まで、背筋を緩めなかった。

 ◆

 ヴィクトル様が待つ場所へ向かって廊下を急いでいたその時、前方から誰かの足音が聞こえた。
 瞬間、空気が張り詰める。その人の姿がはっきりと見えた瞬間、私はその場で立ち止まり、自然と背筋が伸びる。

 優美なドレスに絢爛な髪飾りを揺らしながら現れたのは現皇后のセラフィーナ様。
 セラフィーナ様。シオン様が迎えた新しい妃は確かに美しく、皇后として外向きには見栄えが良かった。
 だがその実態は贅沢を好み、無駄遣いも激しく、弁えない浪費家だそうだ。

 そして、セラフィーナ様とリディア様の仲は悪くて、顔を合わせるたびに小さな衝突が絶えず、礼儀の皮を被った言葉の応酬は常に周囲を凍りつかせていた。
 セラフィーナ様は特にリディア様に対してはどこか刺々しい。まるでその存在そのものが気に食わないとでも言うようにわざと挑発するような態度を見せることもあった。

「まあ……どこかで見た顔だと思ったら、リディア姫の侍女ではありませんか」

 それは挨拶でも礼儀でもなく、まるで偶然出くわした何か面倒な存在を確認するような物言いだった。
 私に対してもセラフィーナ様は嫌味を口にすることがあった。おそらく、私がリディア様のそばに仕えているから、そう推測している。
 でも、それだけでは説明できないような気配もどこかに感じていた。
 まるで私の知らぬところに、もっと別の理由が潜んでいるかのような……

「セラフィーナ様、本日はお目にかかれて光栄です。本日をもって王城を離れることになりましたのでご挨拶を……」

 私がそう言うとセラフィーナ様は扇をゆるやかに開き、口元を隠すようにして笑う。

「まあ、それはそれは。ずいぶんと潔いことですわね。けれど、よろしいの? ヴィクトル様とうまくやっていけるとでもお思いで?」

 まるで心の内を覗き込むようにセラフィーナ様の瞳が細められた。その声音には甘さも慈しみもなく、嘲りが滲んでいる。

「一度は駄目になってしまったでしょう。結局は……ねぇ?」

 セラフィーナ様は隣に控えていたメイドの方へとちらりと目を向ける。突然振られたメイドは一瞬ぎょっとしたように目を瞬かせ、すぐに作り笑いを浮かべて小さく頭を下げた。

「そ、そうでございますね。ええ、その……なかなか難しいものかと」
「ほら、ご覧なさい。皆そう思っているのよ? お二人のことは王城中の噂だもの。関係は壊れてしまえばそう簡単には元通りにならないわ。それにあの方には公爵家にふさわしい伴侶がいるべきだと、皆思っているの」

 そんなことを言われても私だって、ヴィクトル様がどうして私を妻に選んだのか、本当の理由がわからないままだ。一目惚れだったとか曖昧な返答しか聞いたことがない。それでも私は視線を逸らさず、丁寧に姿勢を正すしかなかった。

「ヴィクトル様と私は互いに過去の過ちを悔い、やり直すと決めました。どうか、そのことをお笑いにならないでください」
「お笑いになさらないで、ですって?」

 セラフィーナ様の扇を握るその指がわずかに震えていた。怒りを押し殺すように真紅の唇がきゅっと歪む。

「わたくしはただ心配して差し上げただけですのよ!」

 彼女の白く細い手が私の頬めがけて振り上げられた瞬間、反射的に目を閉じる。セラフィーナ様は少しでも不快を感じれば格下の人間によく手を上げるのだ。
 私も何度かその被害を受けており、今回もきっと同じ運命を辿るのだろうと、覚悟をして、痛みに備え、歯を食いしばる。

 しかし。いつまで経っても、衝撃は来なかった。代わりに耳の奥で小さく「ぱしっ」という乾いた音が弾ける。
しおりを挟む
感想 324

あなたにおすすめの小説

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

【完結】貴方をお慕いしておりました。婚約を解消してください。

暮田呉子
恋愛
公爵家の次男であるエルドは、伯爵家の次女リアーナと婚約していた。 リアーナは何かとエルドを苛立たせ、ある日「二度と顔を見せるな」と言ってしまった。 その翌日、二人の婚約は解消されることになった。 急な展開に困惑したエルドはリアーナに会おうとするが……。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした

凛蓮月
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】 いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。 婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。 貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。 例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。 私は貴方が生きてさえいれば それで良いと思っていたのです──。 【早速のホトラン入りありがとうございます!】 ※作者の脳内異世界のお話です。 ※小説家になろうにも同時掲載しています。 ※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)

処理中です...