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再婚編
42
ヴィクトル様の体重がゆっくりと私にかかり、汗に濡れた胸が背中に密着していた。荒い息遣いが耳元で混じり合い、部屋に静けさが戻ってくる。
「……っ……はぁ……」
私はシーツを握ったまま、力なく身体を震わせていた。何度も達した余韻がまだ甘く痺れるように全身を包んでいる。お腹の奥は熱いもので満たされ、繋がった部分からはとろりと白い液体が流れ落ち、その感触が恥ずかしくて、私はそっと目を閉じた。
ヴィクトル様はしばらく動かず、ただ私の背中に顔を埋めていたが、ゆっくりと身体を離し、私を仰向けに返してくれた。
暗闇の中でも青い瞳がはっきりと見えた。後悔のような、苦しげな影が浮かんでいた。
「すまない」
ヴィクトル様は私の頬に触れ、汗で濡れた髪を優しくかき上げた。いつもならもっと穏やかに抱きしめてくれるのに今夜は違った。距離を測るような、ためらいを含んだ触れ方だった。
「俺は……お前に……」
彼は私の身体を確かめるように視線を落とした。
首筋から鎖骨、胸の谷間、そして腹部にかけて知らないうちに鮮やかな赤い印がいくつも散らばっていた。
その仕草はまるで自分がつけた傷跡を数えているようで、なんだか痛々しかった。
「許してくれとは言わない。ただ……」
言葉を詰まらせ、ヴィクトル様は目を伏せた。
ああ、この空気。重く、居心地が悪くて、息が詰まる。私はそれが苦手だった。
「……ヴィクトル様……ワインの匂いが、酷いです」
私は息を整えながら、ゆっくりと彼の頬に手を伸ばした。熱くて、汗で湿っている。
「……そうか」
ヴィクトル様は私を抱き起こし、腕を回して支えてくれた。身体がまだ震えていて、立つのもままならない私を察してそっと抱き上げてくれる。まるで壊れ物を扱うような、優しい手つきで。
「風呂を用意させる」
その問いかけに私は小さく頷き、ヴィクトル様の胸に顔を埋めると、ワインと汗と、熱い体温の匂いが混じり合っていた。
……お湯に浸かれば、この熱も、痛みも、甘い痺れも、少しずつ穏やかに溶けていくのかもしれない。
「……ありがとうございます。ヴィクトル様」
そう呟くと、ヴィクトル様は無言で私を強く抱きしめた。その腕はさっきまでの激しさとは違う、ただ私を守るような力強さに満ちているような気がした。
◆
温かな湯気が立ち込め、揺れる水面には柔らかな光を反射させている。
ヴィクトル様は私を抱いたまま、広々とした湯船にゆっくりと身を沈め、彼の胸に背中を預ける形で抱きしめられながら、私はぼんやりとお湯を見つめていた。
長くて赤い髪がお湯に漬かってゆらゆらと鮮やかに広がっている。その髪が私の肩に触れるたび、どこか幻想的な心地がした。
ヴィクトル様は黙ったまま私の肌に残された吸い跡を、大きな指の腹でそっとなぞっている。
首筋、鎖骨、胸元……彼はその一つ一つを何度も撫でている。
「……ヴィクトル様」
「ん……?」
沈黙に耐えかねて、私は重い唇をゆっくりと開いた。
「やっぱり……怒っていましたか?」
私の小さな問いに吸い跡を撫でていたヴィクトル様の指がぴたりと止まった。背中越しに彼が息を呑んだのが伝わってくる。
「何故、そう思う?」
「だって、あんなに……激しかったから。私が来なかったことを……本当はお怒りだったんじゃないかって……」
「……怒ってなどいない。たまたま、少し酒が回っていただけだ……加減を誤った。それだけのことだ」
「たまたま……?」
私はヴィクトル様に背を向けたまま、お湯の中で拳をぎゅっと握りしめた。そんな言葉で片付けられるはずがない。あの時の、肌を噛み切らんばかりの激しさと、喉を震わせるような切実な吐息。あれは本当にお酒のせいなのか。
「嘘です……言ってください、本当のことを」
私は重い身体を引きずるようにして、ヴィクトル様の腕の中から逃れ、お湯の中で振り返ると視界が潤んで、彼の美しい顔と赤い髪がぼやけて見える。
「ヴィクトル様は、いつもそうです……隠しごとばかりじゃないですか」
この人は大切なことをあまり言葉にしてくれない。何を思っていたのか。本当は何に傷ついたのか。あんなに激しく、壊すほどに私を求めておきながら、終わってしまえばまた仮面を被って、私を遠ざけようとする。
「隠さないでください……私のことが、そんなに信じられないんですか?」
私の首筋や胸元に残った、この痛々しいほどの赤い印。それは乱暴さの証ではなく、むしろ抑えきれなかった感情の名残のように思えた。それなのにヴィクトル様はそれをなかったことにしようとしている。
「ごまかさないで……ほしいです」
ヴィクトル様は一度、長く、重いため息をついた。その吐息には諦めに似た響きがあった。
「お前は……あの娘のことばかりだ。夜の誘いさえ、あの娘を理由に断っただろう……今のお前の視線の先にいるのは俺ではない……」
それはあまりにも子供じみた残酷なほど切実な嫉妬だった。冷徹な公爵が一人の女にこれほどまで惨めで独占的な感情を抱いていたなんて。本当なら、絶対に言いたくなかったに違いない。言葉にするたびに彼のプライドが削り取られていくのがその苦しげな瞳から伝わってくる。
「……っ……すみません、ヴィクトル様……」
私はお湯の中でヴィクトル様の腕にすがり付くように触れた。
「マリィが心配で……あの子が屋敷に慣れるまで、支えてあげたいと思って……でも、私のせいでヴィクトル様のことを疎かにしてしまいました……ごめんなさい……」
彼は怒っていたのではない。私の心が自分以外の誰かに向いていることに傷ついていたのだ。
あの激しい跡も、乱暴なまでの情事も「お前は俺のものだ」と、肌に、そして心に、刻みつけずにはいられなかった。彼にとっての愛情表現だったのだと気づいてしまった。
「謝るな……余計に自分が惨めに思える」
ヴィクトル様は、私の謝罪を聞くと、自嘲気味に口角を上げ、私はヴィクトル様の腕の中でうなだれた。
「……すみま……私……本当は早くヴィクトル様との……子供、作らないといけないのに……それなのに自分のことばかりで……」
「…………ユミル、お前……それは、どういう……」
急に視界がぐにゃりと歪み、周囲の音が遠のいていく。身体の芯から血の気が引いていくような感覚に襲われ、私は支えを失ったように力が抜けた。
「……ぁ……」
「ユミルっ……しっかりしろ!」
ヴィクトル様の焦ったような叫び声がどこか遠くから聞こえてくる。彼の赤い髪が揺れるのを最後に見た気がしたけれど、私の意識はそこで真っ暗な闇の中に落ちていった。
「……っ……はぁ……」
私はシーツを握ったまま、力なく身体を震わせていた。何度も達した余韻がまだ甘く痺れるように全身を包んでいる。お腹の奥は熱いもので満たされ、繋がった部分からはとろりと白い液体が流れ落ち、その感触が恥ずかしくて、私はそっと目を閉じた。
ヴィクトル様はしばらく動かず、ただ私の背中に顔を埋めていたが、ゆっくりと身体を離し、私を仰向けに返してくれた。
暗闇の中でも青い瞳がはっきりと見えた。後悔のような、苦しげな影が浮かんでいた。
「すまない」
ヴィクトル様は私の頬に触れ、汗で濡れた髪を優しくかき上げた。いつもならもっと穏やかに抱きしめてくれるのに今夜は違った。距離を測るような、ためらいを含んだ触れ方だった。
「俺は……お前に……」
彼は私の身体を確かめるように視線を落とした。
首筋から鎖骨、胸の谷間、そして腹部にかけて知らないうちに鮮やかな赤い印がいくつも散らばっていた。
その仕草はまるで自分がつけた傷跡を数えているようで、なんだか痛々しかった。
「許してくれとは言わない。ただ……」
言葉を詰まらせ、ヴィクトル様は目を伏せた。
ああ、この空気。重く、居心地が悪くて、息が詰まる。私はそれが苦手だった。
「……ヴィクトル様……ワインの匂いが、酷いです」
私は息を整えながら、ゆっくりと彼の頬に手を伸ばした。熱くて、汗で湿っている。
「……そうか」
ヴィクトル様は私を抱き起こし、腕を回して支えてくれた。身体がまだ震えていて、立つのもままならない私を察してそっと抱き上げてくれる。まるで壊れ物を扱うような、優しい手つきで。
「風呂を用意させる」
その問いかけに私は小さく頷き、ヴィクトル様の胸に顔を埋めると、ワインと汗と、熱い体温の匂いが混じり合っていた。
……お湯に浸かれば、この熱も、痛みも、甘い痺れも、少しずつ穏やかに溶けていくのかもしれない。
「……ありがとうございます。ヴィクトル様」
そう呟くと、ヴィクトル様は無言で私を強く抱きしめた。その腕はさっきまでの激しさとは違う、ただ私を守るような力強さに満ちているような気がした。
◆
温かな湯気が立ち込め、揺れる水面には柔らかな光を反射させている。
ヴィクトル様は私を抱いたまま、広々とした湯船にゆっくりと身を沈め、彼の胸に背中を預ける形で抱きしめられながら、私はぼんやりとお湯を見つめていた。
長くて赤い髪がお湯に漬かってゆらゆらと鮮やかに広がっている。その髪が私の肩に触れるたび、どこか幻想的な心地がした。
ヴィクトル様は黙ったまま私の肌に残された吸い跡を、大きな指の腹でそっとなぞっている。
首筋、鎖骨、胸元……彼はその一つ一つを何度も撫でている。
「……ヴィクトル様」
「ん……?」
沈黙に耐えかねて、私は重い唇をゆっくりと開いた。
「やっぱり……怒っていましたか?」
私の小さな問いに吸い跡を撫でていたヴィクトル様の指がぴたりと止まった。背中越しに彼が息を呑んだのが伝わってくる。
「何故、そう思う?」
「だって、あんなに……激しかったから。私が来なかったことを……本当はお怒りだったんじゃないかって……」
「……怒ってなどいない。たまたま、少し酒が回っていただけだ……加減を誤った。それだけのことだ」
「たまたま……?」
私はヴィクトル様に背を向けたまま、お湯の中で拳をぎゅっと握りしめた。そんな言葉で片付けられるはずがない。あの時の、肌を噛み切らんばかりの激しさと、喉を震わせるような切実な吐息。あれは本当にお酒のせいなのか。
「嘘です……言ってください、本当のことを」
私は重い身体を引きずるようにして、ヴィクトル様の腕の中から逃れ、お湯の中で振り返ると視界が潤んで、彼の美しい顔と赤い髪がぼやけて見える。
「ヴィクトル様は、いつもそうです……隠しごとばかりじゃないですか」
この人は大切なことをあまり言葉にしてくれない。何を思っていたのか。本当は何に傷ついたのか。あんなに激しく、壊すほどに私を求めておきながら、終わってしまえばまた仮面を被って、私を遠ざけようとする。
「隠さないでください……私のことが、そんなに信じられないんですか?」
私の首筋や胸元に残った、この痛々しいほどの赤い印。それは乱暴さの証ではなく、むしろ抑えきれなかった感情の名残のように思えた。それなのにヴィクトル様はそれをなかったことにしようとしている。
「ごまかさないで……ほしいです」
ヴィクトル様は一度、長く、重いため息をついた。その吐息には諦めに似た響きがあった。
「お前は……あの娘のことばかりだ。夜の誘いさえ、あの娘を理由に断っただろう……今のお前の視線の先にいるのは俺ではない……」
それはあまりにも子供じみた残酷なほど切実な嫉妬だった。冷徹な公爵が一人の女にこれほどまで惨めで独占的な感情を抱いていたなんて。本当なら、絶対に言いたくなかったに違いない。言葉にするたびに彼のプライドが削り取られていくのがその苦しげな瞳から伝わってくる。
「……っ……すみません、ヴィクトル様……」
私はお湯の中でヴィクトル様の腕にすがり付くように触れた。
「マリィが心配で……あの子が屋敷に慣れるまで、支えてあげたいと思って……でも、私のせいでヴィクトル様のことを疎かにしてしまいました……ごめんなさい……」
彼は怒っていたのではない。私の心が自分以外の誰かに向いていることに傷ついていたのだ。
あの激しい跡も、乱暴なまでの情事も「お前は俺のものだ」と、肌に、そして心に、刻みつけずにはいられなかった。彼にとっての愛情表現だったのだと気づいてしまった。
「謝るな……余計に自分が惨めに思える」
ヴィクトル様は、私の謝罪を聞くと、自嘲気味に口角を上げ、私はヴィクトル様の腕の中でうなだれた。
「……すみま……私……本当は早くヴィクトル様との……子供、作らないといけないのに……それなのに自分のことばかりで……」
「…………ユミル、お前……それは、どういう……」
急に視界がぐにゃりと歪み、周囲の音が遠のいていく。身体の芯から血の気が引いていくような感覚に襲われ、私は支えを失ったように力が抜けた。
「……ぁ……」
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