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死んでなくて、残念でしたね
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気がつけば、私はベッドの上に横たわっていた。私は……助かった?
ナイフを手に持った……その後の記憶はおぼろげで覚えていない。女性の悲鳴とか、私を呼ぶ声とか、赤い……血の雨……血の匂い……?
「ヴィクトルさま……」
ふとベッドのすぐ横に気配を感じた私は無意識に彼の名を呼んでいた。すると静かに顔を上げた人物が私を見つめ返す。
目の下には深いクマができ、顔には痛々しい絆創膏が貼られている。いつも冷徹で非情な彼の表情は今やどこか疲れきって見え、あの艶やかな赤い髪はまるで誰かに引っ張られたかのようにボロボロに乱れている。
「…………」
ヴィクトル様は何も言わずに私を見つめ続けた。その瞳には悲しみが宿り、私を見守るようなその視線がかつてないほどに痛かった。
普段の彼にはなかったもの。ふと私は思い出す。お姉様が亡くなった時もこんな風に無言で私を見つめていたような気がした。
「私が死んでなくて……残念でしたね……」
その言葉は口から滑り出すように放たれた。私はそれを意図して言ったわけではないがどうしても心に浮かんでしまった言葉だった。
「何を言い出すんだ?」
「言ったじゃないですか……お前が死ねばよかったって……死んでなくてがっかりしました?」
今なら、何もかもが素直に言える。死の淵をさまよったことで心に湧き上がった強い感情を無理に押し殺す必要がないからだ。
「…………」
ヴィクトル様は言葉を失い、私を呆然と見つめて固まっている。私が当てつけみたいにこんなことを言うと思っていなかったのだろう。
「仕掛けたの、ヴィクトル様、なんですか?私を殺そうって……わ、私を殺そうとしたんですか?」
「落ち着け。そんなことはしていない」
ヴィクトル様は私の肩に触れようとするが私はその手を振り払ってしまった。手のひらがジンジンと痛む。暴力を振るったのは初めてだった。
「噓……なら、なんで死ねばって……私だって嫌です……死にたいと思ったことありますけど、本気で死のうだなんて……無理……」
ヴィクトル様は私の気持ちを理解しようとしない。いつも私の心の痛みを無視をする。罪悪感を感じていない。ヴィクトル様が私の死に何の意味も見いださないことを知っている。彼にとっては私の命など取るに足らないものなのだと。
「あの夜は……」
ヴィクトル様が言いかけた言葉はすぐに途切れ、黙ってしまった。
「…………」
「…………」
部屋の中にしばらく沈黙が続く。耐えきれなくなった私はシーツを頭から被って、何も聞きたくなくなった。何も話したくない。彼の言葉もその冷たい視線ももう受け入れたくはなかった。
ヴィクトル様が部屋を出ていくのだろうと予想していたが何も言わずに彼はただベッドの横の椅子に座り込んでいた。その姿が何故か私を更に深く沈ませていった。
◆
頭が鈍く痛み、上半身を起こすと部屋は柔らかな明かりに包まれていた。しかし窓の外を見るとあんなに明るかった昼間がいつの間にか消え、空はすっかり夜の帳に包まれていた。月が静かに輝いているのが見える。
「食事は取れるのか?」
ヴィクトル様が私のベッドの横にまだ座っていて、静かにこちらを見つめていた。
髪がベタついていて、肌が不快だ。お風呂に入りたいと心から思った。食事のことは全く考えられないほど気が滅入っていた。
「お風呂に入りたいです……」
そんな私の憂鬱な気持ちを読み取ったのか、ヴィクトル様は一度黙って頷くと静かに立ち上がり、部屋を出て行った。背中をぼんやりと見送る。
……まだ襲われた時のことをまだ話していなかった。犯人の特徴とか、何があったのか、彼はそれを聞きたがっているはずだ。そう考えているうちにヴィクトル様が戻ってきた。手にはお湯の入った桶とタオル。
「風呂に入るのは体調が回復してからだ」
「はい……わかりました」
その言葉に私は頷き、桶を受け取ろうとしたが、ヴィクトル様は無言で桶をサイドテーブルに置き、私の服に手をかけ始めた。その動きに私は唖然としたがすぐに思わず慌てて止めた。
「や、やめて!何をするんですか!」
言葉が震えて、手が震えた。抵抗しようとするが力が及ばず、胸元のボタンをゆっくりと外されていく。服を全部脱がせるとヴィクトル様の手は静かに私の体を観察するように動き続けた。
「目立った外傷はない。擦り傷もすぐに消える」
するとヴィクトル様は無言で腕の包帯をほどいていく、その仕草は凄く丁寧で繊細な手つきだった。
傷跡は薄く赤く線のように残っている。でも痛みはほとんど感じなかった。ヴィクトル様は桶にタオルを入れ、湯をしみこませてから絞る。
「拭くぞ」
私は慌ててシーツを引き寄せ、前を隠した。
「じ、自分でします……」
「駄目だ。背中は届かないだろう」
彼の言葉に私はしばらく黙っていた。やがて、ヴィクトル様の手が背中に触れる。その瞬間、体が小さく震えた。
「男に触れられるのが怖いのか?」
もしかしたら男の人に……そんな記憶は全くない。都合よく忘れているのかもしれない。びっくりしたのはヴィクトル様に触られたからだ。
「大丈夫です……続けてください」
小さな声で言うとヴィクトル様は最初に背中を拭き始めた。傷を避けながら、優しく、慎重に。
沈黙が続き、私の心に湧き上がった疑問をようやく口にすることができた。
「他の人……どうなりました……?」
今が聞けるタイミングかもしれないと思い、心の中でずっと気になっていたことを聞いた。
「全員、命に別状はない」
その言葉はあまりにも淡々としていて、ヴィクトル様の表情は見ることができなかった。手のひらで動く音だけが静かに響き、私はシーツをぎゅっと握りしめた。
メイドたちの様子が怪しかったことは私も感じていた。あまりにも自信たっぷりで、ヴィクトル様の存在をチラつかせられるとそれが正しいような気がして、判断が鈍った結果、あのような惨状が起きてしまったことを深く痛感していた。
「わ、私はどうなりますか……?」
その問いは私にとって、とても怖いものだった。記憶にはないけれど、ヴィクトル様以外の男の人に何かされてしまったのかもしれない。それはもう消すことのできない事実。
そう考えたら体の震えが止まらなくなる。考えたくもなかったことを今から現実として突きつけられると思うと怖くて……捨てられてもしょうがないと思う。
ナイフを手に持った……その後の記憶はおぼろげで覚えていない。女性の悲鳴とか、私を呼ぶ声とか、赤い……血の雨……血の匂い……?
「ヴィクトルさま……」
ふとベッドのすぐ横に気配を感じた私は無意識に彼の名を呼んでいた。すると静かに顔を上げた人物が私を見つめ返す。
目の下には深いクマができ、顔には痛々しい絆創膏が貼られている。いつも冷徹で非情な彼の表情は今やどこか疲れきって見え、あの艶やかな赤い髪はまるで誰かに引っ張られたかのようにボロボロに乱れている。
「…………」
ヴィクトル様は何も言わずに私を見つめ続けた。その瞳には悲しみが宿り、私を見守るようなその視線がかつてないほどに痛かった。
普段の彼にはなかったもの。ふと私は思い出す。お姉様が亡くなった時もこんな風に無言で私を見つめていたような気がした。
「私が死んでなくて……残念でしたね……」
その言葉は口から滑り出すように放たれた。私はそれを意図して言ったわけではないがどうしても心に浮かんでしまった言葉だった。
「何を言い出すんだ?」
「言ったじゃないですか……お前が死ねばよかったって……死んでなくてがっかりしました?」
今なら、何もかもが素直に言える。死の淵をさまよったことで心に湧き上がった強い感情を無理に押し殺す必要がないからだ。
「…………」
ヴィクトル様は言葉を失い、私を呆然と見つめて固まっている。私が当てつけみたいにこんなことを言うと思っていなかったのだろう。
「仕掛けたの、ヴィクトル様、なんですか?私を殺そうって……わ、私を殺そうとしたんですか?」
「落ち着け。そんなことはしていない」
ヴィクトル様は私の肩に触れようとするが私はその手を振り払ってしまった。手のひらがジンジンと痛む。暴力を振るったのは初めてだった。
「噓……なら、なんで死ねばって……私だって嫌です……死にたいと思ったことありますけど、本気で死のうだなんて……無理……」
ヴィクトル様は私の気持ちを理解しようとしない。いつも私の心の痛みを無視をする。罪悪感を感じていない。ヴィクトル様が私の死に何の意味も見いださないことを知っている。彼にとっては私の命など取るに足らないものなのだと。
「あの夜は……」
ヴィクトル様が言いかけた言葉はすぐに途切れ、黙ってしまった。
「…………」
「…………」
部屋の中にしばらく沈黙が続く。耐えきれなくなった私はシーツを頭から被って、何も聞きたくなくなった。何も話したくない。彼の言葉もその冷たい視線ももう受け入れたくはなかった。
ヴィクトル様が部屋を出ていくのだろうと予想していたが何も言わずに彼はただベッドの横の椅子に座り込んでいた。その姿が何故か私を更に深く沈ませていった。
◆
頭が鈍く痛み、上半身を起こすと部屋は柔らかな明かりに包まれていた。しかし窓の外を見るとあんなに明るかった昼間がいつの間にか消え、空はすっかり夜の帳に包まれていた。月が静かに輝いているのが見える。
「食事は取れるのか?」
ヴィクトル様が私のベッドの横にまだ座っていて、静かにこちらを見つめていた。
髪がベタついていて、肌が不快だ。お風呂に入りたいと心から思った。食事のことは全く考えられないほど気が滅入っていた。
「お風呂に入りたいです……」
そんな私の憂鬱な気持ちを読み取ったのか、ヴィクトル様は一度黙って頷くと静かに立ち上がり、部屋を出て行った。背中をぼんやりと見送る。
……まだ襲われた時のことをまだ話していなかった。犯人の特徴とか、何があったのか、彼はそれを聞きたがっているはずだ。そう考えているうちにヴィクトル様が戻ってきた。手にはお湯の入った桶とタオル。
「風呂に入るのは体調が回復してからだ」
「はい……わかりました」
その言葉に私は頷き、桶を受け取ろうとしたが、ヴィクトル様は無言で桶をサイドテーブルに置き、私の服に手をかけ始めた。その動きに私は唖然としたがすぐに思わず慌てて止めた。
「や、やめて!何をするんですか!」
言葉が震えて、手が震えた。抵抗しようとするが力が及ばず、胸元のボタンをゆっくりと外されていく。服を全部脱がせるとヴィクトル様の手は静かに私の体を観察するように動き続けた。
「目立った外傷はない。擦り傷もすぐに消える」
するとヴィクトル様は無言で腕の包帯をほどいていく、その仕草は凄く丁寧で繊細な手つきだった。
傷跡は薄く赤く線のように残っている。でも痛みはほとんど感じなかった。ヴィクトル様は桶にタオルを入れ、湯をしみこませてから絞る。
「拭くぞ」
私は慌ててシーツを引き寄せ、前を隠した。
「じ、自分でします……」
「駄目だ。背中は届かないだろう」
彼の言葉に私はしばらく黙っていた。やがて、ヴィクトル様の手が背中に触れる。その瞬間、体が小さく震えた。
「男に触れられるのが怖いのか?」
もしかしたら男の人に……そんな記憶は全くない。都合よく忘れているのかもしれない。びっくりしたのはヴィクトル様に触られたからだ。
「大丈夫です……続けてください」
小さな声で言うとヴィクトル様は最初に背中を拭き始めた。傷を避けながら、優しく、慎重に。
沈黙が続き、私の心に湧き上がった疑問をようやく口にすることができた。
「他の人……どうなりました……?」
今が聞けるタイミングかもしれないと思い、心の中でずっと気になっていたことを聞いた。
「全員、命に別状はない」
その言葉はあまりにも淡々としていて、ヴィクトル様の表情は見ることができなかった。手のひらで動く音だけが静かに響き、私はシーツをぎゅっと握りしめた。
メイドたちの様子が怪しかったことは私も感じていた。あまりにも自信たっぷりで、ヴィクトル様の存在をチラつかせられるとそれが正しいような気がして、判断が鈍った結果、あのような惨状が起きてしまったことを深く痛感していた。
「わ、私はどうなりますか……?」
その問いは私にとって、とても怖いものだった。記憶にはないけれど、ヴィクトル様以外の男の人に何かされてしまったのかもしれない。それはもう消すことのできない事実。
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