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あるいは最後の組み手

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「んで、おまえかよ」

    ライカの次の相手はオリヴィアだった。

「あたしがあっちに出たら、優勝しなきゃいけなくなるでしょうが」

 えらい自信だな、と嘆息するライカ。

「あのね、あんたは知らないだろうけど、向こうだってみんな強いんだからね。あたし出たらあの子たち殴らなきゃいけないでしょうが」
「あ? なんだそれ」
「あんたなら殴っても蹴っても後腐れないって言ってんの」

 そういうことかよ、とつぶやいた顔には自然な笑みが浮かんでいた。

「おまえ、そういうところだけは変わらねぇな」
「ありがと。それに、試したいこともあるし」
「なんだそりゃ。まあ、お前ともちゃんとやりたかったしいいけどよ」
「あんただっていい加減ミューナのこと、どうにかしなさいよ? ハタから見ててみっともないんだからさ」

 痛いところを突かれ、ライカは天を仰いだ。

「どうにか、って言われてもよ……」
「両思いなんだからべつに難しく考える必要ないでしょ。避妊さえしてくれればあたしは歓迎するわよ」
「ひ、避妊、とか、そういう、のはだな……」

 煮え切らないライカにため息で返し、精霊たちを集める。

「どっちでもいいけどさ、あたしはあんたをぶん殴れればいいから」

 ちら、とクレアに視線を送る。

「ああ、もういいのね、じゃあ始め!」

 おざなりなクレアの開始の合図を受け、ライカは慌てて歌い出す。曲は交響曲。

「ほら遅い!」

 まだ一小節も歌い終えていないのに、向こうは歌ってすらいないのに、オリヴィアの右拳はもうライカの鼻先まで来ていた。

「あっぶね!」

 仰け反って直撃を避けるライカ。オリヴィアは隙を見逃さずに仰け反った反動で伸び上がった腕をひとまとめに掴み、容赦なくリングに叩き付ける。

「ぃぎっ!」

 予想外のダメージに漏れ出た声もオリヴィアの失笑を買うばかり。期せずしてブリッヂの姿勢を取らされたライカは、まだ自由に動かせる膝で蹴りを打つ。

「遅い」

 空を切った膝蹴りはそのままオリヴィアに抱えられ、まっすぐに伸ばされてしまう。

「あ、こら、離せ!」
「やーよ」

 べーっ、と舌を出して伸びきった右足の足首を掴み、持ち上げてハンマー投げのようにようにかかとを軸にして回転。足下の土埃が竜巻となって天を貫くまでたっぷり回転を加え、オリヴィアは吠える。

「ほら、飛んでけ!」

 ぱっと手を離すだけでライカのからだはリング端まで軽々と吹っ飛んでいく。

「ぉおぉおっ?!」

 飛ばされながら目を回しているのが悲鳴からも伝わってくる。

「んなろっ」

 それでも手をついてブレーキをかけ、リングアウトを防いだのはさすがと言えよう。
 しかし、後手であることに変わりはない。
 ライカの顔に全身に影が落ちる。

「しっ!」

 かかと、いやふくらはぎ全体を使った浴びせ蹴り。片膝をついて両腕を交差させて受け止めるライカ。
 
「ふっ!」

 術に昇華しない程度に精霊たちを踊らせてオリヴィアは蹴りを再加速。リング表面を覆う石板がひび割れ、ライカがうめき声をあげながらリングにめり込んでいく。 

「せえのっ!」

 最後の一押し、とばかりにオリヴィアは蹴りを振り抜き、リングは大きく凹む。しかし、中心地点にいるはずのライカの姿がない。着地したオリヴィアは空を見上げる。
 同時に、聞き惚れるほどの交響曲が会場全体を包む。

「そうそう。ミューナにもそういう顔、してあげなさいよ」

 屋外で上を取ったら太陽に隠れろ。クレアからも何度も言われた鉄則を、ライカは無視し、青空の真ん中からオリヴィア目がけて迫ってくる。蹴りだ。蹴られて押しつぶされたから意趣返し、などという考えはない。ただまっすぐに、自身を解き放たれた矢とイメージし、精霊たちの助けを借りて、かかとによる蹴りを当てることしか考えていない。

「おらああああっ!」
「いちいち叫ぶな。鬱陶しい」

 そう言いつつもオリヴィアは口角に笑みを滲ませつつ腰を落とす。一歩分バックジャンプで距離を取り、ライカの着弾を待つ。来た。正拳突き。スネが左から来た。なんで。

「すりゃぁっ!」

 ガードも間に合わず、オリヴィアはライカの回し蹴りを左の肩口に喰らう。遅れてライカのかかとがリングに着弾。表面どころか内部まで亀裂が入り、破片が散弾のように炸裂する。

「このっ!」

 左肩の痛みを堪えつつ、オリヴィアは下から上へ向けて突風を起こして破片の直撃を防ぐ。もしかかとの着弾が先だったら、しっかり腰の入った回し蹴りに吹き飛ばされ、破片の散弾は喰らわなかったはずだ。
 狙ってやったとしたら褒めてやりたいが、きっと無意識だ。

「おらぁっ!」

 ライカの右拳が風のカーテンを貫いてくる。左の裏拳で払う。直後膝蹴りが伸び上がってオリヴィアの顎を狙う。カーテンにしていた風の流れを真下にして威力を削ぐ。膝蹴りを諦め、左フックに移行。オリヴィアは慌てず騒がず一歩踏み込んで腰を抱き寄せ、鼻先が触れ合う距離に顔を。

「こんどはちゃんとしたキスぐらい、してあげなさいよ」

 そう耳元でささやき、ライカの左頬に、優しいキスを。

「??!?!??!??」

 混乱し、殺気も歌もどこかへ飛んでいったライカから間合いを離し、オリヴィアは自身の唇をぺろりと舐める。

「ほら、あんたのどこが穢れてるっていうのよ」
「あ、あたしを、食べ物みたいに、言うなぁっ!」

 混乱しながらの反論はまるで腰が入っておらず、オリヴィアの失笑を買うばかり。

「なによそれ。まぁどっちにしてもあんた、あんな美人でかわいい子に好きだって言って向こうからも好きだって言われたんでしょ? なにが不満なのよ」
「ふ、ふ、不満なんか、ねぇよ。でもな」

 煮え切らないライカを荒い鼻息で黙らせ、

「あんたは、あんたが考えてる以上に愛されてるの。まずそれを受け入れろ」

 横目に入ってきたのはイルミナが激しく頷く姿。鬱陶しい。そもそもあんたがやっておいくべきことだったろ、とついでに睨んでライカに視線を合わせる。

「そんな、こと、わかってる、よ」
「だったら、たったひとり愛することぐらいできるでしょうが!」

 吠えてはみたが、どうせ煮え切らないことをほざくんだろうな、と腰を落として精霊たちを集める。

「そんなこと言われてもわかんねぇよ!」

 吠えたひと言は、オリヴィアから闘気を奪うに十分だった。

「あたしだってわかんないわよ。でも、逃げ回ったりしてなにも行動起こさないのだけは違うって言える。そっから先は自分で考えなさい」
「……お、おう」
「ん。じゃあ続きやるわよ」
「は? やるのか? いまさら」
 
 まさかライカまで戦闘意欲を失っているとは思わなかったオリヴィアは、深く長くため息をついて、

「あったりまえでしょうが。あんたとちゃんと試合やって実技の評価点上げておかないと、あたしが神楽宮に行けないでしょうが」
「あ? んなことしなくてもお前、」
「うるさい。あたしのやり方に文句言うな」

 言いながら過ったのはディルマュラたち三人の顔。偉そうに口止めしておいたのに、結局自分から破ってしまった。この試合が終わったら謝ろう。

「お前はあたしのことに文句言うくせに、あたしはいいのかよ」
「あんたは散々迷惑かけてるでしょうが!」

 思い返せばあの「舞踏の世界へ!」から全てが始まった気がする。あれさえ無ければもう少し、いや、遅かれ速かれ同じ事は起こっていただろう。
 互いにそう思ったのだ、と交わした視線から感じ取り、ふたりは声を上げてわらった。

「ったく。これっきりだからね」
「おう。いままでありがとうな」
「ぶわーか。ミューナのためよ」

 そうかよ、と髪をかき上げるライカ。そこに残った表情は、晴れ晴れとしていて。

「やれるだけ、やってみるよ」
「ん。もう二度とあんたに関しては面倒見ないからね」
「面倒見てるつもりだったのかよ、これ」
「そうよ。ミューナに感謝しなさいよ」

 この一年半、ミューナとはいろいろあった。怒らせたことも、泣かせたことも。怖がらせたことも。人命救助の延長ではあったが、唇を重ねたことも。

「そうだな。お前にも感謝してるよ。オリヴィア」

 真っ正面から真剣な顔で名前を呼ばれ、オリヴィアは頬を僅かに染める。

「そういう顔で名前を呼ぶなっての!」

 一瞬で精霊たちを踊らせ、間合いを一気に詰めて右拳を振るう。
 そしてオリヴィアはたぶん、一生忘れない。

「お、やっと見えた」

 このときのライカの、子供のように輝いた笑顔を。
 だから、不意打ちのような笑顔にほんの一瞬心を奪われ、ライカの挙動が意識から外れてしまったことは、仕方の無いことと言える。
 放った右拳はふわりと受け止められた、と認識した次の瞬間にはもう仰向けに空高く舞い上がっていた。

「あーあ。あとちょっとだったのに」

 オリヴィアがライカに勝つ唯一の戦法は、行動を読み、封じ続けること。だがこうしてライカの攻撃を受けてしまうと勝機はほぼゼロになる。

「でもま、やりたいことはやれたからいいか」

 あいつも覚悟を決めたみたいだし。

「んだよ。もういいのか」

 そこへ顔をのぞき込むようにしてライカが胸元を掴んできた。対応しようと思えばできたが、やらなかった。

「うん。最後ぐらい花持たせてやるわよ」
「……そうか。んじゃ、派手にやるぞ」
「痛くしないでね」

 ん、と頷いてライカは右手で胸元を、左手で太ももあたりを掴み、両スネを腹部にそっと置いて落下を始める。
 落ちていく様子が見えないのは恐いが、リングが高速で迫ってくるのを直視しないですむほうがまだマシだと割り切ってライカの顔を見る。深紅の髪に涼しげな目元。顔だけはいいのよね、と過った思いを打ち消すように、悪戯っぽく言う。

「避妊はちゃんとしなさいよ」
「わ、わ、わ、わかってる、よ」
「ならよろしい」

 す、と目を閉じる。リングまであと一秒。
 着弾。表面が派手に砕け、花火のように飛び散る。なのに痛みはほとんどない。リングに直撃する寸前、ライカが術にならない程度に精霊たちを踊らせてあたかも衝撃でリングが破壊されたように見せかけたのだ。

「おまえが、一回も術を使ってなかったから、あたしもできるかなって思ってな」

 掴んでいた手を離す直前、ライカはそうつぶやき、立ち上がってクレアを見る。

『勝者、ライカ・アムトロン!』

 歓声が会場を包む中、オリヴィアはそそくさとリングから試合場から去って行った。
 あれだけ発破をかけておいて無責任に思うだろうが、これから先、ライカがどうするかは知ったことではない。が、ミューナには幸せになってほしい。
 そう願い、祈ることぐらいは、赦してほしい。
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