派遣メシ友

白野よつは(白詰よつは)

文字の大きさ
11 / 39
■第二話

しおりを挟む
 そうして翌朝、午前五時。まだ夜が明けきらない朝まだきの中、大あくびを噛み殺しながら向かったのは二十四時間営業の牛丼屋だった。始発で勤め先のある歌舞伎町かぶきちょうから戻ってくるのが一日の流れだとかで、陽史が暮らす部屋の最寄り駅から三駅ほど都心方面に向かうと、降りた駅のほぼ正面に昨日メモした指定場所の牛丼屋があった。
 メモを取ったときも思ったが、思ったよりずっと近所で驚く。
 田舎とは違い、都会の三駅なんてすぐなのだ。指定の時間が早朝なので近くで助かったことには助かったが、歌舞伎町なんて話に聞くだけで実際には未踏の地である陽史には、そこで夜の商売をしている人がわりと近所に住んでいるなんてと驚きだったし、なんとなく知ってはいけないことを知ってしまったような、そんな気もした。
「らっしゃーせー」
 深夜バイトの大学生風の男性店員に気だるげに声をかけられつつ、陽史は起き抜けでぼやける目を凝らし彩乃と思しき女性客を探して店内をきょろきょろ見回す。
 年増の姉ちゃん、年増の派手な姉ちゃん……。
 何度も喜多に言われて刷り込みができてしまっているらしい。それを失礼だと思わない時点で、まだまだ頭が起きていない。でも陽史は気づかない。陽史も大概、残念だ。
 すると、もしかしてこの人だろうかと当たりを付けたタイミングで、カウンター席の端っこに座って横の壁に肩を預けていた女性客が店の出入り口を振り返った。
「――あ、もしかして!」
 半分寝ているようだった顔が、その瞬間、ぱっと華やぐ。
「……あの、もしかして須賀彩乃さんですか? あ、俺は喜多さんの――」
「やめてよー! フルネームとか恥ずかしすぎるでしょー!」
「はあ、すみません」
 とりあえず席に近づき確認すると、彩乃は寝ぼけ眼の陽史の肩をバシバシ叩く。どうやらこの人で間違いないらしい。それはいいのだが、先ほどまでのローテンションはどこへやら、一気にエンジンを全開にするので、陽史はなかなかついていけない。
 そんな陽史に構わず彩乃は続ける。
「ごめんねー。眠いでしょう、こんな朝早くにさー。けど、ほかの時間は寝てるか仕事してるかのどっちかだから、ちゃんとした時間に動いてる人とご飯を食べるには、この時間しか空いてないのよ。本当は私が早く起きられたらいんだけど、なかなかそうもいかなくって。秋成君ともこの時間に食べてたから、つい、いつもの調子で誘っちゃった」
「はあ。いや、俺は別に……」
「あ、そう? 若いねー。じゃあ、さっそく。何食べる?」
 そして、メニュー表に手を伸ばすや否や、それを陽史の前に差し出した。
「お冷やっす」
「うっす」
 そのタイミングで気だるげなバイトが水の入ったコップを置く。派手な姉ちゃんとモサい学生の組み合わせに怪訝な表情を浮かべていた彼だったが、彩乃とのやり取りから共通の知り合いを介して会っていることがわかり、心なしかほっとしているようだ。
 いくらバイトとはいえ、あまりに突飛な組み合わせに警戒心を抱いていたのだろう。こういう場合のマニュアルもあるのだろうし、彼も陽史も、ひとまず面倒くさいことにならずによかったといった心境だろうか。今のご時世、どこで何が起きるかわからない。
「あー、すんません。起き抜けなもんで、あんまし食欲ないんです」
 とはいえ、目の前に肉が載ったメニュー表を出されても、陽史は小盛りすら食べられる気がしなかった。早めに寝ようと思い床に就いたのが昨夜十一時で、起きたのが先ほど、午前四時二十分だった。四十分少々では腹の虫もまだ眠っている。
「残念。秋成君は普通に大盛りを食べてたけど、言われてみれば君が普通だよね」
「そうですよ。あの人と一緒にしないでくださいよ。どっかネジが飛んでんですって」
「ふはっ、確かに。変わった人だよねー」
 そう言うと彩乃は先ほどの店員に並盛りを一つ注文した。ものの数十秒で目の前に置かれたそれに紅生姜をたっぷり乗せると、割り箸を取り「いただきます」と手を合わせる。
 服装や髪型、メイクも派手だが、爪も派手だった。ベースは目の覚めるような赤。そこにゴールドやらシルバーやらラインストーンやら、キラキラした装飾が施されている。
「ネイルアートに興味あるの?」
 その視線に気づいた彩乃が暴投を投げる。
「まさか! ただ、上品な手つきだなと思って」
「ああ……」
 思いっきり否定しつつ思ったことを口にすると、しかし彩乃はどこか物悲しげに横顔に陰を落とし、爪の先までぴんと伸ばした左手を見つめた。
「所作っていうの? けっこうそういうのに厳しかったんだよねー、うちの親」
「そうなんですか」
「うん。子供の頃はそれが納得いかなくてさー。もっと自由に座ったり寝転がったり、好きなようにものを食べたり、周りの子がしてるのと同じことをしたいって、ずっと思ってたよ。まあ、こんな商売柄だし、今では助かってる部分も多いけど」
「へえ」
「でも、どんな大人になっても、子供の頃に教え込まれたことって、なかなか抜けないものなんだね。さっき君に言われてはっとしたし、ちょっとゾッとしちゃった」
 そう言うと、彩乃は咄嗟の言葉に詰まった陽史をからかうようにお茶目に笑い、並盛りの牛丼を口いっぱいに放り込んだ。そのまま二口目、三口目と、ぽいぽい入れていく。それはまるで、先ほど言った『上品な』に反骨精神を燃やしているかのようだ。
 ――ゾッとした。
 その言葉に、一言では言い表せない家族とのわだかまりが見えたような気がしたのは、きっと陽史の気のせいではないだろう。わざわざ見せつけるようにして牛丼を掻き込まなくても、中身は逃げないし、陽史も彼女が食べ終わるまで待っているつもりなのに。
 この人には何があるんだろう……。
 だんだんクリアになってきた頭で陽史は思う。聞いてみたい気もするし、ざっくばらんな彩乃なら、案外あっけらかんと話してくれそうな気もしないでもない。
 けれど陽史には、その勇気はなかった。芳二との関りをきっかけに、これまでの根性なしで他力本願だった自分を見つめ直した結果、できることから始めようと徐々に生活に改善が見られるようになってはきたが、ほかはそう劇的には変われないのだ。
 自分のことだけなら、気の持ちよう一つでどうにでもできる。けれど、とりわけ彩乃の場合は、夜の商売という仕事柄もあるのだろう、遠い人に思えて近づけそうになかった。
「すみません。やっぱ俺も、並盛り一つ」
 とかく今の陽史にできることは、これくらいだろうか。
 ひと仕事(といっても、すでに出来ているご飯と牛をマニュアル通りに丼に盛っただけだが)を終えてぼーっと突っ立っているバイトに声をかけ、陽史はようやく起きだした腹の虫に栄養を与えるため、彩乃と同じものを注文する。
 その彩乃は、驚いたように目を瞠る。けれどすぐに、切ないような嬉しいような微笑を浮かべ、緩慢な動作で牛丼が盛られていく様子にじっと見入っているようだった。
「起き抜けだから食欲なかったんじゃなかったっけ?」
「隣で美味そうに食べられたら、ない食欲も湧きますよ」
 ごゆっくりどうぞーと置かれた丼を前に箸を割る。
「……いい子だね、君は」
 そのときぽつりと落とされた声は、箸を割った音で聞こえなかったことにした。

 *

「うっぷ……。あー、もたれるー……」
「おい、人がメシ食ってるときにそんなこと言うなよ」
 その日の昼、朝から講義があった陽史と和真の姿は学食にあった。昼を待ちわびた大勢の学生でわいわい賑わう学食の中において、陽史の前には食べすぎに効くドリンクタイプの胃腸薬の瓶が一つ、ぽつんと置かれているだけだったけれど。
 ちなみに、和真の前には安いくせに絶品の日替わりA定食が置かれている。幸か不幸か本日は牛丼のようだ。牛の甘い匂いを嗅いだだけで胃にずしんと響くような気がする。
「悪い。朝っぱらからそれ食ったんだよね」
「それって、これ?」
「そ。牛」
「何時くらい?」
「朝の五時」
「そりゃ、健康なやつでもそうなるわ……」
 椅子の背もたれに背中を預け胃をさする陽史に、和真は非難めいた視線を送る。
 何やってんだよお前は、と言いたいのかもしれない。いや、その顔は確実に心の中でぶつくさ言っている。面と向かって言わないだけ、和真の優しさかもしれない。
「でも、なんでそんな時間に牛丼なんだ? 牛丼屋でバイトでもしてたっけ?」
「いや、知り合いとメシの約束をしてたんだ。その時間しか向こうの都合がつかなくて」
「はあ? どんな知り合いだよ、それ」
「ははは……」
 だよなあ、まったくだよ。
 呆れてものも言えない顔をする和真に、陽史も大いに同感だ。どんな知り合いなんだというのももちろんそうだが、選んだメシにも問題がある。牛丼そのものには少しも罪はない。けれど、どう甘い判定をしたところで、あの時間に食うものではない。
 和真には《派遣メシ友》のことは打ち明けていないので、胃がもたれているわけを話そうと思えば自然とこんな感じになってしまうことも、原因の一つだろうか。
 とはいえ、なかなか言い出せないのもまた、事実だった。
《派遣メシ友》の生みの親である喜多に口止めされているわけでもない以上、陽史は話そうと思えば話せる立場にいる。ただ、どうにも特殊なのだ。心の隙間を埋めたいという志は立派だし尊敬すると思うものの、寂しさを抱える人と一緒にメシを食うことを〝仕事〟としているシステムには、陽史は最初の時点で違和感を覚えたのも確かだった。
 前回の芳二も今朝の彩乃も、メシ友の礼に謝礼をくれた。彩乃に関しては「近いうちにまた誘うだろうから」と先払いまでしようとして、陽史は冷水をぶっかけられたような思いだった。そのぶんはさすがに丁重にお断りしたが、そういうシステムを知った和真に軽蔑されないとも限らないと思うと、自然、どうしても濁した説明になってしまう。
「……陽史、お前、変なバイトとかしてないよな?」
「当たり前だろ。何バカなこと言ってんだ」
「だよな、陽史はしょっちゅうバイト先を変えるやつだし」
「なんだよそれー」
「でも、そうだろ? 俺が知ってるだけでいくつ変えたと思ってんだ」
「さあ? 多すぎてちょっと記憶がないわ」
「ったく……」
 お互いに苦笑をこぼしつつした会話は、けれどどこか寒々しいような気がした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...