七月の夏風に乗る

白野よつは(白詰よつは)

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■2.伝統って呼ばれるようになることだってあるんだし ◆浅石佑次

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 翌日、浅石佑次は、さっそく野球部部長のもとを訪れた。昨日、わざわざ武徳伝まで話を聞きに来た会長と副会長の激励に応えたく、朝練直後の佐々木《ささき》臨《のぞむ》を捕まえる。
「佐々木、ちょっと話があるんだけどさ」
「ほう、ひゃに?」
 自分の席について手のひらほどの大きさのおにぎりにかぶりついていた佐々木は、そのままに「おう、なに?」と机の前に立つ佑次を見上げた。佐々木とは一年の頃、同じクラスだった。二年生のときは、お互いに部長と団長という役職に就いたこともあり、集まりがあれば同じクラスだったよしみで隣同士の席に座ることが多い。長髪ヒゲ面と頭も顔もつるつるという正反対の毛事情だが、仲はいい。お互いをリスペクトし合う仲である。
「実は、今年の野球応援から、吹奏楽を取り入れたいと思っててさ。実際、そんな声もあるっちゃあるだろ? 吹部には、条件付きだけど、もう話はとおして了解を得た。率直な意見として、佐々木はどう思う? やってみたいと思うか?」
「うーん。俺個人としては、あの野太い声と太鼓だけの応援も捨てがたいけど、吹奏楽の演奏も華があっていいよなって思う。でも、潔さと華々しさだったら、って聞かれると、悪いけど、ちょっとすぐには答えらんねえわ。部活前のミーティングんときに部員たちにも聞いてみるけど、みんな、なんて言うか、俺にも正直、想像つかない感じ」
 前の席の椅子を借りて座る佑次を待って佐々木が口を開く。おにぎりを口いっぱいに頬張り、冬眠前のリスみたいになっていた頬は、ものの十数秒ですっかり萎んでいた。
「そうか……」
「まあ、そう肩を落とすなって。吹奏楽応援をやりたいって声も確かにあるし、じゃあ取り入れようって浅石が考えることは間違ってないと思う。伝統は大事だ。でも、そこに新しい風を吹き込むことも、俺は伝統を守ることと同じくらい大事だと思うぞ。そうやって変化したものが、何十年って経てば伝統って呼ばれるようになることだってあるんだし」
「そっか。そうだよな」
 クサい台詞だが、佐々木もなかなかいいことを言う。しゅん、と落ちた佑次の肩が息を吹き返す。守るのも大事、変化を加えるのも大事。昨日、会長には「考えた」と言ったが、本当のところは全然考えていなかったことを今さらながらに思い知る。
 そういえば会長は、伝統の面もあるし、と言っていた。楽器を買い揃える予算のことも考えなければならないが、まずはこれが、彼女の言うところの〝伝統の面〟なのだろう。生徒総会で賛成多数になれば、すぐにでも予算がおり、吹奏楽応援を取り入れられると思っていたが、どうやらそれは砂糖菓子よりも甘い考えだったようだ。
「ちなみに、吹部の条件って?」
「なんか、炎天下で楽器を使いすぎると、音が悪くなるんだとさ。だから、外用の楽器一式を揃えてくれるならやってもいいよ、って。そういう条件」
「へー、そうなんだ。あんまり考えたことはなかったけど、確かに炎天下じゃ楽器に酷だよな。マイ楽器の部員だっているだろうし、うちの吹奏楽、けっこう強いし」
「だよなー」
 佑次も楽器のことまでは考えていなかった。自分でも調べてみたが、確かに木管楽器は直射日光にさらしすぎるとヤバいらしい。買って一年以内のクラリネットだと、炎天下で使ってすぐにクーラーの効いた部屋に持っていくと割れるとかなんとか。素材は木だから、極端な温度差にやられてしまうのだろう。それだけデリケートなものなのだ。
 相場はわからない。しかし楽器全般はやたらと高いイメージがある。金持ちの道楽、とまでは、さすがに思わないものの、きっとウン十万円もするんだろう。それがマイ楽器ともなれば、本人も買ってくれた家の人も泣くどころの騒ぎではなくなること必至だ。
 はじめ、吹奏楽部はなんて傲慢な条件を出してきたんだと思ったが、よくよく調べてみれば、吹奏楽部が提示してきた条件は、楽器を思いやる気持ちで溢れていた。
「まあ、俺らのことは置いといて。で、生徒会はなんて言ってんの?」
 生徒総会で全校生徒にかけ合うつもりなんでしょ?
 残りのおにぎりにかぶりつく前に佐々木が尋ねる。どうせ二時間目と三時間目の間に菓子パンとか食うくせに今からよくそんなに腹に入るよなと、ある意味感心しながら、佑次は昨日の武徳伝でのことを佐々木に説明する。佑次もいくら食べても常時腹ペコ状態ではあるが、そこまでではない。剣道部と野球部とでは、運動量が違うのかもしれない。
「会長は面倒くさそうな感じだったけど、副会長は、議題に取り上げるから、あとは応援団で頑張れって言ってた。俺たちが中心になって応援に吹奏楽を取り入れたいっていう声を少しずつ大きくしていけば、もしかしたら、もしかするかもしんないしな」
 すると佐々木は、すっと目を細め、なぜかちょっとだけ憐れんだような微笑を口元に浮かべて、ひとつ頷いた。なんだお前? なんで同情されてんの俺?
「浅石の可愛いところはさ、こういうとこなんだよなあ」
「……は?」
「いや。せっかくお前がやる気になってんだ、上手くいくといいな」
「お、おう」
 なんだろう、微妙に釈然としない。
 しかしながら、とりあえずこれで一歩……いや半歩か、前進したような気がする。野球部の意見を聞かないことには、まだなんとも言えない状況ではあるものの、面倒くさそうにしていた会長に野球部に話をしたことを伝えられる。そうすれば彼女も、昨日の今日というフットワークの軽さに少しは応援団の要望を真剣に受け止めてくれるかもしれない。
 そうして佑次は、その足でD組に向かった。
 北高は進学校なので、AからEまであるどのクラスも一年の頃から大学進学が当たり前という環境で勉強してきた。しかし、会長のいるD組と副会長のいるE組は、その中でもトップクラスの成績を誇る生徒が集められた集団である。Dが文系のトップで、Eが理系のトップ。中学ではトップだった佑次も、北高に進学してからは、D組E組の人と話すのはなんとなく敷居が高くて、まごまごした気持ちになってしまう。
 戸の影からD組の教室の中を覗くと、机に勉強道具を広げている生徒がA組のそれより断然多くて、それだけでなんだかちょっとビビッてしまった。
「あ、ごめん、会長いる?」
 なんとなく腰が引けつつ、近くの女子生徒に会長を呼んでもらうよう頼んでみる。一番廊下側の列の先頭に座る女子だった。参考書を解く手を休めて佑次を見た彼女は、長髪ヒゲ面に一瞬固まり、それから教室全体をぐるりと見渡し、「ひらりちゃーん、お客さーん」と会長を呼ぶ。窓際で友達数人と談笑していた会長は、教室の戸のところに立つ佑次の姿を認めると、やっぱりちょっとだけ面倒くさそうな顔をして、佑次のもとまでやってきた。
「それで、野球部とはどうなったの?」
 一刻も早く本題に入りたいのだろう、会長は単刀直入だ。こいつ怖えぇぇ、と内心で恐れ戦きながら、佑次はつい先ほどの佐々木との会話をそのまま会長に伝える。
「てことは、野球部の方針次第ってことだね」
「まあ、そうなるな。部長の感触は悪くなかったよ。あとは部員がなんて言うかだ」
「だね。野球部にこそイエスって言ってもらえなきゃ、議題に取り上げようがないからね」
 そう言うと、会長はおもむろに探るような目を向けてきた。さっきから佐々木も会長もなんだというのだろうか。同情されるし、探られるし、言いたいことがあるなら、この際はっきり言ってもらったほうが、どれだけすっきりするか。
「……会長さ」
「ん?」
「いや、なんでもない」
「あ、そう」
 しかし、どうも聞くに聞けなかった。会長からは、はじめから面倒くさそうな雰囲気を感じていたのだ。特別親しいわけでもないので、彼女の性格は未知数である。怖いのは確かだが、なにを言われるかわからない面もあって、聞いたらまずいような気もした。
「じゃあ、野球部の方針が決まったら、また報告しに来てくれる?」
「ああ」
「総会の資料も作らなきゃならないから、できるだけ早いほうがいいんだけど」
「もちろん。佐々木に言って、なるべく早く決めてもらうようにする」
 そうして会長との会話は終わった。じゃあね、とスカートの裾を翻して友達のもとに戻っていく会長の後ろ姿を数秒眺めてから踵を返し、佑次はその足でまた佐々木のところへ向かう。会長から言われたことを伝えると、わかった、という返事とともに、なぜかまた同情めいた視線を向けられ、さすがに「はっきり言えよ」と迫ってしまった。
 ふたりとも、さっきから本当になんだというのだ。会長には女子だしD組だし怖いしで聞けなかったが、佐々木には同じ男だしB組だし仲もいいし、いくぶん聞きやすい。
「いや、上手くおだてられてんじゃねーかな、と思ったもんだからさ」
「は?」
「なんかお前、バカデカい伝書鳩みたいなんだもん」
 しかし佐々木の言うことも佑次には今ひとつわからなかった。確かに佐々木と会長の間を往復したが、それは早く伝えなければならないことがあったからにほかならない。そんな佑次に面と向かって伝書鳩って。仲がいいからこそ言えることなんだろうが、憐れまれたり同情されるようなことには、佑次にはどうしても思えなかった。
「意味わかんねーし!」
 はははと笑って佐々木の肩を小突く。微妙にムカつくが、これから結託するかもしれないのだ、部長と団長としても、友人としても、仲良くしておくに越したことはない。
「部員の意見次第なところもあるけど、俺もできるだけ協力してやっから。ま、頑張れよ」
 そう言って佐々木も佑次のみぞおちのあたりを軽くグーで小突き返してくる。数分離れていた間に佐々木の前の席は埋まっていた。また座らせてもらおうかと思っていたが、佑次だけ立ち話では、佐々木もみぞおち小突きがせいぜいだろう。
「ほいじゃーなー」「おー」とお互いに軽く片手を上げ合って別れる。
 部活前のミーティングと佐々木は言っていたが、昼休みまでにはおそらく、部員全員に『応援団が野球応援に吹奏楽を取り入れたいって言ってるんだけど、みんなどう思う?』という連絡が回っていることだろう。今はLINEなんていう便利なものがある。野球部全員でグループを作っておけば、一発だ。正式な話し合いは部活前に行われるとは思うが、事前に知らせておいてもらえると、それだけ話し合いの時間が短縮されて練習に専念できる。
 今日の放課後の早い時間にでも、さっそく連絡が来るかもしれない。そう思うと、佑次は今から学ランのスラックスに入れたスマホがやけに気になった。

 *

 果たしてその放課後。
「応援団のほうで生徒会に用事があるから」とあらかじめ部活に遅れる旨を部長に伝えて教室で待機していると、生徒たちが部活に向かって三十分ほどして、スマホが震えた。
 佐々木とももちろん、LINEの交換はしてある。机の上に置いてじっと動かず凝視していたそれをさっそく手に取り確認すると、佐々木からの【みんな、面白そうだからやってみたいって】の文字に、佑次は思わず両手を高く宙に突き上げた。団長だけに許される、長くなるとうねうねする髪がわさわさ揺れる。お世辞にも見栄えのしないひょろひょろとした髭も、心なしか顎の下で踊っているような気さえする。
【マジか! サンキュー!】とものの数秒で返事をし、さっそく生徒会室に向かう。生徒会役員たちは、今日も生徒総会に向けて会議をしているはずだ。野球部の方針が決まらなければ生徒総会で取り上げようがない、急いでほしい、と会長に言われていたので、半歩から一歩の前進に修正された嬉しさも相まり、廊下を全速力で駆け抜ける。
 生徒会室は、校舎四階の特別教室が並ぶ一角にある。音楽室や放送室、視聴覚室や図書室など、普段の授業では使わないが、別棟にある調理実習室や家庭科室、自習室よりは使う頻度が高い教室や設備が、本校舎四階に詰め込まれている。生徒会室もそのひとつだ。
 階段を一気に駆け上がったちょうど正面に【生徒会室】のプレートを目にした佑次は、
「野球部、オッケーだって!」
 ノックもなにもなく生徒会室に飛び込み、開口一番言う。佐々木から連絡が来たスマホの画面を黄門様の印籠よろしくぐっと前に突き出すのも忘れない。気分は角さん、『控えおろう、この紋所が目に入らぬか』である。証拠を見せろとまでは、いくら会長でもさすがに言わないだろうが、口頭だけではどこか説得力に欠けるような気がするのだ。
 だってそこは会長だ。個人的になんとなく苦手意識が芽生えつつある彼女に対して、今後のためにひとつくらいは、こいつデキる男だなと思われて株を上げておきたい。
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