谷々越探偵事務所の迷推理事件簿

白野よつは(白詰よつは)

文字の大きさ
13 / 28
■第二話 人にはいくつも顔がある

しおりを挟む
「じゃあ私は、引き続き三好さんのほうを調べますね。田丸さんもそれとなく聞いてみたりもしているそうですけど、やっぱり教えてもらえないそうなんですよ」
 パソコンの画面を真剣な面持ちで見ている谷々越に苦笑する。簡単に口を割らないところを見ると頑固な人なんだろうと思っていたが、それよりもずっとずっと手強い。
「そうだ、蓮実ちゃん。ふたりが出会った婚活パーティーを主催した結婚相談所のほうには聞いてみた? 三好さんを担当者した人なら、入会のときやヒアリングなんかでプライベートなことも聞くだろうし、上手くいけば教えてもらえるかもしれないよ」
 すると谷々越は、思い出したように画面から顔を上げた。
「――盲点……!」
 蓮実は雷に打たれたように全身に衝撃が走る。
「ああもう……。菖吾が探偵かもって気づきもしなかったし、結婚相談所のことも、ちっとも頭にありませんでした。こんなんじゃ探偵失格ですよ。もう自分が嫌です、私……」
 そしてそのまま自分のデスクに突っ伏す。
 自分では三年働いて探偵業も板に付いてきたと思っていたが、全然そんなことはなかったらしい。新宿御苑でも夏芽と三好を見失いそうになって思わず声が出てしまったし、帰りに夏芽とメールしているときも「私たちも」とついうっかり口が滑ってしまった。
 ……黒猫探しのことがあって慢心していたのだろうか。自分の手柄ではなかったけれど、あの依頼はここ最近では大きいものだった。それを解決できたことで、私だってできる――と。そう、変な方向に自信をつけてしまったのかもしれない。
「わわっ。ごご、ごめん……! 蓮実ちゃんはこれから聞こうと思ってたんだよね! そうだよね! そんな矢先にほんとごめん! ぼぼ、僕を嫌いにならないで……!」
 谷々越の必死のフォローが胸に痛い。逆に。
「んなことあるわけないじゃないですかぁ! こんな私を雇ってくれるのは所長くらいしかいませんよ! ちょっと今から行ってきます、待っててください!」
 そうして蓮実は半泣きのまま事務所を飛び出した。外に出ると、梅雨明けの夏空から注ぐ太陽と空の青さが目に染みた。蓮実はそれらを見上げ、グズグズと盛大に鼻を鳴らした。

 かくして、その結婚相談所では、驚くほどあっさり担当者から話を聞くことができた。
『もしここに探偵社の人が来て三好のことを聞きたいと言ってくることがあったら、とても信用できる人なので知っていることを話してほしい』――そう、夏芽が気を利かせて事前に話を通してくれていたらしい。しかも、けっこう前だという。
 そんなことがあるのかと思ったが、そう話してくれた三好の担当者――岡崎藍おかざきあいは、
「三好さんとは二人三脚でこれまでやってきたんです」
 そう言って目を潤ませた。彼女自身がここに転職してきて初めて受け持った会員が三好だったのだそうだ。どういうことかと詳しく聞けば、入会したものの、三好はフラれてばかりだったというのだ。何度もお見合いをして、パーティーにも参加して。でも、全然モテずにすっかり自信をなくしてしまっていたという。そんな三好を見るたびに岡崎は自分の無力さや経験の浅さを痛感して、ひどくやるせなかったのだと言った。
「だってそうじゃないですか! 田丸さんとお付き合いなさるまで、かれこれ二年もかかったんです! その間、どれだけの女性会員にフラれてきたことか……! それを間近で見てきたんです、情も移るってもんですよ、移りまくりの湧きまくりですよ!」
 ダンッ。個室のテーブルに拳を叩きつけ、岡崎は心底悔しそうに言う。
「私、いつも三好さんに言ってたんです、必ず三好さんを好きになってくれる女性が現れますから諦めないでください、って。でも三好さん、失礼ですけど服装や身だしなみに無頓着な方で、おまけに猫背でひょろっとしてるじゃないですか。どうにもそこが野暮ったかったり頼りなさげに見えてしまうので、なかなかデートに発展しなくって……」
 デートを尾行したときの三好の格好が思い浮かぶ。……確かに。
「だから私、半年前のパーティーのとき、事前に三好さんに言ったんです。このパーティーで出会いがなかったら諦めましょう、って。そして、こうも言いました。バリバリに気合いを入れなくてもいいから、カジュアルめを意識したスーツでおいでくださいって」
「それはどうして……?」
 尋ねると、岡崎は言う。
「これが不思議なんですけど、カッチリしすぎていても、かえって取っつきにくいし、カジュアルすぎても真剣に結婚相手を探しているように見えないんです」
「へえ、なるほど」
 でも、言われてみれば確かにそうかもしれない。
 三つ揃えのスーツなんて着て来られても、こんなに立派なスーツなのに中身になにか重大な欠点があるのだろうかと疑ってしまったりもするし、逆の場合だってそうだ。あんまりチャラチャラしていたら、真剣じゃねーわこいつ、と早々に斬り捨てる。
 みんながみんな、そうではないだろうけれど、男性陣に品定めされていると同時に女性陣だってがっつり品定めしているのだ。誰だって、いい人と巡り合いたい。
「で、三好さんの場合は、これがラストチャンスだってプレッシャーをかけないと、ご自身の身だしなみに気を使わない方だってわかってましたから、わざと脅かすようなことを言ったんです。二人三脚でやってきたんです、お人柄は頭にありました。当日は、この人が素敵だなと思ったら、たくさん話さなくていいから『カップリングのときにあなたの名前得を書きます』って、それだけは絶対に伝えてくださいと念を押しました。そうしたら田丸さんとお付き合いなさることになって……! あのときは本当に嬉しかったですね!」
 そして岡崎はキラキラと目を輝かせた。
 なんと。あのときの三好の言葉はこの彼女が一枚噛んでいたというわけか。
 三好の人柄もよく知っているようだし、プレッシャーのかけ方も上手い。さすが、二人三脚でやってきただけあると蓮実は素直に感心した。にっちもさっちもいかなくなったら、彼女に担当に付いてもらって結婚相手を探そう。そうなる前に自力で見つけたいが。
 それはともかく。
「それなら、三好さんのご職業もご存じで……?」
 んん、と軽く咳払いをして、蓮実はいよいよ本題に入った。
「はい。田丸さんから話は伺っています。私も田丸さんに直接お答えしようかどうか、ずいぶん悩みましたけど――三好さん、実は超超人気の漫画家さんでいらっしゃるんですよ。だから、どうお答えしたらいいのか、その場では考えがまとまらなくて」
「……作家じゃなくて?」
「ええ。しかも『別冊アネモネ』の」
「アネモネって……少女漫画じゃないですか‼」
「だからですよ。こんな猫背のひょろのっぽが少女漫画なんて……って。それが三好さんの口癖でした。これも私の案なんですけど、だったら『作家』ってことにして、その肩書きに左右されないような女性を探しましょうって言ったんです。本来、職業を偽ることはいけませんけど、なにしろ三好さんは性別も年齢も非公開にしている方ですから。それに、作品の面白さだけで勝負をしている方ですからね。その潔さに胸を打たれたんです」
 すると岡崎は、度肝を抜かれる蓮実をよそにサラリと真相を言ってのけた。
「なんと……」
 すっかり脱力してしまった蓮実は、ふにゃふにゃと椅子の背もたれに寄りかかり、ぼんやりと宙を見上げる。どうりで調べても調べても作家名も作品名も出てこなかったわけだ。
 だってそもそもジャンルが違うんだもの! 電子書籍作家まで調べていた自分たちは一体……。いやいや、考えるな考えるな。考えたら涙が出るから考えてはいかん。
「でも、どうして岡崎さんはここまで情報を開示してくださるんですか?」
 なんとか気を取り直して尋ねる。
 二年も二人三脚でやってきたからとはいえ、普通、ここまでのことをするだろうか。
「ああ、それはですね、私も常々、三好さんにはお幸せになっていただきたいと思っていたからですよ。さっきも言いましたけど、二年です、二年。最初は『漫画家』って名乗っていたんですけど、お相手の女性たちはみんな、どんな漫画を描いているかにしか興味がない様子で。言い方は悪いですけど、三好さん自身のことには興味がない感じでした。次は確か『出版社勤務』でしたでしょうか……それもやっぱり同じで。編集部には行かないのかとか、作家先生の素の様子が知りたいだとか、そういうことばっかり。紆余曲折あって最終的に落ち着いたのが『作家』でした。今までとほとんど変わりはありませんが、こうなったらどんな職業でも三好さん自身に興味を持ってくださる方を探すしかないという結論になったんです。そこに現れたのが田丸さんでした。パーティーの席で三好さんは、田丸さんだけは自分の職業のことを深く聞いてこなかったと言って嬉しそうに笑っていました。私も田丸さんなら……と。そう直感したんです。その直感は見事に当たって、今は辻堂さんもご存知の通りの関係に発展してくださいました。だからお話ししてもいいと思ったんです」
 そう言うと、彼女はしみじみと頷く。そして続けて、
「せっかくのご縁です。こんなことでダメになってほしくないんです」
 切ない笑みを浮かべた。
「だって、探偵さんまで頼むってことは、田丸さんはなかなか本職を打ち明けてもらえないことをひどく不安に思ってるってことじゃないですか。でも、少女漫画を描いていることを打ち明けられない三好さんのお気持ちも十分に察せるんです。いつかは私からも打ち明けてみてはとご提案するつもりではいましたけど……先日、田丸さんから探偵さんの話が出たとき、相当なんだなって、そのときになって初めて気づいたんです」
「それでこんなにお話を……」
「はい。田丸さんのお気持ちも察せず、本当に情けない限りです。結婚したいと思っている人に秘密を持たれるなんて、信用されていないんだなって思って当然ですよね。なのに、やっと三好さんに春が来たことで、私も半年も浮かれたままだったんです。……まるで雷に打たれたような気分でした。慢心していたんでしょうね。でも、探偵社さんのお名前も伺っていませんでしたので、こちらから連絡をすることもできず……本当にすみません。私がもっと強く三好さんに本職を明かすことを勧めていたり、田丸さんが不安に思う気持ちを察せたりできれば、こんなにややこしいことにはならなかったのに」
「いえ……」
 それから蓮実たちはしばし口を閉じた。彼女の言葉には覚えがある。さっきの自分だ。
 もしかしたら夏芽は、岡崎に〝探偵〟の二文字を出すことで決意や覚悟を示したかったのかもしれない。それを受けた彼女は彼女なりの誠意を持って蓮実に三好のことを打ち明けてくれているのだ。夏芽のこともそうだけれど、岡崎にだって、その切実な思いや葛藤を十分に汲み取ることができず、蓮実は本当に申し訳ないし情けない気分だった。
 見たところ、岡崎とは歳も近そうだ。せいぜい一つか二つ、彼女のほうが上だろうか。よそからの転職だと言うので、勤続年数は蓮実とそう変わらないかもしれない。そのこともあって彼女は協力的なのだろう。一人前になってきたなと思っていた矢先の慣れから生まれる配慮の足りなさだったり、うっかりだったりは、身に染みて堪える。
「――じゃあ、ふたりで挽回しましょう! こちらにお伺いするのが遅くなってしまったのは、私がうっかりしていたからなんです。本当に探偵失格です。田丸さんはこんな私に信頼を寄せてくださっているのに。だから、ふたりで挽回するんですよ!」
 そう声高に言うと、はっと目を瞠った岡崎の瞳から涙がぽろりと零れ落ちた。彼女の澄んだ瞳からは、頷くたび、瞬きをするたびにぽろり、ぽろりと綺麗な涙が落ちていく。
 蓮実も目の奥がじんと熱かった。それは、自分のぼんくら具合だったり、ほかにも多くの担当を抱えているだろうに、付き合いに発展してもずっと忘れず心を砕き続ける彼女の仕事に対する熱さだったり、夏芽や三好の心情を思ってのことだったり、様々だ。
 ――頑張らなきゃ、私も。
 目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、蓮実はそう、気持ちを新たにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...