谷々越探偵事務所の迷推理事件簿

白野よつは(白詰よつは)

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■第二話 人にはいくつも顔がある

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「所長! 菖吾のやつ、やっぱ探偵でしたよ!」
 憤然としたまま事務所に戻ると、蓮実は開口一番、谷々越に食ってかかった。別に谷々越がなにをしたというわけではないのだけれど、この怒りや裏切られ感や、バカにされ、上手く躱された悔しさを誰かに放出しないと腹の虫が治まりそうになかったのだ。
 気を落ち着けるために、ちょっとお茶をした。でも、その間も沸々と腹の底から湧き上がるのは怒りだけだ。煮えたぎるような思いでコーヒーを二杯飲んで、ついでにチーズケーキも食べた。スイーツは人の心を溶かしてくれるが、やはりどうにもならずに二個食べた。
 ついには谷々越に放出してしまったというわけだ。とばっちりにも程がある。
「お、おかえり蓮実ちゃん。このまま戻ってこなかったらどうしようかと……」
 けれど谷々越は、蓮実が戻ってきただけで嬉しそうだ。噛みつかんばかりの勢いで理不尽に大声を出されているのに、やはりコミュ障なだけあって、そこが一番気がかりらしい。
「だから、そんなわけないって言ってるじゃないですか。三郎探しのときも似たようなことを言ってましたけど、もとより私は谷々越探偵事務所属性なんですから。うっかり連発の探偵なんて、どこも雇ってくれませんよ。いい加減、そこんとこ信じてくださいよ」
 疑い深いというか、とことん自分に自信がないというか。そこが谷々越の愛すべきところで、丸め込みやすいところでもあるが、いつか利用されないかとヒヤヒヤもする。
「――ところで、その菖吾君のことなんだけど」
 すると、谷々越の口調が急に変わった。どうやらスイッチオンらしい。
「はい」
 蓮実は自分の椅子を谷々越の隣に引き寄せ、そこに腰を落ち着ける。
 なんとなく声を潜めてしまうのは、これから知り合いの素性が暴かれることへの罪悪感や後ろめたさを感じているからだろうか。たいがい裏切られたもいいところなのに、そこまでされてもなお、まだ嫌いになりきれない自分が蓮実は悔しかった。
 谷々越がパソコンの画面を見せる。そこに指を添え、ある探偵社を指し示す。
「僕のほうでも調べはついたよ。――彼、ブラックリスト行きスレスレのグレーな探偵社にいるみたいだね。探偵個々に課せられるノルマがすごいみたい。ここにもあるけど、違う探偵社に転職した元社員の話では、失敗したら罰金を支払わせるらしい。さすがにこのやり方はいただけないね。なにがなんでも成功させなきゃ自分の懐が痛むんだ、手段を選んでる場合じゃないし、プレッシャーも相当なものだよ。業界での評判も、いわずもがな悪いね。例によって、そろそろマークされるだろうってときに会社名を変えてる。依頼者側からすれば表向きはクリーンな探偵社に見せてるところもタチが悪い。それなら外からはわからないからね。ここの探偵がよそに移らない限り、内情までは見えないことになってる」
「……なんだか簡単にはよそに移れない雰囲気ですね」
「だね。どういうふうにして探偵を囲っているかはわからないけど、探偵社を名乗っているってことは、経営者も探偵だろうからね。抜けようとしてる社員にとって誰にも知られたくないことを掴んで脅しに似たようなことをしているのかもしれない。弱みを握られたら、人は脆いよ。菖吾君もそうだったとしたら、相手が蓮実ちゃんでも手は抜けないよね」
「ですね……」
 だから菖吾は逐一、蓮実の行動を監視していたのだろう。なにか有力な手掛かりを掴みやしないか、夏芽からの依頼はなんなのか。自分が受けた依頼を遂行するために邪魔だと判断せざるを得なくなったら、菖吾は蓮実に一体なにをするつもりでいたのだろう。
 でも、だったらおかしくないか。
「……あの、所長」
「なに、蓮実ちゃん」
 そこで蓮実は、結婚相談所で岡崎からどんな話を聞いたか、そのあと菖吾とどんな話しをしたのかを詳しく話した。作家名や作品名を聞き忘れたことは、もちろん伏せて。
「もし菖吾も、人には知られたくないなにかを掴まれているんだとしたら、私に三好さんの本当の職業を教えたり、ヒントめいたことを言うでしょうか。まあ、単に私が軽く見られてるだけでしょうけど、失敗したら罰金なんですから、口を割れるわけがありません。もちろん抜ける意思があるなら別でしょう。助けてくれってサインだと受け取れますし。けど、菖吾は皮肉った顔で笑ったんです。あの顔は辞めたそうには見えませんでした」
「うーん」
 すると谷々越は思案顔で一声唸った。
「蓮実ちゃんがそう言うなら、そうなんだろうけど……菖吾君が困っているときに無意識に出ちゃう癖とかない? 逆に、癖を見て、ああ困ってるんだなって感じた経験とか」
「癖、ですか……? 今は特に思い当たりませんけど、挙げるとすれば、頭の後ろに手を当てるくらいでしょうか。新宿御苑で会ったときも、三好さんのマンションのそばでばったり会ったときも、頭の後ろに手を当ててましたし。でも、さっきはそんなことありませんでしたよ。ただただ憎たらしい顔で笑って……! なんだこいつ、って思いましたもん」
「そう」
 そしてまた、うーんと唸る。
「それに、その岡崎さんって女性の話も気になるんだよね」
 すると今度は岡崎の話に移った。ひとまず菖吾の話は終わりということだろうか。もうちょっと菖吾の文句を聞いてほしいところだったが、スイッチオンは止まらないらしい。
「へっ? あ、そうですか?」
「うん。僕も依頼主は第三者なんじゃないかと思うんだ。実際に三好さんが田丸さんを見る目や様子を見たわけじゃないけど、田丸さんに重要な欠点があるようには見えないし。となると、お互いに別れる意思はないことになる。田丸さんが僕たちのところに相談に来たのは、三好さんがなかなか職業を明かしてくれないことから、彼の体を心配してのこと。それに引き換え岡崎さんは、ずいぶん前から三好さんの本職を知っていたわけでしょ。人気漫画家で、なおかつ作者の情報は非公開、アシスタントも幼馴染の津森さんひとりでずっとやってきたとなると、僕はこの件に少なからず岡崎さんも関わっているような気がするんだよ」
 少々意表を突かれつつ尋ねると、谷々越は思案顔のまま、そんなことを言う。
「まさか」
 蓮実は咄嗟に否定の言葉が口をついた。だって、それはいくらなんでも、ややこしすぎやしないだろうか。菖吾が出てきた時点ですでに蓮実の頭はこんがらがっているのだ。もしこれ以上ややこしいことになるなら、脳みそが入れ替わってしまいそうだ。
「僕は田丸さんが心配だよ。ここ二週間で変わったことがなかったか、聞いてみてくれる? もしあったら、彼女のそばについていてあげて。菖吾君から接触があるかもしれない」
「え……」
「本当に別れたら、誰が一番得をする? そうさせないことも僕たちの仕事だよ」
 けれど谷々越の表情は真剣そのものだった。探偵をあくどいやり方で囲い込むような探偵社だ、蓮実に喋った手前、早々に行動に移すことも考えられるからだろう。
「――は、はいっ」
 蓮実は弾かれるようにして立ち上がると、自分のデスクに向かって受話器を取った。
ふたりが別れるようなことになったら、それこそ本末転倒だ。菖吾に負けるとか勝つとかそういう問題じゃない。そもそも、こちらはそんな次元で動いていないのだ。
「もう定時を過ぎてるはずだよね。え、なんで出てくれないの……」
 しかし、コール音が虚しく繰り返される。蓮実の胸は不穏に騒いだ。
 蓮実の頭の中を占めているのは、ただただ夏芽や三好のこと。結婚するなら大介君しかいないと思っている、と言った夏芽はもちろんのこと、結婚相談所に通っていた三好のほうにも結婚する意志はあるのだ。考えるのだ、ふたりが別れたら一番得をする人物を。
「――所長、もう二十回もコールしてますけど、田丸さん出てくれません……!」
「すぐに行こう」
「はいっ」
 夏芽になにかあったのかもしれない。蓮実と谷々越は急いで事務所をあとにした。


 そうして見つけた夏芽は、岡崎とレストランで席をともにしていた。事務所を飛び出してしばらくして、着信があったことに気づいた夏芽が蓮実のスマホに折り返しの電話をくれたのだ。まさか危害を加えるようなことは……とハラハラしていたが、元気そうな声を聞いてようやく生きた心地がした。本当に大事なくてよかった。
 蓮実の切羽詰まった声に気圧されつつも、夏芽は、
『岡崎さんに誘われて、イタリアンレストランに来ているんです。実はプライベートでも仲良くさせてもらってるんですよ。ジャルディーノってお店で、場所は――』
 そう言い、店名と場所を教えてくれた。
「どうですか、菖吾、いますかね?」
「いや、蓮実ちゃんしか菖吾君の顔を知らないでしょう」
「あ――」
「大丈夫。知り合いが絡んでると、冷静さを失っちゃうものだよ。蓮実ちゃんは人が良いから。なんだかんだ言って、誰のことも心配なんだよね。わかってる、気にしないで」
「すみません、ほんとに……もう……」
 谷々越と表の通りで立ち話をしているふうを装いつつ、赤面ものの会話をする。……確かに。話はしても、サークル当時の写真を見せたことはなかった。谷々越が知るわけがない。
 深いため息を吐き出しながら、本当に今日はどうかしていると蓮実は頭を振った。菖吾があんなやつだったなんてと、自分で思っていたより衝撃が大きかったのかもしれない。場合によってはこれから謎解きがはじまるのだとしても、役立たずで終わりそうな気がする。
 ――と。
 そこにある人物が現れた。ずんぐりむっくりした……いわゆるタヌキみたいな体型をした男性だ。歳の頃は三十代前半から中盤にかけてだろうか。彼はふたりの席まで足を進め、岡崎に声をかける。彼女は気さくに応じ、同席を勧めるような仕草をした。
「あれは誰ですかね? 田丸さんの様子を見ると、岡崎さんのお知り合いみたいですけど」
「津森さんだったりして」
「え、幼馴染でアシスタントの?」
「うん」
 と言っているそばから、またしても三人の席に向かう人物が現れた。三好大介だ。岡崎や津森(仮)とは反対に、夏芽が驚いた顔をしているところを見ると、ここに三好大介が現れることは夏芽以外は知っていたらしい。
 三好のほうもまた、夏芽と津森(仮)がいることは知らなかったようだ。会話の内容までは聞こえるはずもないのだが、夏芽の隣に腰を下ろした三好が、彼女にひとしきり驚いたあと、岡崎の隣に座る津森(仮)に『お前も来てたの?』というようなリアクションを取っていることから、彼は津森で間違いないようだ。
 ということは、夏芽は三好と津森が来ることを知らなかった。三好は夏芽と津森がいることを知らなかった、ということになる。全部を知っているのは岡崎と津森だ。
 すると、さらにまた四人の席に追加の人物が現れる。夜でもかなり蒸し暑くなってきたのに、サマースーツを涼しげに着こなし、手にはビジネスバッグ、もう片手にはなにやら書類の入ったファイルを持った――「菖吾っ!」「へえ、彼が」そう、菖吾だ。
 菖吾はしかし、席には付かずにテーブルの真ん中にファイルを置く。夏芽、三好、津森の視線が不思議そうにそのファイルに集まる中、岡崎だけはまるでこのときを待ちわびていたかのようにすっと手を伸ばし、中から書類を引き抜き目を通しはじめる。
 津森は、四人で集まることは知っていたようだが、どうやらそれ以降のことは知らなかったらしい。岡崎が書類に目を通す横顔を不安げな表情で見つめているだけだ。
「なに呑気な声出してんですかっ。乗り込みますよ!」
「うん。彼も強行だけど、岡崎さんもどうやら強行だったようだね。蓮実ちゃんが彼女と接触を持ったことで、今日終わらせるつもりかもしれない。急ごう」
「なにそれ、全部私のせいじゃないですか……!」
「まあ、遅かれ早かれ、こうなる予定だったんだろうね。気にしないほうがいいよ」
「そんなの慰めにもなりませんよ……」
 そうして蓮実は半泣きになりながら谷々越のあとに続いて店のドアをくぐった。
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