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第一章 5月6月
不安しかない初出動
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ある日、優香が単刀直入に訊いてきた。
「キサラギさんってさー、お仕事はしないのぉ?」
―― そう言うアンタはどうなのよ?
突っ込みたい気もあったが、紀美は責めている雰囲気を出さぬよう、ごく軽い口調で、
「うちが落ちついてきたら、パートでいいから、仕事を始めたいな」
と言ってみる。
が、その一言に、優香がはげしく反応した。
「じゃさ、『サンマーク』のお仕事に来ない?」
―― サンマーク?
「なにそれ? スーパーか何かの名前?」
優香が笑って答えた。
「学校で毎週木曜の午後、集まってやるお仕事なのよ」
「学校、で?」
うんうん、と優香が小刻みにうなずく。
「あのね、学校のみんなに、商品についているサンマークってのを集めてもらってるの。それを仕分けて集計して、送ると集まった分だけ学校の備品とかが買えるんだ。作業自体もなんだか工作やってるみたいだし、やってる仲間もいい人たちばっかりだし、楽しくおしゃべりしながらでも仕事できるし、おすすめだよ」
「えっ? 学校でやるお仕事、なの? 商品に、ついてる? 何の商品? 備品が買える、って?」
「今まで、飛び箱とか一輪車も買えたんだよ!」
「……すごいね、でも、それがお金になるの?」
「そうなんだよぉ、お金になるんだってば!」
マーク集めと工作じみた作業で飛び箱が手に入る?
ますます訳が分らない。
学校で内職のようなことができるということなのだろうか?
それに……心配なこともある。
「工作、って言ってもさ、あたし……けっこう不器用なんだ」
優香が目を丸くする。
「なことないって、お裁縫とか上手じゃん。パッチワークとか」
確かに、訪ねてきてすぐに、玄関に飾ったお手製のパッチワークを真っ先にほめてくれたのは優香だった。夫の泰介すら、一度もコメントしてくれなかった作品を。
「あたしなんてもっとブキッチョだって。まあとにかく、今度木曜日一緒に行こうよ」
紀美は「でもさ……」とずっとしぶっていたのだが、優香が最後に叫ぶように言った、
「とにかく、ものすごくたのしいんだよ!」
の一言で、思わずうん、と首を縦に振った。
その日の決断が彼らのその後の運命をがらりと変えてしまったとは、優香はおろか、紀美もまるで、知る由もなかった。
紀美は茶碗を洗いながら、ぼんやりと手元を見つめていた。
「……だよな」
リビングから夫が発した語尾だけ聞こえ、紀美ははっと顔をあげる。
「……なに」
「ママが学校にいるんなら、ルイも安心だよな、って言ったんだよ」
「……木曜だけだよ、木曜の午後」
「おい」
夫の泰介がテレビからわざわざふり返って、紀美の方をみた。
「何か声が暗いよ。きょう、行って来たんだろ?」
紀美は大きく息をついた。
そう、確かに行ってきたのだ、初めてのサンマーク作業に。
まさかあんなものだったとは。
まさかあんなに、バカバカしいものだったとは。
「えっ、なんて言ったの? まさかあんなに?」
つい、声に出ていたらしい。
紀美、はあっと大きく息をついてから、わざと明るく声に出した。
「ルイが喜んでくれてるし……まあがんばる、しばらくは」
「しばらく? いつまでやるの? そのお仕事」
「お仕事……」
お仕事というのは、空しいことばだ。
それにしても、と紀美は思わず右肩に手をおく。
肩と首筋が凝って、頭痛がひどくなっていた。目もなんとなくかすんでいる。
昼からのあまりにも濃い一部始終を、紀美はいやでも頭の中で思い返していた。
優香に誘われた次の木曜日。
紀美は早めに昼食を終えて、自宅の玄関先に出ていた。
雨がひどく、傘をさしていてもサマーセーターの裾がどんどん湿っていくのが判る。
玄関先のひさしを、もう少し大きいものに替えた方がいいかな、と漠然と思い、いったん家の中に戻ろうと鍵を取り出した。
約束の時間からすでに十分以上経っている。
お仕事の開始は十三時からと聞いていたので、今から歩いて行ったのではギリギリになってしまいそうだ。
車で出た方がよさそうだ、と思ってから、先に優香に連絡しよう、とラインを開いてみた。
しまった、と紀美は画面を凝視する。
以前、某SNSのIDを交換したのは良かったが、優香はささいなことでもすぐに連絡を、しかも何度も寄こし、しかも一回に送ってくるスタンプの数も半端なかったので通知をオフにしてしまっていたのだ。
今改めて見ると、彼女からのトークが十を超えているのに気づいた。
あわてて開いてみると、連絡はつい昼前に連続して送られてきたものだった。
『(こんにちは・スタンプ)』
『(おつかれー・スタンプ)』
『雨、やだねー』
『今日ごめんね』
『(ごめんね・スタンプ)』
『きゅうに用事がはいって』
『いけなくなった』
『(がーん・スタンプ)』
『(涙・わざとらしいスタンプ)』
『がっこう、二階のすみのお部屋です』
『(ヨロシク・かわいいスタンプ)』
『(ヨロシク・〃)』
『(ガンバレ・スタンプ)』
彼女らしく、スタンプがやたらちりばめられている。しかも、なぜかヨロシクのスタンプが二回送られている。
紀美は、ため息をついて傘と車のキーを取り上げた。
返信はあえて、送らなかった。
「キサラギさんってさー、お仕事はしないのぉ?」
―― そう言うアンタはどうなのよ?
突っ込みたい気もあったが、紀美は責めている雰囲気を出さぬよう、ごく軽い口調で、
「うちが落ちついてきたら、パートでいいから、仕事を始めたいな」
と言ってみる。
が、その一言に、優香がはげしく反応した。
「じゃさ、『サンマーク』のお仕事に来ない?」
―― サンマーク?
「なにそれ? スーパーか何かの名前?」
優香が笑って答えた。
「学校で毎週木曜の午後、集まってやるお仕事なのよ」
「学校、で?」
うんうん、と優香が小刻みにうなずく。
「あのね、学校のみんなに、商品についているサンマークってのを集めてもらってるの。それを仕分けて集計して、送ると集まった分だけ学校の備品とかが買えるんだ。作業自体もなんだか工作やってるみたいだし、やってる仲間もいい人たちばっかりだし、楽しくおしゃべりしながらでも仕事できるし、おすすめだよ」
「えっ? 学校でやるお仕事、なの? 商品に、ついてる? 何の商品? 備品が買える、って?」
「今まで、飛び箱とか一輪車も買えたんだよ!」
「……すごいね、でも、それがお金になるの?」
「そうなんだよぉ、お金になるんだってば!」
マーク集めと工作じみた作業で飛び箱が手に入る?
ますます訳が分らない。
学校で内職のようなことができるということなのだろうか?
それに……心配なこともある。
「工作、って言ってもさ、あたし……けっこう不器用なんだ」
優香が目を丸くする。
「なことないって、お裁縫とか上手じゃん。パッチワークとか」
確かに、訪ねてきてすぐに、玄関に飾ったお手製のパッチワークを真っ先にほめてくれたのは優香だった。夫の泰介すら、一度もコメントしてくれなかった作品を。
「あたしなんてもっとブキッチョだって。まあとにかく、今度木曜日一緒に行こうよ」
紀美は「でもさ……」とずっとしぶっていたのだが、優香が最後に叫ぶように言った、
「とにかく、ものすごくたのしいんだよ!」
の一言で、思わずうん、と首を縦に振った。
その日の決断が彼らのその後の運命をがらりと変えてしまったとは、優香はおろか、紀美もまるで、知る由もなかった。
紀美は茶碗を洗いながら、ぼんやりと手元を見つめていた。
「……だよな」
リビングから夫が発した語尾だけ聞こえ、紀美ははっと顔をあげる。
「……なに」
「ママが学校にいるんなら、ルイも安心だよな、って言ったんだよ」
「……木曜だけだよ、木曜の午後」
「おい」
夫の泰介がテレビからわざわざふり返って、紀美の方をみた。
「何か声が暗いよ。きょう、行って来たんだろ?」
紀美は大きく息をついた。
そう、確かに行ってきたのだ、初めてのサンマーク作業に。
まさかあんなものだったとは。
まさかあんなに、バカバカしいものだったとは。
「えっ、なんて言ったの? まさかあんなに?」
つい、声に出ていたらしい。
紀美、はあっと大きく息をついてから、わざと明るく声に出した。
「ルイが喜んでくれてるし……まあがんばる、しばらくは」
「しばらく? いつまでやるの? そのお仕事」
「お仕事……」
お仕事というのは、空しいことばだ。
それにしても、と紀美は思わず右肩に手をおく。
肩と首筋が凝って、頭痛がひどくなっていた。目もなんとなくかすんでいる。
昼からのあまりにも濃い一部始終を、紀美はいやでも頭の中で思い返していた。
優香に誘われた次の木曜日。
紀美は早めに昼食を終えて、自宅の玄関先に出ていた。
雨がひどく、傘をさしていてもサマーセーターの裾がどんどん湿っていくのが判る。
玄関先のひさしを、もう少し大きいものに替えた方がいいかな、と漠然と思い、いったん家の中に戻ろうと鍵を取り出した。
約束の時間からすでに十分以上経っている。
お仕事の開始は十三時からと聞いていたので、今から歩いて行ったのではギリギリになってしまいそうだ。
車で出た方がよさそうだ、と思ってから、先に優香に連絡しよう、とラインを開いてみた。
しまった、と紀美は画面を凝視する。
以前、某SNSのIDを交換したのは良かったが、優香はささいなことでもすぐに連絡を、しかも何度も寄こし、しかも一回に送ってくるスタンプの数も半端なかったので通知をオフにしてしまっていたのだ。
今改めて見ると、彼女からのトークが十を超えているのに気づいた。
あわてて開いてみると、連絡はつい昼前に連続して送られてきたものだった。
『(こんにちは・スタンプ)』
『(おつかれー・スタンプ)』
『雨、やだねー』
『今日ごめんね』
『(ごめんね・スタンプ)』
『きゅうに用事がはいって』
『いけなくなった』
『(がーん・スタンプ)』
『(涙・わざとらしいスタンプ)』
『がっこう、二階のすみのお部屋です』
『(ヨロシク・かわいいスタンプ)』
『(ヨロシク・〃)』
『(ガンバレ・スタンプ)』
彼女らしく、スタンプがやたらちりばめられている。しかも、なぜかヨロシクのスタンプが二回送られている。
紀美は、ため息をついて傘と車のキーを取り上げた。
返信はあえて、送らなかった。
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