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第二章 7月
フジコの居場所
しおりを挟むプールからの歓声もいつの間にか止んでいる。
「ケガかなー」
エミリがひとりごとのように言った。「いや、させたか」
たいして大きくはないが、エミリの声は妙によく通る。紀美が
「え?」
と訊き返そうとした時
「さあ続きやるよ」
委員長のひと声で、場は急にまた作業モードへと巻き戻る。
それから終了時まで、結局フジコは帰ってこなかった。
フジコがバッグを置きっ放しで行ってしまったので、誰かがフジコを探して渡すことになった。
作業室の鍵をかけてから、委員長が一通りメンバーを見渡して
「今回は伊藤さん」
伊藤を手招きする。
えー春日さんだって四年で保護者どうしなのに? アタシこないだも……言いかけたところに春日が後退りする。
「すんません、今日リンくん眼科の予約入ってて」
口を尖らせてカバンを受け取る伊藤に、脇からエミリがぼそりとつぶやく。
「ヤマダ先生もいるかもよ」
急に輝くような笑みを浮かべ、伊藤は「分かった」とフジコのバッグを小脇に抱えた。
「鍵と日誌も返してきてくれる?」
ミドリコが鍵のついたファイルを差し出すと、
「それは新人さんに任せた方がいいと思います!」
と、邪険な言い方でなぜか紀美を指名する。
委員長はため息まじりに
「じゃあ、ふたりでお願い」
そう言うと、お疲れさまー、と挨拶、その場で解散となった。
伊藤が
「鍵の借り方と返し方、教えてあげるね」
と偉そうに紀美を引き連れて職員室にたどり着くと、残念ながら
「ヤマダ先生?」
名前すら紀美の記憶にないおじいちゃん先生が考えかんがえ言った。
「さっきまで、父兄の誰だかと会議室にいたけどさ、さっき話が終わって、帰ったよ」
えー? 伊藤はまた口を尖らせる。
「父兄の人って? 松江さんですか」
もうすっかり状況に興味を失った伊藤に代わり、紀美が訊ねると
「だったかなー、どうだったか」
個人情報を明かしたくないのが見え見えの返答に、じゃあいいです、と引きさがる。
誰しもエミリみたいな人ばかりではないのだ。まあそれはそれで恐ろし過ぎるが。
鍵とファイルを教務主任に返し、職員室を出るやいなや、伊藤は紀美に、フジコのバッグを突きつけた。
「これ、フジコを探して渡して」
「えっ?」
「アタシ、用事あるから。じゃあ」
抗議する間もなく、伊藤は早足で去っていった。
紀美はのろのろと、また作業室まで上がっていった。
フジコは作業室前にはいなかった。
鍵もかかっていたし、学校内をウロウロと、バッグ探しの旅を続けているのだろうか?
「アタシだって……用事くらいあるんだケド」
紀美はすでに、涙目になりかけている。
早く帰りたいのは皆、いっしょだ。
何の利益にもならないこんな『ボランティア』の後は、特に。
職員室の前まで戻ってきた時、廊下にまたさっきのおじいちゃん先生がいた。
紀美がよほど困り切った表情をしていると思ったのか、やや顔をしかめてから
「もしかして……」
小さな声で言った。「学校の畑の向こうに、誰かいるかもねえ」
紀美はあやふやに笑って頭を下げてから、靴を履いて表に出た。
ルイはすでに帰ってしまったようだ。
表に出ると、西日にも関わらず日を浴びたとたんに肌からぶわっと汗が噴き出す。
おじいちゃん先生の教えてくれた菜園を目指し、地面をみながら紀美はとぼとぼと歩く。
黄みがかった光の中、菜園のフェンスの向こう、スズカケの木の元にすらりと背の高い影が見えた。
紀美は嬉しくなって、つい駆け出す。
「フジコさあん!」
おお、と紫煙を吐きながら、フジコが片手を上げる。ふんわりとした笑顔だった。
「ごめんごめん、探してくれたんだ? カバン持たせっ放しで」
バッグを受け取る時、フジコは深々と頭を下げる。
「ほんと悪い」
殊勝な姿に、つい、紀美は聞いてしまった。
「だいじょうぶ?」
顔を上げたフジコ、いつものように豪快に笑う。
「いやー、ぜんぜんおっけー」
「どうしたんですか?」
「ま、いつものこったけど」フジコの口調は軽い。
「次男がね、プールの授業に出たくないってゴネて、誘ってくれた友だちを突き飛ばしてさ、その子が頭、打ったんだって。で、一瞬意識飛んじゃったみたいで」
「……たいへんでしたね」
「結局、病院でも異常なし、って。向こうの親も、だいじょうぶですから、って」
「……よかったですね」
「まあね」
フジコが大きく息を吐くと、紫の煙が宙に呪文のような模様を描いた。
「委員長、オニかも知んないけどさ」
「はあ」
「ウチにとっては、けっこうボサツかも」
「なんでですか」
「ヨージローのこともあって、教頭から何度も言われたんだ……ああいう子どもがクラスを乱すんだ、とか、フツウの学校に通えるかちゃんと考えろ、とか」
「……」
それは違う、と言ってやりたかった。
でも、なぜ? そう問われたら。
多分、紀美には何も根拠のあることは言えないだろう。
「お母さん、何かあった時困るから普段からできるだけ学校に待機していてください、って教頭から言われた時にさ、最初はウチもケンカごしだったんだけど、それでも」
西日を浴びたフジコは、どこまでも優しい目をしていた。
「今の委員長と、アイツらだけだったんだよ。サンマークのメンバーのヤツラだけ。
『じゃあ、ここにいれば? ついでに手伝ってくれる?』そう言ってくれたのは」
それは単に人手が欲しいだけだったのかも……のど元までそのことばは出かかっていたのだが、紀美はただ
「ああ」
そう言って、一緒に微笑んだ。
誰かが必要とされて、誰かが必要とする。
それだけでも、いい時があるのかもしれない。
「今度探す時には、ここにおいで。ヤニ喰える場所はここくらいなんだ」
別れ際のフジコの笑顔に、紀美も、めいっぱい応えて大きく手を振った。
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