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転機
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小雨の寒い晩だった。
夕飯は、いつものように母の勤務先であるスーパーの、半額弁当が部屋の隅に寄せてあった。
テーブルは母の領域だから、私はいつも部屋の隅の床で食べていた。
母は、私に背を向けてスマートホンをいじっている。
いつもの光景だ。しかし
「ねえ」
母から唐突に声をかけられた。
よくよく虫の居所が悪かったらしいその日返された算数のテストを目の前でひらひらと振って、彼女が言った。。
「何この点数」
そこから、ずっと説教だ。
話題を変えようと
「あの、保護者面談のお便り、見てくれた?」
そう尋ねたのが間違いだった。
「はあ?」
母の中でスイッチが切り替わる音が響いた。
母は身体的な暴力をふるうことはない。
普段はただ、私をひたすら無視するだけだ。
しかしたまに、言葉の暴力で私をズタズタに打ちのめす。
「誰ができの悪いヤツのために仕事休んで面談なんかに行かなくちゃなの、ありえないしょ?」
母が髪を振り乱しひとりで激昂しながら私をののしり、世間全てを罵倒している間、私は心のふたをぴたりと閉ざし、ただ黙って彼女の目の前に座っているだけだった。
いつもならば彼女のスイッチが切れればそれで終了なのだが、その晩はかなりひどかった。
テーブルをひっくり返し、椅子をけり倒し、ついにはヤカンを掴んでこちらに投げようとした。
私は慌てて靴をつっかけて外に逃げ出した。
「待て!」
これも珍しいことに追いかけてきそうだった。
私はアパートの駐車場を突っ切ってずっと走り続けた。
しばらくしてからそっとアパートに戻ってみる。
三階の私の部屋はすでに灯りが消えていた。こっそり戻ってみたが、案の定、鍵がかかっていた。
雨は上がっていたが、靴の中はびしょぬれだった。
私は外階段の脇にたたずんで、しばらく迷っていた。
こうなるのなら、食べかけのお弁当を持ってくればよかった。上着も欲しいし、どうしたら?
気づいたら、あの男の部屋の前に立っていた。
中から灯りが漏れている。そして相変わらずドアは少し開いている。
助けを求めるには、一番適していない相手だろう、そう思いながらも他に方法はない、そう思いながらもまだ迷っていた。
とりあえずまた戻ろう、振り向きかけた時
「おや」
また、彼が後ろに立っていた。
少し揺れているが、機嫌が良さそうだ。
「こんな時間に、お客様かあ? まあ、どうぞどうぞどうぞ」
吐く息が酒臭い。それに「どうぞ」が多い。
しかし明るい歓迎ぶりに背中を押されるように、私は部屋の中に入っていった。
幸運なことに、彼はコンビニからの帰りだった。
そして、酒だけでなく、食料もたんまり仕入れていた。
終始ご機嫌な彼のよく解からない話にはい、はいと付き合いながらそれでもおなか一杯ごちそうになった。
明け方、彼が床に大の字になって大いびきをかいている中、そっと自分の部屋に帰る。
母の出勤時間は午前六時半だが、五時過ぎくらいに寄りかかっていたドアが急に動いた。
私もうつらうつらしていたようだ。
あわてて飛び起きると、そこにはもう母の姿はなかった。
それでも鍵は開けてくれたようだった。
夕飯は、いつものように母の勤務先であるスーパーの、半額弁当が部屋の隅に寄せてあった。
テーブルは母の領域だから、私はいつも部屋の隅の床で食べていた。
母は、私に背を向けてスマートホンをいじっている。
いつもの光景だ。しかし
「ねえ」
母から唐突に声をかけられた。
よくよく虫の居所が悪かったらしいその日返された算数のテストを目の前でひらひらと振って、彼女が言った。。
「何この点数」
そこから、ずっと説教だ。
話題を変えようと
「あの、保護者面談のお便り、見てくれた?」
そう尋ねたのが間違いだった。
「はあ?」
母の中でスイッチが切り替わる音が響いた。
母は身体的な暴力をふるうことはない。
普段はただ、私をひたすら無視するだけだ。
しかしたまに、言葉の暴力で私をズタズタに打ちのめす。
「誰ができの悪いヤツのために仕事休んで面談なんかに行かなくちゃなの、ありえないしょ?」
母が髪を振り乱しひとりで激昂しながら私をののしり、世間全てを罵倒している間、私は心のふたをぴたりと閉ざし、ただ黙って彼女の目の前に座っているだけだった。
いつもならば彼女のスイッチが切れればそれで終了なのだが、その晩はかなりひどかった。
テーブルをひっくり返し、椅子をけり倒し、ついにはヤカンを掴んでこちらに投げようとした。
私は慌てて靴をつっかけて外に逃げ出した。
「待て!」
これも珍しいことに追いかけてきそうだった。
私はアパートの駐車場を突っ切ってずっと走り続けた。
しばらくしてからそっとアパートに戻ってみる。
三階の私の部屋はすでに灯りが消えていた。こっそり戻ってみたが、案の定、鍵がかかっていた。
雨は上がっていたが、靴の中はびしょぬれだった。
私は外階段の脇にたたずんで、しばらく迷っていた。
こうなるのなら、食べかけのお弁当を持ってくればよかった。上着も欲しいし、どうしたら?
気づいたら、あの男の部屋の前に立っていた。
中から灯りが漏れている。そして相変わらずドアは少し開いている。
助けを求めるには、一番適していない相手だろう、そう思いながらも他に方法はない、そう思いながらもまだ迷っていた。
とりあえずまた戻ろう、振り向きかけた時
「おや」
また、彼が後ろに立っていた。
少し揺れているが、機嫌が良さそうだ。
「こんな時間に、お客様かあ? まあ、どうぞどうぞどうぞ」
吐く息が酒臭い。それに「どうぞ」が多い。
しかし明るい歓迎ぶりに背中を押されるように、私は部屋の中に入っていった。
幸運なことに、彼はコンビニからの帰りだった。
そして、酒だけでなく、食料もたんまり仕入れていた。
終始ご機嫌な彼のよく解からない話にはい、はいと付き合いながらそれでもおなか一杯ごちそうになった。
明け方、彼が床に大の字になって大いびきをかいている中、そっと自分の部屋に帰る。
母の出勤時間は午前六時半だが、五時過ぎくらいに寄りかかっていたドアが急に動いた。
私もうつらうつらしていたようだ。
あわてて飛び起きると、そこにはもう母の姿はなかった。
それでも鍵は開けてくれたようだった。
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