隣近所の山田さん

柿ノ木コジロー

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山田さん

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 それからもたまにそこに行って、片づけを手伝うようになった。
 おじさん名前は? と聞いたら打てば響くように「山田」と答えたので、多分私の『岸田』に合わせてきた偽名だろう。
 追及するのが面倒なのでそのまま山田さん、と呼ぶことにした。

 山田さんに付き合うのは半日までと決めていた。
 片付けや掃除を始めて三時間もすると、山田さんはやたらとそわそわしてくるからだ。

 単純作業の合間には何かと世間話をした。
 お互いに聞かれたくないことが多いのだが、やはりどうしても踏み込んでしまうこともある。
 山田さんどうしてお酒ばかり飲んでいるの? と訊いた時には
「いやなことばかりあってさ……最初は気晴らしに飲み始めて、だんだんと止められなくなって、終いには酒ばかり飲むからいいことが無くなった」
 淡々とそう答えた。
 私が黙っていると、思い出すように続けた。
「昔、仕事をしていた時に上司から言われたんだよ。酒は嫌なことがあったら絶対に飲んではいけない、楽しい時にだけ飲むんだよ、ってね」
「そわそわしちゃうのは何故?」
「もうね……酒なしでは暮らせなくなってしまうんだ、空気が足りなくなってくるみたいに、息が苦しくなってくる」
「病気なの?」
「かもな」
 急に山田さんがこちらを見た。
「リホちゃんは、嫌な時や辛い時、どうやって解決する?」
 えっ、とつい、窓ガラスを拭いていた手を止める。
「……いつものことだから、あきらめるかな」
「今、一番つらいことは何だい?」
「ええとね」
 本心からつい口に出た。
「今度の算数のテスト、できる気がしなくて」
 山田さんが笑い出した。
「そうか、算数のテストね」
 あまりにも笑うので私はむっとして、じゃあ教えてくれる? と半分冗談で聞いた。
 すると急に彼は身を乗り出した。
「俺が教えてやるよ」
「ホント?」
「算数だけは得意なんだ」
 それから、真面目な顔で付け足した。
「あきらめんなよ、算数は」

 それから放課後、母が帰ってくる午後九時近くまで、そして休日、私は山田さんの所で勉強を教えてもらうようになった。
 もちろん、片づけは続行しながら。

 山田さんは、びっくりするくらい教えるのが上手だった。
 それに、気がつくと以前よりずっと、身ぎれいにしていることが多くなった。
 前は煮しめたような色の服ばかりだったのだが、ようやく白い服も見るようになってきた。
 ガスは相変わらず止められていたけど、中古で洗濯機を買って自分で洗濯もするようになったのだと言う。
 ヒゲもきれいに剃っていた。
 頭は相変わらずボサボサだったけど、全体何となく臭かったのが今ではとりあえず、無臭になっていた。
 数時間経つとソワソワするのは相変わらずだったけど、それでも約束通り、私がいる間は全然、お酒は飲まなかった。

 算数がだんだんと解るようになってきた。
 まるで、霞んでいた景色が急にくっきりと見え出したように。
「オマエ、カンニングだろ」
 満点のテストを覗かれて、こう騒いでいる男子の声にも平然としていられるようになった。
 教えて、と頼まれて他の子に説明するうちに、何かと頼りにしてくれる友だちもできて、いろんな話もできるようになり、私は少しずつ、学校の中に居場所を見いだせるようになった。
 山田さんのことは、誰にも秘密にしていたけど。
 それにだんだんと、山田さんの噂も近所では減っていった。
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