隣近所の山田さん

柿ノ木コジロー

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小学6年

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「近頃あんまり、来ないじゃねえか」

 6年になったばかりの頃、山田さんが珍しく口を尖らせてこう言った。

「5年からクラブも始まったし、6年には委員会活動とか責任も多くてさ」
「へえ」
 彼は目をまん丸にして大声で言った。
「もう6年だって? じゃあもう卒業かあ」
「まだ一年先だよお」

 そんな一年間も、あっという間に終わろうとしていた。
 二月はじめには、保護者向けの卒業式の案内が届いた。

 母にはとっくにテーブル経由で案内状は渡していた。
 でも何も言ってこない。
 式の準備や練習が進むにつれ、心が重くなった。

 ある晩、久しぶりに山田さんのところに行った日の帰りがけ、急に呼び止められ、ドアの前で振り返った。

「俺さ……びっくりすることあるんだけど、分かる?」

 じっと山田さんの顔をみる。彼は少しだけ天井を見上げて、足を踏みかえた。

「うーん、分かんない」
「俺さ、ここんとこ酒飲まずに済んでるんだよ」
「えっ!?」
「来週まで飲まずに済んだら、お祝いしようかと思う」
「卒業式だね」
 思わずそう口走った。
「私といっしょだ、卒業だね」

 それでひらめいた。

―― 山田さんに卒業式に出てもらったらどうだろうか?

 少なくても近頃の山田さんは薄汚くない。
 とりあえず匂わない。
 私が学校生活で自信を持てるようになったのは、山田さんのおかげだともいえる。

 問題は、母にどう話すか、だった。


 やっとのことで卒業式のことを伝えたのだが、案の定、母はスマートホンから目を離さなかった。
 忙しいよね、と気遣う様子を匂わせてみる。
 もちろん無表情だ。

「でも、できれば先生が誰かおとなの人と……って、だから」
 ごくりとつばを飲んだのに気づかれただろうか。
「近頃、近所の人でお世話になってる人なんだけど」
「あんた、」
 母が険しい目でこちらを睨んだ。
「自分が母親に世話になってないって言いふらして歩いてんの?」
「違うよ」
 慌てて手を振り回す。
「勉強教えてもらったんだ、ほら、近頃算数の成績上がったでしょ? 他のも……」
「勝手に家庭教師なんてつけてたっての?」
「違うって、ボランティアで教えてくれたの、あの……学校。そう、放課後とか」
「ふん」
 やや、態度が軟化したようだった。
 勝手に学校関係者だと思われたようだ。

 話し合いは終わった。
 ただ会話が無くなっただけなんだけど。

 それでも、良かった、明日は土曜日だから、早速山田さんのところに行って報告しよう、と私は安堵の息をついていた。

 翌日、山田さんにおそるおそる、卒業式に出てもらえないかと頼んでみた。
 えっ?! と山田さんは飛び上がらんばかりに驚いていた。
 怖い母ちゃんは大丈夫なのか? と聞くので大きく何度もうなずく。
「弱ったな、背広、新しいの買わなくちゃな……」
 少しも弱っていない口ぶりだ。
「あとさ、髪も短く切ってよね」
「今どきロン毛のおっさんなんて珍しくないさ」
 でもまあ、リホちゃんがそう言うなら……とまんざらでもなさそうに頭をかいている。
「あとさ……」
 私が続けられなかった言葉を、彼は大真面目に続けた。
「もちろん、酒はもうやらない。式の前も、それからもずっと」

 式はいつだ? それと、俺の方の卒業式はいつにしようか、とすっかり盛り上がっている。
 とりあえずお昼ごはん、何か持ってくるね、と私はドアを開けた。


 自宅には、なぜか母が帰っていた。
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