ピアノの家のふたりの姉妹

九重智

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第四章

第五十六話

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 夏樹はそれからの数日間、彼の空想であの漁師とたびたび出逢った。もう本も開かずぼんやりとあの徳之島の実家を訪ねるのである。大広間、親戚のくだらない内輪話、縁側、一枚の写真。……

 しかしなぜだろう。夏樹にはあの老英雄の顔がうまく思い出せなかった。険しい顔であったはずである。いやもしかすると哀しい顔をしていなかったか? 年老いた人間特有の、引き返せない膨大な後悔な顔を。そう考えれば、あの幼児のころの会話も、しどろもどろなものではなかったか?

 夏樹は漁師から言われた話を巻き戻し聴いた。しかしどうだろう、漁師は壊れた蓄音機の口をしている。雑音ばかりで重大なところばかり欠けて、そのせいで情けない間ができている。こんな醜い音を僕は心に刻んだのだろうか。
老英雄が形式ばかりの、出来の悪い彫刻になったとき、夏樹の困惑は病的だった。彼は夏ぶりに将来というものを考えた。いや考えたというほどでもない。二三度ほど「将来」とつぶやいただけである。しかし病人にはそれでも十分に刺激物だった。夏樹は「将来」という言葉の現実的な響きに眩暈がした。「将来」という語が、あの退廃的な肥満の親戚を連れたのである。

『僕はやはり漁師にはなれない』

 屈辱的な得心。青年の心に、「憧れとそれに成れるのはちがう」という大人じみた発想が浮かんだ。そもそもあの漁師は憧れて漁師になったのだろうか。憧れ、邁進すれば人は憧れになれるのだろうか。もしかすれば人は憧れて何者かに成るのではなくて、もっと別な外的なものが作用してそして気まぐれな運命によって導かれた生を人は後から肯定したり否定したりするのではないか。

 夏樹は運命というものを信じてはいなかった。しかしたびたび彼の頭にはその二文字が顔を出し、そのたびに黒板の悪戯書きのように消していった。夏樹はもし自分が運命にそっぽを向かれたと思うと怖かった。漁師になるという運命、老英雄になるという運命、それは自分のものではないのではないか?
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