けん者

レオナルド今井

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凍らぬ氷の都編

魔物のスター

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 ──私は深い眠りについていた。

 深海のような、まるでこの世界の深淵に放り込まれたとさえ錯覚してしまうような、そんな感覚。

 しかしそれも、遥か遠くから聞こえているようで鮮明な相反する声によって意識が浮上する。

「おーい、起きろー。……まったく、こんなに面倒なら助けるんじゃなかった」

 目を開ける直前、真っ先に聞こえてきた声は非常に不満そうだった。

 仕方なしに目を開けると、声の主と目が合った。

「おや、目が覚めたようだね。どこか体調が悪いところはないかい?」

 目を覚ます直前の悪態とは打って変わってこちらを気遣う言葉に困惑させられる。

 体に痛みはない。相変わらず魔力は消耗したままだが、それでも意識は鮮明だし記憶を失ったりしていない。

「ありがたいことに五体満足よ。アンタが助けてくれたの?」

「それならいいさ。せっかく助けたのに君の身に何かあったら、まるで僕が人間の一人もまともに救助できないと思われるだろうからね。そんなの、大スターである僕にあってはならないことさ」

 傲岸不遜な態度が鼻につく中性的な容姿の少女だが、魔力切れと疲労で気を失っていた私を助けたのはこの人で間違いないだろう。

 それはそうと、この人の魔力は覚えがある。確かこの人は。

「……そう。ところでアンタ、金のなる木の群れに紛れていた魔物ね? 魔物がただの人間を助けるだなんて、いったい何を要求するつもりかしら」

 助けられたのは事実なので、食事を奢れというくらいならレストランに連れていくべきだろうとは思うが。

 いくら魔物とかかわることの多い冒険者稼業をしており、上級職に就くほど手慣れていても、知性を持つ魔物に救われる経験は初めてなので正解がわからない。

「借りを返したのは……。ふむ、魔物界の大スターである僕のカリスマ性は、人間である君にさえ殊勝な態度をとらせるんだね。そしたら、何をしてもらおうかな。確か、最寄りの集落には地域限定スイーツのフレイムソーダがあるし。……いや、せっかく貴族と会えたんだ。ここは霧の都が誇る高級銘菓ロイヤルモンブランを」

 ……魔物界のスターを自称するこの子は本当に大丈夫なのだろうか。

 感じ取れる魔力こそどの最上位の魔物にも引けを取らないのに、妙に人間っぽいというか稚拙というか。

 どんな意地悪い要求をされるかと身構えていたのに、まさかスイーツを欲しがるとは思ってもみなかった。

 とはいえ、菓子の一つで済むのならそれに越したことはない。一応、悪さをしないように釘を刺しておこうと思う。

「貴族として受けた恩は返すつもりよ。でも、それが悪事に加担するような内容なら、私は私の正義を貫くわ」

 拘束などは特にされていないので、杖を構えて警告する。

 すると、血相を変えて驚かれた。

「な、なにをするつもりだい⁉」

「……」

 ……さすがに申し訳なくなった。

 杖を手放して、思わずため息をこぼす。

 すると、自称スターはまるで命拾いしたかのように詰まっていた息を吐いた。

「ふぅ。……君が君の仲間の男と違って理知的な人でよかったよ」

 ケンジローのことだろうか。

 ジョージは魔物に自ら関わりに行くような役職ではないし、敵を見つけても先手を打って攻撃をしかけるような人でもない。

 限られた選択肢から該当人物を絞り込んでいると、スターを自称する魔物に泣きつかれた。

「ひどかったんだぞ、あの男は! この僕がせっかくお礼をしに行ったのに罵詈雑言を浴びせながら逃げ出したんだぞ!」

「あー、うん」

 あの男ならやりかねない。

 そんな感想を抱きながら、愚痴の続きを聞く。

「魔物の流儀として、売られた喧嘩は極力買え、というのがあるから襲い掛かったさ。それは悪かったと思ってるけど、本当に傷つけようとはしてなかったんだ。それなのに……」

「それなのに?」

 喋りながら嗚咽する魔物の次の言葉を優しく催促する。

「足を滑らせて顔から家畜の糞に突っ込んだんだ。普通、紳士なら可哀そうだと思って手を差し伸べるところなのに、あの男ときたら容赦なく剣で切りつけたんだ!」

 あーあー聞きたくない聞きたくない。私の与り知らぬところで何をやらかしてくれているんだケンジローは。

「ご、ごめんなさい。ケンジローには合流したらきつく言っておくから」

 というか、別行動をしていたのは妖魔教団幹部と対峙した日だろうか。

 本当に何をしていたんだ。

「そうしてくれ。……それはそうと、何か質問はあるかい? できる範囲で答えてあげよう」

 まだ魔物がかかわる案件には慣れていないので、聞きたいことは山ほどある。

「いくつか質問するけどいいかしら?」

「どうぞどうぞ」

 聞きたいことは無数にあるが、何よりもまずに聞きたいことがある。

「私は何日寝ていたのかしら。それから、アンタが何者なのか。あとは……」

「多い多い! そんなにいっぺんに聞かれても答えられないよ! 焦ってるのはわかるけど、もっと冷静に質問しろよ、もうっ!」

 いけない、つい夢中になっていた。

 魔物とは思えないほど可愛らしい抗議を受けて我に返る。

「じゃあ、まずは私が何日寝ていたのか教えてちょうだい」

 大事なことだ。

 長いこと目が覚めていないのなら、この子から現状を詳細に聞き出す必要があるし、まだ時間がたっていないなら早急に人口密集地へ戻ってジョージたちと合流できるよう手配するべきなのだから。いずれにしても、今後の決断に必要不可欠な情報を求めた。

「一日だよ。僕が朝靄の街の近くで君を見つけた時にはすでに気を失っていたようだったから、丸一日くらいじゃないかな」

 そろそろ日が変わるからもうちょっと経っているかもね、と付け加えた。

「そう」

 思っていたより時間が経っていなかったようで安心した。

 そっと胸を撫で下ろすと、私の様子を見た魔物の子は満足気に頷いた。

「次の質問はなんだい?」

 機嫌がいいのだろう。誇らしげに催促してきた。

「じゃあ、アンタが何者なのか教えなさい」

「魔物界の大スターだけど?」

 あっけらかんと、それでいて何か重要なことを隠していそうな声色に思える。

 真実を問いただそうと再び杖を構えると、魔物の子は先ほど同様驚いたように身構えた。

「な、なにをする気だ⁉ 殺さないで……」

 応戦の意思は一切見られず、むしろ泣きながら命乞いまでされてしまった。

 短時間で二度もこのような対応をするあたり、実は戦闘経験が乏しいのではないかという印象を抱かされる。

「とって食うつもりはないわ。アンタが従順でいる限りはね」

 強硬姿勢を見せてやれば素性を聞けるだろうか。

 別に知っても知らなくても困ることはないだろうか、こうも未知の情報をちらつかされたら知りたくなるのが人の性だろうと思う。私だって例外ではない。

 平時ならともかく今のは私は魔法一つ使えないほど魔力を使い果たしているので、今までの態度がブラフであれば私の命はここで潰えるだろう。

「そ、そうか。……そ、それより! 君がこれほどまでに僕に興味を示しているとは夢にも思わなかったが、熱狂的なファンである君には特別に僕の秘密を少し教えてあげようじゃないか!」

 態度がコロコロ変わる子だ。正直、それ以上の感想が思い浮かばないのだが、指摘するといつまでも次の行動に移れなさそうなので黙っておく。

「さっきから言っている通り僕は魔物界の大スターだ。このスターにはもちろんアイドル性の意味があるが、それ以外にも花形という意味があるんだ。魔物の生態系において、魔力保有量というのは個としての強さを推し量るうえで絶対的な指標さ。知性に乏しい下級の魔物でさえ、本能でかぎ分けれる」

 そういうことが聞きたいのではないのだが、しかし堂々と可愛らしく語りだしたのでひとまず見守ってやろう。

「人間界での魔法教育がどの程度か知らないから全部説明するけど、僕たち魔物だけじゃなく君たち人類やその他すべての生物は、自然界で生み出される魔力を共有資源として消費しているんだ。そして、その消費量は常に魔力を供給され続けなければ死んでしまう魔物たちが最も多い」

 魔物の子が続ける説明は、霧の国魔法学院に所属する魔法学科自然魔力研究院が得意とする分野だろうか。自然魔力には知見が浅いが、この子が言ったのは重要な基礎理論だったはずだ。落ち着いたらケンジローに書籍を与えてやるべき分野だろう。

「その辺の知識はあるわ。もっと踏み込んだ話をしなさい」

 もっと感謝の言葉はないのかい、と恨めしそうに呟く魔物の子をひと睨みして続きを促す。

「スター・花形はシェアのトップを意味する言葉でもあるわけだけど、この僕こそが最も魔力保有量も魔力吸収速度も優れた魔物なのさ! 言い換えれば、魔力の競争が激しい魔物界において、僕は絶対的な存在なのさ!」

 ふふん、と腰に手を当て誇らしげに言う魔物の子。

 確かに、この子ほど強大な魔力の持ち主は人間魔物問わず見たことがない。私も人間の中では魔力保有量に自信があるが、この子のそれは私の十倍以上はあるだろう。

 しばし誇らしげなポーズのままドヤ顔を続けた魔物の子だが、前触れなくそれまでの様子と打って変わってため息をついた。その表情はとても辛く苦しそうで、なおかつ疲れているようだった。

「僕がこの姿になって三日経つが、それまでも潜在的に魔力保有量は高かったんだ。もっとも、君たちが金のなる木の持つ大量の魔力を霧散させるまでは、可愛いだけのスターだったんだけどね」

 なるほど。つまり私たちは自らの手で人類の脅威を生み出してしまったというわけか。

 やっぱり始末すべきかと杖に手を添えたまさにその瞬間、魔物の子はもう一度深くため息をついた

「……でも、スターとして振る舞うのって、やっぱりちょっと疲れるんだ」

 消えてしまいそうなほど細い声だ。しかし、私はそんな声を聞き逃さなかった。否、聞き逃すことができなかった。目立つ存在として振る舞うことは、常に当人の精神を削り続けるものだということを私は知っている。

 いついかなる時も貴族として、淑女としての振る舞いを求められ、常に誰かに見られているような生活。いや、実際に屋敷の関係者だけでなく新聞社にすらいつ目撃されるかわかったものではなかった。

 百歩譲って、家族関係者にだらしない姿を見られる分には叱られるだけで済む。しかし、他の家の子や民衆に醜い姿を見せたら、私や当家の関係者が被る損失は計り知れない。そんな風に躾けられ、それが当たり前だと思って育ってきた私だがやっぱり辛かった。

 今でこそ気の許せる、ありのままを見せられる仲間に囲まれて過ごしているが、貴族院では相変わらず淑女として振る舞い己の精神を傷つけている。

 私ですら、大人になった今でも傷つくのだ。この子はそれを、昼も夜も平日も休日も続けなければならなかったのだろう。

 立場も種族も違うこの子の本音。しかし、魔物も人間も関係ない、ありのままの声を聴いて気がして。

「最後の質問をするわ。アンタ、私についてくる気はある?」

 ──私はこの子を殺せなかった。



 ──目が覚めてからしばらくした頃。

「……ねえ、ソフィア。素直に謝ったら許してくれるかい?」

 もはや言い逃れできないことを悟った罪人のような言葉。

 洞窟内を先導していた魔物の子が、こちらを振り返りおずおずと尋ねてきた。

 というのも、この子は私を救助した後、消耗品のスクロールを用いて鉱山の中にある隠れ家まで転移したというのだ。

 隠れ家がバレないよに、あえていつも少し離れたところに転移しているんだ。だからこそ、洞窟内は歩きなれたこの僕に任せてくれたまえ──そんな数十分前の言葉を私は一語一句忘れていない。

 だからこそ、次の言葉がなんなのか予想がつく。

「道がわからない」

 やっぱりか。

 ちなみにこの子、魔力はあるが魔法は一切使えないようで、そのうえ私を助ける際に持っていたスクロールを使い切ってしまったらしい。

「理由が理由だから私にアンタを非難する資格はないわ」

 そもそも、道端で魔力を使い果たして転がっていた私を助ける義理などこの子にはなかったはずなのだから。それを助けてもらった身としては文句を言いずらい。

「いくら全快に時間がかかるとはいえ、転移魔法一回分くらいの魔力なら数時間あれば戻ってくるわ。焦らなくても、さっきの安全な場所に戻って待ち続けるべきじゃないかしら」

 私の転移魔法は精度が不安定だから人に使いたくないのだが、この際だから選択肢の一つとして考えている。

 しかし、この子としては簡単には頷き難い事情があるらしい。

「ソフィアの言う通りだとは思うけど、その……」

 これまでに数回同じやり取りをしているのだが、いずれもあまりいい顔をしないのだ。

 いったい何故なのだろうかと考えていると、ついに答え合わせのときが来たようだ。

 ぐぅ~。

 可愛らしい声で腹の虫が鳴く音が洞窟内に響いた。

 私のものではない。

 長時間飲食を絶たれているとはいえ、意識がなかった時間が長かったせいか空腹に陥ってはいないからだ。であれば、音の主は。

「な、ななっ何故僕を見るんだい⁉ 違うぞ! こ、これは……」

 耳まで真っ赤にした魔物の子が恥ずかしそうに言い訳しはじめた。

 そして、再び腹の虫が鳴く。

 無理して見栄を張ってまで外へ出たかったのは、空腹を悟らせたくなかったからだったようだ。

 いったい何を企んでいるのかと思えば年相応の少女のようなものでありほっとした。気持ちは理解できるので、ここは助け船をだしてやろう。

「……どこか遠いところで魔物が鳴いたんじゃない? 危険だし、私も飲まず食わずで消耗してるから少し休みましょ」

 来た道を振り返って言ってやると、魔物の子は私の袖を軽く掴んで歩きだした。







 ──それからさらに数時間後。

 さきほどまでいた隠れ家で休んでいるうちに、少しは魔力が回復した。

「今なら山の外へテレポートできるわ。こっちへ来なさい」

「あぁ! ありがとう、ソフィア!」

 少女のように無邪気な笑みを浮かべた魔物の子が、地面に描いた魔法陣に歩み寄る。準備は整ったので魔法を唱えようと息を吸い込んだまさにその瞬間だった。

 鉱山が音を立てて大きく揺れた!

「わ、わわっ!」

 立っているのがやっとなほどの大きな揺れも数秒で収まった。

 咄嗟に抱きしめた魔物の子を離して魔法の詠唱を始める。

 無事に魔法が発動し転移により歪んだ視界が元に戻ると、そこは熱鉱山の麓だった。

 少し離れたところに集落が見える。朝靄の街近郊の鉱山村で、魔力鉱の産出量と高名な魔法杖職人がいることで有名だ。そんな村が今は……

「……あの燃え方はマズいわね」

 いつもどこかしらから火が出ており、その火力を使い加工が難しい鉱石を売り物にしている集落だ。だから火の手が上がっていること自体はさほど不思議じゃない。

「何がマズいんだい? あの村の人が言っていたじゃないか、炎があることが日常だって」

 私の言葉に疑問符を浮かべる魔物の子に、集落を指さして説明する。

「火柱が立つ場所は毎回決まってるの。まあ、これは地理に詳しくないと知らないと思うけど。とにかく、今回の炎はイレギュラーだってことよ」

 しかも、あの炎から感じ取れる魔力が自然のものではない気がするのだ。

「あの炎に含まれる魔力を感じてみなさい。動機はわからないけど、何者かが放った魔力を帯びた炎よ」

 言いながら考える。いったい誰が何のためにしでかしたのかわからない。確実なのは、あの炎は村の人たちに害があるということだけ。

 しばらく考えていると、私に倣って魔力感知を行ったらしい魔物の子は急激に顔色を変えた。

「あ、あれは……」

 声も肩も震わせながら、絞り出すように言葉を発する魔物の子に、いったい何を感じ取ったのか聞いてみる。すると、震える指で集落の上を、正確には集落の遥か上空を指して言った。

「業龍……? そんな、なんで」

 青ざめた表情でそんなことを言うから、思わず聞き返す。

「ははっ、僕たちも憐れなものだね。……奴は破滅の業を冠する邪龍さ」

 この世の終わりのような表情が向く先には、半透明で巨大な魔物が漂っていた。
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