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24話 それぞれの日常
ミクは、仕事中もふとした瞬間に涼太のことを思い出していた。
接客の合間、ふと視線を店の入り口に向ける。自動ドアが開くたび、無意識に心が反応する。涼太は、ごくたまにふらっと現れて、「ランチしよう」と彼女を誘ったこともある。
今は、それが起きるはずもない。
それでも、自動ドアが開く音にわずかに反応してしまう自分がいた。
そのころ、サンフランシスコのオフィスでは、涼太がPCに向かっていた。
初日から多忙を極め、英語でのミーティングに翻弄されていた。思った以上に通じない発音やスピードの前で、日本での自信が音を立てて崩れていく。
出張で来ていた頃より、求められるレベルが高くなっていた。完璧主義な彼にとって、それは予想以上に堪える現実だった。
昼食を取る余裕もなく、メール、報告、データ分析……ひとつ終わればまた次が待っている。
気づけば、窓の外にサンフランシスコの夕陽が沈んでいた。
ミクのことを思い出す暇もないほど、タスクに追われる日々だった。
ふと休憩の合間に、スマホを開く。
メッセージアプリには、彼女からの文字がそのまま残っていた。
"無事に着いてよかった😊 また連絡してね"
返そうと思いながらも、頭が疲れ切って言葉が出ず、返信を後回しにしてしまっていた。
「Mr. Narimiya, your materials are excellent!!」
(成宮さん、素晴らしい資料だ!!)
その言葉を聞いた瞬間、涼太の肩の力がふっと抜けた。
異動してちょうど一週間。初めて任されたデータ分析のプレゼンが認められた。
寝る間を惜しみ、辞書アプリとAI翻訳を行き来しながら英文を組み立て、数多くのデータとも向き合った。
「Thank you… I’m glad to hear that.」
笑顔で返しながら、胸の奥が熱くなっていくのを感じた。
会議室を出ると、涼太はゆっくりと深呼吸をし、社内のラウンジへ向かった。
紙コップのコーヒーを手に取り、ほっと一息を吐く。ポケットからスマホを取り出し、短いメッセージを打った。
"元気か?風邪引くなよ"
送信ボタンを押した瞬間、ミクの顔が浮かぶ。
――連絡が久々になってしまった…
涼太はもともとメッセージアプリが苦手だった。用があるなら電話をしたり、直接会って話をしたいと思うタイプだった。
でも日本とサンフランシスコの時差は17時間もある。
「Hi, Ryota, good work! Do you want to go out for a drink tonight?」
(リョウタ、お疲れ様!今夜飲みに行かない?)
声をかけてきたのは同僚のフローレスだった。
鮮やかな赤のネイル、軽やかな笑顔、ブロンドの髪が靡く、チームのムードメーカーであり、誰からも好かれるタイプだ。
だが、彼女のSNSに上がる写真が、ミクを不安にさせてしまったことがある。
それを思い出し、涼太は一瞬だけ迷った。
――でも、ここで築く人間関係も仕事のうちだ…
そう自分に言い聞かせ、短く答える。
「ああ、いいな。行こう」
フローレスが満足そうに笑い、軽い足取りで去っていった。
残された涼太は、再びスマホを手に取る。
画面には「既読」の文字はまだない。時差を考えれば、ミクはもう眠っている頃だ。
「……明日、見て笑ってくれたらいい」
小さく呟いて、スマホをポケットに戻した。
窓の外、ビルの合間に沈みかけた夕陽が、サンフランシスコの街をオレンジ色に染めていた。
フローレスが選んだ店は、木目のカウンターと低めの照明が印象的な落ち着いた空間だった。
グラスを傾ける客たちの笑い声が、静かなBGMに溶け込んでいる。
「So, Ryota, that presentation—you really nailed it today!」
(リョウタ、今日のプレゼンテーションは本当に素晴らしかったわ!)
フローレスがジョッキを掲げ、白い歯を見せて笑う。
「Thanks. But I still have a lot to learn…」
(ありがとう。でも、まだ学ぶべきことはたくさんあるよ)
涼太は苦笑しながらグラスを軽く合わせた。
カチン、と乾いた音が小さく響く。
会話の内容は、自然と仕事の話へと流れていった。異国でのビジネス習慣、言葉の壁、チームの個性。フローレスは身振り手振りを交えて話し、涼太はその内容に引き込まれていった。
軽く笑いながら、フローレスは手元のグラスを回す。氷の音が、静かな店内に涼やかに響いた。
やがて話題が仕事から日常へと移ると、彼女はスマホを取り出した。
「Let’s take a photo! To celebrate your first week here!」
(写真を撮らない?ここでの最初の1週間をお祝いしましょう)
抵抗する理由も見つからず、涼太は「Sure」と短く返した。
彼女は迷いなく隣に滑り込み、彼の肩に腕を回した。香水とワインの甘い香りがふっと鼻を掠める。頬が触れそうなほど近づいたその瞬間、涼太の胸の奥に一瞬の戸惑いが生まれた。
——ミク——
その名が脳裏をかすめたが、フローレスの「Smile!」という明るい声に思考が遮られた。
シャッター音が軽快に鳴り響く。
フローレスはその写真を満足げに眺め、画面を彼に見せた。
「Perfect! Look, we look great together!」
その無邪気な言葉に、涼太は苦笑いで返した。
「…Yeah, good shot.」
一瞬、「SNSには載せないで」と言おうとした。
けれど、喉元まで出かかった言葉は、なぜか声にならなかった。
——ここでは“場の空気”が全てだ。
そう自分に言い聞かせるように、グラスの中のウィスキーを流し込んだ。
笑い声の絶えない夜のバー。
その喧騒の中で、涼太の胸の奥には、どこか取り返しのつかない小さなざわつきが生まれていた。
接客の合間、ふと視線を店の入り口に向ける。自動ドアが開くたび、無意識に心が反応する。涼太は、ごくたまにふらっと現れて、「ランチしよう」と彼女を誘ったこともある。
今は、それが起きるはずもない。
それでも、自動ドアが開く音にわずかに反応してしまう自分がいた。
そのころ、サンフランシスコのオフィスでは、涼太がPCに向かっていた。
初日から多忙を極め、英語でのミーティングに翻弄されていた。思った以上に通じない発音やスピードの前で、日本での自信が音を立てて崩れていく。
出張で来ていた頃より、求められるレベルが高くなっていた。完璧主義な彼にとって、それは予想以上に堪える現実だった。
昼食を取る余裕もなく、メール、報告、データ分析……ひとつ終わればまた次が待っている。
気づけば、窓の外にサンフランシスコの夕陽が沈んでいた。
ミクのことを思い出す暇もないほど、タスクに追われる日々だった。
ふと休憩の合間に、スマホを開く。
メッセージアプリには、彼女からの文字がそのまま残っていた。
"無事に着いてよかった😊 また連絡してね"
返そうと思いながらも、頭が疲れ切って言葉が出ず、返信を後回しにしてしまっていた。
「Mr. Narimiya, your materials are excellent!!」
(成宮さん、素晴らしい資料だ!!)
その言葉を聞いた瞬間、涼太の肩の力がふっと抜けた。
異動してちょうど一週間。初めて任されたデータ分析のプレゼンが認められた。
寝る間を惜しみ、辞書アプリとAI翻訳を行き来しながら英文を組み立て、数多くのデータとも向き合った。
「Thank you… I’m glad to hear that.」
笑顔で返しながら、胸の奥が熱くなっていくのを感じた。
会議室を出ると、涼太はゆっくりと深呼吸をし、社内のラウンジへ向かった。
紙コップのコーヒーを手に取り、ほっと一息を吐く。ポケットからスマホを取り出し、短いメッセージを打った。
"元気か?風邪引くなよ"
送信ボタンを押した瞬間、ミクの顔が浮かぶ。
――連絡が久々になってしまった…
涼太はもともとメッセージアプリが苦手だった。用があるなら電話をしたり、直接会って話をしたいと思うタイプだった。
でも日本とサンフランシスコの時差は17時間もある。
「Hi, Ryota, good work! Do you want to go out for a drink tonight?」
(リョウタ、お疲れ様!今夜飲みに行かない?)
声をかけてきたのは同僚のフローレスだった。
鮮やかな赤のネイル、軽やかな笑顔、ブロンドの髪が靡く、チームのムードメーカーであり、誰からも好かれるタイプだ。
だが、彼女のSNSに上がる写真が、ミクを不安にさせてしまったことがある。
それを思い出し、涼太は一瞬だけ迷った。
――でも、ここで築く人間関係も仕事のうちだ…
そう自分に言い聞かせ、短く答える。
「ああ、いいな。行こう」
フローレスが満足そうに笑い、軽い足取りで去っていった。
残された涼太は、再びスマホを手に取る。
画面には「既読」の文字はまだない。時差を考えれば、ミクはもう眠っている頃だ。
「……明日、見て笑ってくれたらいい」
小さく呟いて、スマホをポケットに戻した。
窓の外、ビルの合間に沈みかけた夕陽が、サンフランシスコの街をオレンジ色に染めていた。
フローレスが選んだ店は、木目のカウンターと低めの照明が印象的な落ち着いた空間だった。
グラスを傾ける客たちの笑い声が、静かなBGMに溶け込んでいる。
「So, Ryota, that presentation—you really nailed it today!」
(リョウタ、今日のプレゼンテーションは本当に素晴らしかったわ!)
フローレスがジョッキを掲げ、白い歯を見せて笑う。
「Thanks. But I still have a lot to learn…」
(ありがとう。でも、まだ学ぶべきことはたくさんあるよ)
涼太は苦笑しながらグラスを軽く合わせた。
カチン、と乾いた音が小さく響く。
会話の内容は、自然と仕事の話へと流れていった。異国でのビジネス習慣、言葉の壁、チームの個性。フローレスは身振り手振りを交えて話し、涼太はその内容に引き込まれていった。
軽く笑いながら、フローレスは手元のグラスを回す。氷の音が、静かな店内に涼やかに響いた。
やがて話題が仕事から日常へと移ると、彼女はスマホを取り出した。
「Let’s take a photo! To celebrate your first week here!」
(写真を撮らない?ここでの最初の1週間をお祝いしましょう)
抵抗する理由も見つからず、涼太は「Sure」と短く返した。
彼女は迷いなく隣に滑り込み、彼の肩に腕を回した。香水とワインの甘い香りがふっと鼻を掠める。頬が触れそうなほど近づいたその瞬間、涼太の胸の奥に一瞬の戸惑いが生まれた。
——ミク——
その名が脳裏をかすめたが、フローレスの「Smile!」という明るい声に思考が遮られた。
シャッター音が軽快に鳴り響く。
フローレスはその写真を満足げに眺め、画面を彼に見せた。
「Perfect! Look, we look great together!」
その無邪気な言葉に、涼太は苦笑いで返した。
「…Yeah, good shot.」
一瞬、「SNSには載せないで」と言おうとした。
けれど、喉元まで出かかった言葉は、なぜか声にならなかった。
——ここでは“場の空気”が全てだ。
そう自分に言い聞かせるように、グラスの中のウィスキーを流し込んだ。
笑い声の絶えない夜のバー。
その喧騒の中で、涼太の胸の奥には、どこか取り返しのつかない小さなざわつきが生まれていた。
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