33 / 52
第33話
しおりを挟むお姉様たちに「私が正妻になる」と告げた翌日。
王城内は、まだそこまでの大騒ぎにはなっていないが、一部の貴族や補佐官が水面下で動き出している気配があった。何らかの情報が伝わっているのか、どこか落ち着かない雰囲気が漂っているのだ。
そんな中で、私と殿下はいつもと変わらず“王太子と乳母”としての表向きの立ち位置を維持していたが、心の中ではすでに嵐が近いことを感じ取っていた。
◇◇◇
朝、殿下の部屋を訪ねると、彼はやや疲れた様子で机に伏せていた。
ノックの音で顔を上げ、私を見つけると少しだけ苦笑する。どうやら昨夜は遅くまで姉上たちや補佐官らと打ち合わせを行っていたらしく、ほとんど眠れなかったようだ。
「ルナ……ごめん、ちょっと寝不足で。姉上たちがあれこれ『父上への報告の段取り』を練っててね……」
「お疲れさまです、殿下。……では、少し横になられては? もし他の方が来られても、私が取り次ぎますので」
殿下は首を振り、小さく息をつく。
「いや、そろそろ立ち上がらなきゃ。……父上への面会が近いんだ。姉上たちが今日明日中には正式に“王太子の意中”を父上に伝えるって言うから、俺も覚悟を決めないと……」
「……そうですか。もう、すぐにでも竜王陛下に……」
胸がドキリと音を立てる。父王――竜王は常にドラゴンの姿を保ち、絶大な権威で国を統べる存在。殿下が「私を正妻にしたい」と直接報告するとなれば、容易には納得してもらえない可能性が高い。
――それでも、姉上たちが「協力する形」をとってくれた以上、道がないわけではない。大きな壁だが、避けられないプロセスだ。
「……ルナ、怖い?」
「正直……はい。竜王陛下にお目通りしたことすら数回しかなく、そのたびに圧倒されましたし。……ましてや“正妻になりたい”だなんて、想像だけで息が詰まる思いです」
殿下は苦笑しつつ、私の手をそっと取り、そのまま軽く握る。朝の部屋にはほとんど侍従の姿がなく、扉も閉まっているので、いまだけは許される秘密の接触。
「大丈夫、俺がいる。……実際に父上がどんな反応をするかは未知数だけど、姉上たちが調整してくれてる。たぶん、一番の問題は“正妻候補たちへの説明”だろうね」
「はい……。試練に参加している皆さんは、今も本気で殿下を想いながら努力しているわけですし……」
胸が疼く。それでも、もう決めたのだ。“正妻”を奪う形になることを申し訳なく思いながら、私は殿下と手を繋ぐ。
◇◇◇
午前中、殿下は書類整理をこなしながらも、私にだけは時折「姉上たちから動きはあるか?」と小声で尋ねてくる。どうやら姉上たちが何らかの段取りを整えるのに時間を要しているらしく、まだ“父王との面会”の日時は確定していないようだ。
私は殿下が離席している間に、姉上たちのもとへ行って状況を確認してみたが、フィリス様もエヴァンテ様も「まだ準備中」としか言わず、それ以上は教えてくれない。
「私たちもセイルとルナに不利にならないよう努力しているの。だからもう少し待っていて」
「……はい、わかりました。よろしくお願いいたします」
正妻候補たちにはまだ何の報告もしていないようで、城内の雰囲気は小康状態だ。しかし、それを壊すのはそう遠くないだろう。
◇◇◇
昼下がり。
殿下が資料を片付けていると、珍しくフィリス様が一人で部屋を訪れた。彼女は私にも同席を促し、深刻な面持ちで口を開く。
「セイル、ルナ。……父上への面会、どうやら“明日の午後”に決まりそうよ。私たちがなんとか都合をつけてもらったわ」
「明日……もうそんなに早く……」
殿下が小さく息を飲み、私も思わず気が遠くなる。さすがに姉上たちの調整力はすごい。
フィリス様は淡々と続ける。
「正式には『正妻候補との今後の方針について陛下と話し合う』という名目。でも、真意は父上も薄々感じているでしょうね。セイルが“誰か特別な相手を選んだ”という噂はもう一部に流れているから……」
「……わかりました。ありがとう、姉さん。……ルナ、覚悟はいい?」
殿下が私を見やる。私は胸を押さえながら、深く頷く。
「はい。……竜王陛下とお会いするのは久しぶりですが、私も正妻になることを望んでいるとはっきり伝えます」
「ふう……二人とも強い意志ね。父上が怒っても突き通すの? もしかしたら王太子の地位すら危ういかもしれないのに」
フィリス様が憂いを帯びた声で言うと、殿下は首を縦に振る。
「いいよ、地位なんて失っても。俺はルナを失うほうが嫌だ。……でも、正直なところ、王太子としての力があったほうが彼女を守れるから……なんとか父上を納得させたい」
「わかるわ。……父上も“炎の契約”を絶対に絡めてくるでしょう。そこでルナが本当に“王妃の器”かどうか試す可能性が高い。今のうちから覚悟してちょうだい」
私は小さく息を飲み、「はい……」と答える。それはつまり、私が無事に“炎”を受け止められるかがすべての鍵となるということだ。
今まで積み重ねてきたエルフの力や“竜導”の知識がどこまで役に立つのか、確信はない。それでもやるしかない。
◇◇◇
姉上たちが帰ったあと、殿下は長いため息をついて、じっとテーブルを見つめたまま。
「明日……父上に話すんだね。……正妻候補のみんなには、そのあとで公表する形になるのかな。姉上たちの話し合い次第だけど……」
「恐らくは……竜王様を納得させてから、そのうえで候補者たちに『王太子の決断』を伝える。相当な反発は避けられないでしょうね」
殿下は苦い顔をするが、やがて諦めたように肩をすくめる。
「そう……ちゃんと謝らなきゃいけないと思ってる。みんなの試練の努力を裏切るわけだから。……それでも、俺は君と結婚したい。もうそれしか頭にないんだ」
「殿下……私も、皆さんに申し訳ないと思いながら、それでも殿下を選びます。罪悪感はあっても、私には殿下しか見えていないから……」
言葉を交わすたび、胸が締めつけられ、そして温かさも同時に溢れてくる。この感情が恋というものなのだと、痛感する。
――そうして、お互いの意思を再確認しあうと、殿下はファイルを閉じて立ち上がった。
「……今日はもうこれ以上仕事をしても頭に入らないな。少し外の空気を吸ってくるよ、ルナ。一緒に行こうか?」
「はい、喜んで」
もしかしたら、今のように二人で気軽に外を歩ける時間もそう長くないのかもしれない。父上の説得、そして正妻候補たちへの真実の公表――すべてが終われば、私たちの立場は大きく変わる。
それでも、いまはまだ“王太子と乳母”として自由に動ける隙がある。私は心のざわめきを抱えながら、殿下と連れ立って廊下を進む。
◇◇◇
王城の庭園をゆっくりと歩く。夕方の空気がやや肌寒いが、それがかえって心を落ち着かせるように感じる。
殿下が軽い足取りで噴水近くへ向かい、私も後ろをついていく。周囲には衛兵や侍女がちらほらいるが、ここは比較的人通りが少ない。そばを離れて歩けば、不審には思われないだろう。
「……ここ、あの騒動以来、あまり来てなかったな。少し前に君と夜の散歩をしたっけ」
「ええ、殿下がいろいろと悩んでいらしたとき、私たち二人でここを歩きましたね。……あの頃から、私たちの関係は大きく動きました」
殿下は振り返ってくすっと笑う。
「ふふ、そうだね。……まだ、そんなに日も経ってないのに、心境は大きく変わったよ。君と“正妻になる”って決めたことが、俺の人生を大きく左右するんだろうな……」
「私もです。……殿下が望まれなければ、私は正妻にふさわしくないと思っていましたから。だけど、殿下が勇気をくれたから……」
互いを見つめ合うだけで、胸が温かくなる。――不安が消えたわけではないが、この気持ちは本物で、もう誰にも止められないだろう。
すると、遠くの方で足音が聞こえ、殿下は私に「離れて」と小声で耳打ちする。私は慌てて数歩後退し、“王太子と乳母”という距離感に戻る。――やがて衛兵が姿を見せ、「殿下、ご用件が……」と声をかけてきた。
「わかった。……もう戻ろうか、ルナ」
「はい、殿下」
どうやら城内に別の来客があり、殿下を呼んでいるらしい。私もそれを受けて対応すべく、殿下の背後に控える。――こうして私たちはまた“表の役割”に戻る。
――だけれど、明日にも“父王への面会”が行われる。そこで私たちの本心がさらけ出されれば、この仮面のような距離感も続かないだろう。
◇◇◇
夜、殿下の部屋。
今日も慌ただしい一日が終わったが、明日にはついに竜王との面会が控えているという噂が補佐官たちの間で囁かれ、私の耳にも入ってきた。もうこれ以上逃げられない――そんな空気を感じる。
殿下はベッドの端に腰を下ろし、うつむいたまま呟いた。
「明日……父上の姿を見たら、また威圧されてしまうのかな。……でも、言わなきゃ。君のことを正妻にしたいって」
「わたしも隣でお話を聞けるなら、ちゃんと立っていようと思います。きっと怖いけど……殿下を信じます」
殿下は立ち上がり、私の手を握る。そこに優しい温もりがあり、私はどれほど心が救われるか計り知れない。
「ありがとう、ルナ。……俺はもう何があっても君を手放さない。父上の炎だろうと、貴族の反発だろうと、姉上たちの怒りだろうと……超えてみせる」
「……はい。私も負けません。殿下の正妻になるために……がんばります」
ごく短いキスを交わし、互いの存在を確かめ合う。――明日、何が起きるか分からないが、この想いは揺るがない。
もし竜王が大反対を示せば、殿下の立場だって危険にさらされるかもしれない。それでも、私たちは自分たちの愛を貫こうと決めている。
◇◇◇
夜が更け、部屋を出るとき。私はいつも通り「おやすみなさいませ、殿下」と頭を下げる。一見何も変わらぬ儀式だが、明日になればこの関係も大きく動き出すだろうと知りながら、少し切なく笑みをこぼす。
廊下を歩き、自室へ戻る途中、遠くから声が聞こえた。「正妻候補たちの一部が“殿下がどうやら誰かに心を決めている”と噂し始めた」と。早くも小さな炎が広がろうとしているのかもしれない。
(明日……竜王陛下にお会いしたら、全部が一気に変わる。私は殿下を信じて、一緒に進むだけ)
扉を開けて部屋に入り、固く瞼を閉じる。竜王との面会で、すべてが揺れるだろう。正妻候補たちにも、いずれ真実が知らされる。想像を絶する波乱が起きるに違いない。
――それでも、殿下と手を繋いで乗り越えると誓ったのだ。私がその意志を捨てない限り、きっと希望はある。
「明日……強くいよう。絶対に逃げない……」
布団に潜り込み、闇の中で心を落ち着ける。緊張で息が浅くなるが、殿下の瞳を思い出すと、不思議と勇気が湧いてくる。
こうして、王太子と乳母の密かな決断は、竜王家を大きく揺るがす運命へと足を踏み出した。
明日、竜王との面会がどんな結末をもたらすか……誰にも分からない。けれど、私はもう迷わない。愛する人を信じ、全力でその選択を守り抜く覚悟を胸に抱いて――夜を迎えた。
38
あなたにおすすめの小説
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます
時岡継美
ファンタジー
初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。
侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。
しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?
他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。
誤字脱字報告ありがとうございます!
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~
深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。
ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。
それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?!
(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。
お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる