【完結】竜王の息子のお世話係なのですが、気付いたら正妻候補になっていました

七鳳

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第48話

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 ――そして、炎の契約当日の朝が来た。
 王太子セイル殿下が「正妻を迎えるため、炎の契約を行う」と宣言していたその日。
 私は自室の窓辺に立ち、まだ夜明け前の薄暗い空を見つめている。空気がひんやりと頬を撫で、心臓の鼓動がいやにうるさく感じられた。姉上たちの指示どおり、兵士が廊下に待機しており、私が出歩かないように見張っている。
 ――あと数時間で、私は殿下とともに儀式の場に立ち、国中の目の前で「正妻」に名乗りを上げる。落ちこぼれエルフでありながら、炎の契約に挑んで、炎に耐えなければならない。

(大丈夫……殿下が私を守ってくれる。私も絶対に負けない)

 自分に言い聞かせて息を吸う。ごく僅かな手の震えが止まらないが、もう逃げられない以上、立ち向かうしかない。

◇◇◇

 時刻は朝の六時頃。
 兵士が扉をノックし、「ルナ様、ご準備は整いましたか。そろそろ移動を開始します」と告げに来る。姉上たちが設定した段取りに従い、王宮深部へと向かうのだ――まだ人々が目覚めきらぬうちに裏ルートを通り、殿下の待つ部屋へ移動し、それから儀式の会場へ一緒に行く形。
 私は落ち着いた色のローブを羽織り、短い返事をして廊下に出る。護衛の兵士が何人も控えていて、すぐに私を囲むように移動の隊列が組まれた。

「……お願いします。よろしく……」

 声を落として、改めて一礼する。兵士たちは黙って頷き、私を守るように足早に廊下を進み始める。外の空気はまだ肌寒く、張りつめたような静寂に包まれていた。
 この後、私は殿下と合流し、儀式の控室へ行く。そこに竜王様や姉上たち、さらに多くの貴族と正妻候補が集うだろう。――まもなく、この“乳母”が殿下の正妻であると発表され、炎の契約が始まる。

◇◇◇

 兵士の先導で裏道を歩き、別館の奥まった一室に到着すると、そこにはすでに殿下が待っていた。姉上たちの姿はなく、近衛兵数名だけが控えている。殿下は私の姿を見つけると、安堵の息をつき、すぐに近寄ってくる。

「……来てくれたね。ごめんね、こんな形でしか会えなくて……でも、もう時間がない。あと少しで儀式が始まるんだ」
「大丈夫です、殿下。私も覚悟はできています。……それに、こうして会えてよかった……」

 短い言葉のあと、殿下は手を広げ、私をそっと抱きしめる。朝の冷たい空気を払うように、その体温が染み渡る。

「これが……最後の、隠れた抱擁になるかもしれない。成功すれば、もう隠れる必要もないんだよ。堂々と……一緒に歩ける」
「はい……絶対、成功させましょう」

 ほんの数秒だけ互いのぬくもりを確かめ合い、すぐに離れる。兵士たちが遠巻きに視線を外してくれているが、これ以上は式の前に集中する必要がある。
 ――殿下は瞳に強い意志を宿し、私の指を握りしめた。

「じゃあ、行こう。姉上たちが会場で準備をしてくれてるはずだ。……もうすぐ、多くの人の前で君の名を呼ぶ形になる。たぶん正妻候補の大半は現場に集まるから……心を強く持って」
「……はい。皆さんにどれほど責められようとも、殿下だけを見て耐え抜きます」

 息を合わせて足を進める。兵士が背後から警戒しつつ、廊下をさらに奥へ。正妻候補や貴族が集う大広間へ続く扉の前で立ち止まれば、緊張感は極限に達する。
 私の心臓が張り裂けそうなほど鳴り響いている。殿下も手汗で指先が濡れているのを感じる。お互いの不安を隠せないまま、あと数歩で“儀式”の舞台へ――。

◇◇◇

 扉の向こうからは、すでに多くの人が集まるざわつきが漏れ聞こえる。「誰が契約相手になるんだ」「私はまだ可能性があるはずだ」という正妻候補の声や、貴族たちのささやき声が入り混じっている。
 兵士が「よろしいですか、殿下。もう列を整えますか」と問いかけ、殿下は浅くうなずく。私の手を握りしめつつ、視線を合わせる。

「……開けて。……ルナ、踏み出そう。ここが始まりだ」
「……はい……」

 その合図とともに、扉がゆっくりと開く。まるで大渦に飲み込まれるような感覚――明るい光が差し込み、広間に集まった無数の視線が一斉にこちらへ向かう。
 そこには竜王である父王――巨大なドラゴンの姿が、玉座とも呼べる位置に鎮座している。その周囲に姉上たちが控え、さらに正妻候補や貴族たちが左右にずらりと並ぶ。城の兵士が警備のために周囲に立ち、大広間がまるで戦場のような緊張に包まれていた。

「セイル殿下、ご到着です……!」

 誰かの声が響き、殿下が私の手を引いて、ゆっくりと歩を進める。――ざわめきが急激に大きくなる。正妻候補の一部から悲鳴や怒号のような声が上がるが、まだ混乱を抑えている兵士の壁があるようだ。
 私の姿に気づいた瞬間、何人かの令嬢が言葉を失っているのが見える。もしかしたら「どうして乳母がいるのか」と悟ったのだろう。

「…………」

 心臓が爆発しそうなほど高鳴るが、殿下の手が温かい。私は歯を食いしばり、下を向かないよう顔を上げたまま、大広間の中央を進む。――竜王のまばゆい銀鱗が視界に入る。彼が私たちを睨むように見ているのが分かる。

「……よく来たな、セイル……そして、そのエルフか。……そなたが、王太子の正妃となる覚悟で炎を受けるというのか」

 竜王の低い声が大広間に響き、皆の視線が私へ集中する。――この瞬間こそ、公に発表する瞬間。私は逃げ出したいほどの恐怖を押し込み、はっきりと答えを示す。

「はい……竜王陛下。私はルナ。王太子セイル殿下の正妻となるため、“炎の契約”に挑みます」

 その言葉が落ちるや否や、広間から悲鳴や怒声が巻き起こる。正妻候補たちの多くは信じられないという顔をし、一部は打ちひしがれ、あるいは激昂している。貴族たちも絶句し、あちこちで囁きが爆発する。

「落ちこぼれのエルフが……!?」
「なんという……! 王太子が……乳母を選んだのか!?」

 竜王は目を閉じて低く唸り、やがて大きくひとつ呼吸をしてから再び私を睨む。その視線の圧力だけで膝が崩れそうになるが、殿下の手を離さない。

「……よかろう。ならば“炎の契約”を今から執り行う。お前が本当に王妃になる器かどうか……己の命で証明してみせろ」
「はい……!」

 その場にひざまずき、深く頭を下げる。殿下も私の隣に並んでいるが、一瞬だけ私の手を握りしめて「大丈夫」と目で告げてくれる。

「兵士たちよ、列をつくれ! 正妻候補たちを下がらせよ! この場で邪魔立てする者は容赦なく排除せよ……!」

 竜王の雄叫びが響き、グワッと空気が震える。正妻候補たちが叫び声を上げるなか、兵士が一斉に動いて“契約の場”を確保し始める。――私と殿下は中央へと誘導され、周囲が徐々に円状に開けていく。
 私は必死に震えを堪えながら、殿下の傍を離れまいと息を詰める。――この瞬間こそ決戦の始まり。落ちこぼれエルフの乳母として見下されてきた私が、王太子の正妻になれるかどうかは、炎に耐えられるかで決まる。

(……もう戻れない。殿下……私、頑張ります)

 そう心で叫び、顔を上げる。そこにあるのは竜王の巨大な姿、そして苛烈な視線の数々――正妻候補が絶望や怒りで言葉を失っているのを感じるが、私はその痛みを背負う覚悟はできている。
 ――炎の契約が始まるのは、ほんの数分後。竜王が“竜の咆哮”で炎を呼び、私と殿下がその炎の中で契約を結ぶ。生き延びれば正妻、失敗すれば……すべてが終わる。
 当日がついに訪れた。正妻候補たちの思いを踏みにじる結末になるか、彼女たちが認めざるを得ない新たな歴史となるか。すべては、いまの私たちにかかっている。

(炎……怖いけど、絶対に耐え抜く。殿下のために、私が落ちこぼれじゃないって証明してやる!)

 私は殿下と視線を合わせ、深く息を飲む。次の瞬間、竜王が銀色の鱗を大きく動かし、ふわりと異様な魔力が広間に満ちる。正妻候補たちは悲鳴をあげ、貴族たちはその威圧感に息を呑む。
 ――いよいよ、竜族の“最終儀式”が幕を上げようとしていた。落ちこぼれエルフと王太子が、この極限の炎に耐えられるか否か。王国の未来を大きく変える大勝負が、今まさに始まる。
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