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第6章

3 不都合③

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 実華ちゃんと別れてから、泊さんに電話して向こうの様子を聞いてみた。
 すると、秘書の子達が早く終わったので、もう居酒屋で始めているとのことだった。
 私は再び地下鉄に乗って赤坂見附まで移動し、皆が飲んでいる居酒屋へと向かった。

 ガヤガヤと騒がしい店内に入り、泊さんと秘書達の姿を探しながら通路を進んでいたら、聞き慣れた声が耳に入ったので居場所は容易にわかった。
 座敷を覗くと、泊さんが言っていた"三宅っち"の姿はなく、変わりに若い男の子が三人、秘書の女の子五人を相手にずいぶん話を盛り上げているように見えたが、一番盛り上がってるのは泊さんだった。
「おおー、片瀬ちゃん!」
「あっ、優子さん!」
 パチパチと、謎の拍手で迎えられた。
 男の子達は初めて見る顔だが、相手は私を知っているらしく、「うわー」「マジ? マジ?」と目を輝かせていた。
 これはよくある反応で、私はとりあえずニコニコ笑って挨拶をした。

「ごめんね、途中で邪魔して。どうぞ、続けて。このおじさんは私が引き受けるから」
「オジサンって!! 片瀬ちゃん!!」
「室長ほんとうるさくてぇ。私達どんどん声張らなきゃいけなくなって、大変なんです!」
「泊さん、ダメでしょ若い子達の邪魔しちゃ」
「片瀬さんは若い子側ですよね」
 男の子の一人がすかさずお世辞を挟んだ。
「お前! 誘ってやった恩を忘れて俺だけけ者か!」
 泊さんは既にできあがっているように見える。
「はいはい、もう黙ってください。ほら、焼き鳥でも食べて。泊さんの好きなぼんじりありますよ」
「食べる!」
 取り皿に焼き鳥を置いてあげたら、泊さんは静かになった。
 そっと目配せすると"ありがとうございます~"と、副社長秘書の真鍋さんが困った顔で両手を合わせた。
 皆のグラスはちょうど新しいのが来たところなのか、どれもたっぷり入っていたので、私は自分のカクテルだけ頼んで、泊さんの隣に座った。
「拓ちゃんは?」
「拓海、今日ダメだった! 奥さんの代わりに子供ちゃん見ないといけないって」
「まあ、急だったから仕方ないですね。拓ちゃんとはまた今度三人で行きましょう」
 拓ちゃんこと中野拓海なかのたくみは三十代半ばの男性秘書で、隣の部屋のマネジメントと補佐を務めている。
 総務でも二年くらい一緒だったから、これまた長いつき合いだ。

「ところでなんでこんな合コンみたいな編成になったんですか?」
 小声で聞くと、
「三宅が仕事終わってなかったから、ちょうど帰ろうとしてたこいつらを"秘書との飲み会来るか?"って誘ったの」
「やることが適当なんだから……」
「だって~、おじさんばっかり揃えたら、みんな退屈するでしょ?」
「その配慮は良いんですけどね。そこまで考えたなら、若い子達に自由に話させてあげたらいいのに。すぐ自分が前に出ようとするんだから」
「片瀬ちゃんは厳しいなぁ」
「泊さんの詰めが甘いんです」
 そもそも新年会をやりたかったのなら、大人しく秘書室メンバーだけでやったほうが内輪の話で盛り上がれただろうに、どうして敢えて他部署の若い男性を誘うのか……。
 自分が楽しく飲みたいのか、女の子達を楽しませたいのか、泊さんの行動は意図がごちゃごちゃしてよくわからない。
 おそらく両方なのだろう。気持ちが先に先に行っちゃうだけで、悪い人ではないのだ。

 普段の仕事でもだいたいそんな感じだ。
 上司がちゃんとしてないから、嫌でも気が回るようになるし、機転が利くようになる。
 私は会社でいつも周囲のフォローに追われている。まあ、秘書はそういうものだとも思っているけど。
 社長周りの緩衝材であり潤滑油。調整役なのだ。
 泊さんがそれをできていないわけでは決してない。私以上にできている部分も、当然ながら多くある。
 でも、肝心なところで詰めが甘くて、そのせいで、私がいなかったらどうなってたんだろう、とヒヤヒヤすることも多い。

「彼らはどこの人達ですか?」
「スリーピースが三宅の部下の浅井で、その隣が同じく小沢。眼鏡が営業事務の笹川」
 なんと、愛美ちゃんと実華ちゃんの後輩達だ。
 これはちょっと距離を置いといたほうがいいかもしれない。
 私はできるだけ話に入らないように、泊さんを捕まえてちまちまお酒を飲みながらやり過ごした。

 新年会は九時頃にお開きとなった。
 店の外に出ると若者達は連絡先を交換していて、それが済むと女の子達だけ一足先に帰っていった。
 私は泊さんが会計を済ませてくるのを外で待っていた。
 すると、営業の男の子達が声をかけてきた。
「片瀬さん、この後もう一件行きませんか?」
「こんな機会めったに無いし、片瀬さんとも話してみたくて」
「……えっと」

 どうしよう。何て言って断ろう。
 この子達、亮弥くんと同じくらいの年だろうか。
 こんな年上のくせに警戒して断るのも自意識過剰だし、かといって一人でほいほいついて行くわけにもいかない。泊さんが一緒に来るなら……。
「おい、片瀬ちゃんはダメよ」
 スマホを操作しながらヨタヨタと店から出てきた泊さんが、こちらの空気を悟って牽制した。
「片瀬ちゃんと俺はこれから社長と合流するから」
そう言ってスマホを耳に当てる。
「あっ、そうなんですか? じゃ仕方ないか……」
「それじゃ、片瀬さん、またの機会に!」
「ごめんなさいね」
「泊さん、おつかれっしたー!」
「おつかれっす!」
「おおー、またな! あ、社長? 今どこですか?」
 返事もそこそこに、電話で社長と会話を始める泊さん。
 私だけ男の子達に手を振って見送りながら、これから社長のとこか、と小さく息をついた。

「なぁ~んちゃって。ウッソだよーん」
「はい?」
 泊さんはスマホを耳から話して、
「あんな若造が片瀬ちゃんを誘うなんて十年早いっ!」
「……泊さん……」
 私は呆れかえってしまった。
 よくもまあ、あんなに息をするように嘘がつけるものだ。
 でも、おかげで助かった。こういう悪知恵による対処は私にはできない部分で、泊さんの得意分野だ。

「あれ? もしかして、行きたかった?」
「いえ。助かりました。ありがとうございます」
「どういたしまして! 片瀬ちゃんほとんど食べてないでしょ? 何か食べて帰ろ!」
 正直に言うと、早く帰りたいなぁと思ったけど、テーブルの隅でカクテルを飲んでいただけだった私は、泊さんの言うとおりお通ししか食べていなくて、お腹が空いていた。
 どうせこの後、何か買うなり一人で食べて帰るなりするのなら同じことだからと、泊さんともう一件行くことにした。
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