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第6章

3 不都合④

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 二人で向かった「風見亭」という小さな和食居酒屋は、泊さんの行きつけで、六十歳くらいの女将さんが美味しい小料理をつまみに出してくれるアットホームな雰囲気のお店だ。
「あらあ、泊さんいらっしゃい」
「おお~、女将久しぶり。片瀬ちゃんに何かごはん出してあげて!」
 そう言いながら早速カウンター席に座り込んでお酒を頼む泊さん。
 私は女将さんに軽く頭を下げた。
「いらっしゃい美人秘書さん。久しぶりねぇ」
「お久しぶりです。すみません、泊さん酔っぱらってて……」
「いいのよ、この人が酔っぱらってない姿なんて、見たことないんだから」
 女将さんはカラカラと笑った。

 和え物やきんぴらなどのお通し三品に、揚げ出し豆腐と、炊き込みご飯を出してもらった。
 飲み物は、黒糖焼酎のお湯割り。
 泊さんは女将さんにオススメされたワカサギの天ぷらを、お酒の合間にちまちま食べている。
 ここのごはんは美味しい。
 よく自宅で料理する時の参考にさせてもらっている。
 お豆腐が一口大になっている手間のかかった揚げ出し豆腐は特に気に入っていて、私も家で作る時はこのサイズにしている。

「片瀬ちゃん、ごめんなー……、ちゃんと能力活かしてあげられなくて……」
 私がごはんを味わっている間に、泊さんの酔いは更に進んだようで、二人で飲んだ時のお決まりの話が突然始まった。
「またその話ですか、もういいですからそれは。泊さんのせいでもないし。ほら、天ぷら食べてください。冷めちゃってますよ。天つゆもらいましょうか?」
「いいの、塩で」
 泊さんはワカサギに箸を伸ばした。
「女将ぃ、この子ねぇ、ものすごく仕事できるのよ」
「はいはい、そうなのねぇ。頭良さそうだものねぇ」
「やめてください、変なこと言うの。すみません女将さん」
「俺ねぇ、この子のレポート見たんだよ。本社来た時の。すごいんだから。会社に必要なの、こういう人は!」
「いやいや、十年以上前の話されてもただの恥なんですってば」
「アハハ。よっぽど印象強かったのねぇ」
 女将さんはこの話を何度も聞かされているのに、温かく対応してくれている。それが余計に申し訳ない。
「でもなぁ~……、社長が片瀬ちゃんお気に入りなのよ。片瀬ちゃんにお世話されたいの、社長は! だからずーっと秘書に縛りつけちゃって」

 私はこれまで、何度か泊さんに異動の相談をしていた。
 もっと直接的に会社の戦力になれる、広報とか、営業戦略とか、経営戦略とか、そういう仕事がしたかった。
 秘書の仕事は好きだ。私の特性を活かせる分野でもあると思う。
 でも、できるならそれを、私は外向けに活かしたかった。

 泊さんは、私が本社に来る時に人事部にいて、私が試験で提出した、現状の問題点と改善策をふんだんに盛り込んだレポートを読んだ。
 現場視点、顧客目線でまとめた内容が、泊さんにはすごく響いたらしく、「この子は開発か戦略!」と思ったそうだ。
 が、当時はまだ、今よりも女性軽視の空気が色濃く、男性社員が優先的にそちらに回され、私はとりあえず総務に、となったらしい。

 そのうち社長の目に留まり、私は秘書になった。
 顔が社長の好みだったからという理由で。
 泊さんからそのことを聞いた時、私は何のために本社に来たんだろう、とさすがに落ち込んだ。
 秘書に外見的なものが求められる風潮はあると思うし、私なんかがお眼鏡にかなったならそれは素直に嬉しいことだ。
 でも、それはつまり、あなたの一番評価できる点は外見ですと言われたも同然で、現場時代からそれなりに誇りと情熱を持って仕事してきた私としては、結局仕事ぶりなんて見てもらえないんだな、と、失望した瞬間でもあった。

 とはいえ、今となってはこれで良かったのだと思う。
 本社に来た正樹は数年で商品開発部の課長になり、上司からも部下からも信頼が厚く、本社に必要な人材になっている。
 実華ちゃんとは年数を重ねるごとに友人関係が深まり、余計な心配をかけたくない人になった。
 そして亮弥くんは恋人になり、私の挙動一つで苦しませてしまいかねない存在になった。
 私が迂闊に部署を変わって、正樹と接する機会が多くなってしまっては困るのだ。

 泊さんが私の異動について社長に切り出すたび却下され続けて、残念な思いもたくさんした。
 けれど、今はもう諦めがついている。
 少なくとも、この会社で働く以上は、私は秘書なのだと。
「ごめんなぁ、片瀬ちゃん……、俺がもっとちゃんと言えれば……。ごめんなぁ……」
 私は息をついた。
 酔いのせいでほとんど頭を垂れてしまっている泊さんの言葉は、私に伝えるというよりは、一人で懺悔でもするような呟きに変わっていた。
「そんなこと、私もう全然気にしてないんですよ泊さん」
 私はそっと泊さんの肩をさすった。
「きっと、社長から見て、他部署で活躍してほしいって思えるほどの実力が私にはないんだと思います。泊さんが認めてくれてるだけでも、私は恵まれているんですよ。それに私、秘書の仕事は好きなんです。だからもう、謝らないでください」
 泊さんは消え入りそうな声でかろうじて、うん、と答える。
「女将さん、お水もらえます?」
「はいはい。タクシー呼びましょうか?」
「すみません、お願いします」

 泊さんにお水を飲ませて、会計を済ませると、私は泊さんをタクシーに乗せて見送った。
 片瀬ちゃん、明日請求して、と、支払いのことを気にしていたけど、きっと明日には忘れているだろう。
 忘れてくれていい。たまには払わせてもらわないと困る。

 どうすれば泊さんを自責の念から解放してあげられるのか、もう何年も、私は答えを出せないでいる。
 正樹との関係を打ち明けてしまえばいい?
 経営戦略とか、比較的接触が少なそうな部署に移してもらえばいい?
 それとも、秘書という仕事に私自身がもっと満足して、天職だと思えるようになればいい?
 毎日顔を合わせるパートナーの心さえ晴らしてあげられないほど、私は無力なのだ。
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