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第1話 0.5秒の決断
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1
先端義体工学大学、第4研究棟。
その地下にある空調設備の隙間を縫うように、目立たない鉄扉があった。
カイトが個人で使用している「予備資材室」――
薄暗い室内で、重苦しい駆動音が響いていた。
「……クソッ。またサーボが焼き付いてやがる」
「扱いが雑なんだよ、ロイ。第1世代(ファースト)のパーツは、今の既製品みたいに頑丈じゃないんだ」
作業台に腕を乗せているのは、国家公安局の刑事、ロイ・バッカス。
無精髭にレザージャケット。そして、右腕と右足の皮膚が剥がれ、無骨な機械が露出している。
白衣を着たカイトが、その腕に繊細な調整を施していた。
「文句言うなよ、ドクター。……俺のメンテができるのは、世界中でお前だけなんだ」
「光栄だね。この時代の設計思想は美しい。無骨だが、魂がある」
カイトは楽しそうに工具を動かした。
ロイは周囲を忌々しげに見渡した。埃っぽい、窓のない倉庫のような部屋。
「……いつまでこんなコソコソしなきゃなんねえんだ。表玄関から堂々と入りてえもんだぜ」
「仕方ないさ。君のその義体は、平和な大学には刺激が強すぎる。それに、僕が公安の『廃棄予定品(スクラップ)』を無許可で延命させてるとバレたら、お互いタダじゃ済まない」
カイトは作業を終え、油で汚れた手を拭いた。
「よし、完了だ。出力係数は正常。……無茶しないでくれよ、ロイ。代わりのパーツはもうないんだから」
「へっ。善処するよ」
ロイは右腕を回し、感触を確かめると、紙幣をデスクに置いた。
「ツケといてくれ」
「はいはい。出世払いだろ?」
「……チッ」
ロイはフードを目深にかぶり、入ってきた裏口へと消えていった。
2
カイトは手を洗い、白衣を着替えると、防音扉を開けてメインの研究室へと戻った。
窓から差し込む陽光は、作り物のように白かった。
オートメーション化された農業プラントが空を覆うこの時代、天然の太陽光を浴びることができるのは、ここ「先端義体工学大学」のような特権的な場所か、富裕層のペントハウスくらいのものだ。
部屋には、ピアノの旋律と、少し焦げたコーヒーの香りが漂っている。
「――戻ったのね、カイト」
エレナが振り返った。艶やかな黒髪が光を浴びて輝いている。彼女は同じ大学の学生であり、カイトの恋人だ。
「……うん、いい音だ。今日の君の音は、少し跳ねてるね」
「わかる?今週末のコンクール、課題曲が決まったの」
エレナは鍵盤から指を離し、振り返った。
エレナは神経工学科の学生、カイトは義体工学の若き天才研究者。専門分野も性格もまるで違う二人だったが、互いの欠けたピースを埋め合わせるように惹かれ合っていた。
「コーヒー、淹れ直したわ。さっきのは煮詰まってたから」
「ありがとう。エレナの淹れるコーヒーは世界一だ」
カイトはカップを受け取り、一口飲んだ。温かい。
さっきまでの薄暗い地下室とは別世界だ。
平和で、明るくて、壊れやすい幸せの象徴。
カイトは、この光景を守るためなら何でもするつもりだった。例え、自分の手が油と血に汚れることになっても。
カイトはモニターに向き直り、シミュレーション画像を見つめた。
幾何学的な模様が回転している。彼が極秘に進めている研究『リバース・コード』のデータだ。
「ねえ、エレナ。僕らが老人になったら、どんな顔をしてると思う?」
唐突な問いかけに、エレナは首をかしげた。
「どうしたの、急に。サイボーグ化すれば老化なんて関係ない時代よ?お金さえ払えば、永遠に若いままでいられるわ」
「だからさ。僕は嫌なんだ、永遠なんて」
カイトは椅子を回転させてこちらを向き、真剣な眼差しでエレナを見つめた。
「僕は君と一緒に、シワだらけになりたい。腰が曲がって、お互いの名前も度忘れして……『あれ、眼鏡どこだっけ?』なんて言いながら。そうやって、限りある時間を使い果たして死にたいんだ」
「……変わってる」
「そうかな。でも、それが人間だろ?傷ついて、老いて、消えていく。だからこそ、今この瞬間が愛おしいんだ」
カイトは胸ポケットから、銀色のロケットペンダントを取り出した。
「これ、あげるよ。僕の『お守り』のバックアップだ」
「バックアップ?」
「君が持っていてくれ。君の脳波パターンでしか開かないようにしてある。中身は……まあ、とびきりの愛の言葉ってことにしておいて」
キザな台詞の連発に、エレナは吹き出しそうになった。
エレナがそれを受け取ろうと手を伸ばした、その時だった。
カイトの表情が凍りついた。
彼の手元のモニターが、前触れもなく真っ赤な警告色(レッド・アラート)に染まったからだ。
「――来たか」
カイトが呟く。それは、いつか来るこの日を予期していた者の声だった。
3
彼はエレナの手を引く代わりに、躊躇なく彼女の胸を突き飛ばした。
「えっ……!?」
「エレナ!そこから動くな!」
カイトは、デスクの下にある隠しペダルを力いっぱい踏み込んだ。
ガゴンッ!
重い駆動音と共に、エレナが倒れ込んだ床から、透明な強化樹脂製の隔壁『緊急対爆シールド』がせり上がる。
それはカイトが設置していたギミック、実験事故や襲撃から、たった一人だけを守るための保険だった。
世界が反転した。
音よりも先に、灼熱が来た。
鼓膜を突き破るような轟音。
シールドが完全に閉まりきるまでの、わずか0.5秒の隙間。そこから侵入した爆風と熱線が、エレナの半身を焼き、意識を刈り取る。
「あ、がぁッ……!」
激痛の中で、エレナは見た。
閉まりかけたシールドの向こう側で、カイトが彼女に背を向け、両手を広げて立ち尽くしている姿を。
彼は自らの体を盾にして、シールドの隙間を塞いでいたのだ。
「カイト……!」
声にならない叫び。
熱風がカイトの白衣を、肌を、瞬く間に炭化させていく。
それでも彼は倒れなかった。
エレナを守る壁が完全に閉じるその瞬間まで、彼は炎の中で仁王立ちを続けた。
最後に、彼が少しだけ振り返り、唇を動かしたように見えた。
――生きろ。
轟音と共に天井が崩落し、カイトの姿は瓦礫と炎の向こう側へと消えた。
4
警報音が鳴り響かない。ジャミングだ。
硝煙の向こうから、黒い影たちが現れた。
軍用の光学迷彩スーツに身を包んだ男たち。その先頭に、不釣り合いなほど優雅なスーツを着た紳士が立っていた。
巨大シンジケート『AION』の首領、ヴィンセント。
エレナはシールドの中で、焼けた喉を押さえてそれを見ていた。
カイトのシールドのおかげで、即死は免れた。
だが、体はボロボロで、指一本動かせない。
薄れゆく意識の中で、ヴィンセントが瓦礫の下のカイトを見つけ、その髪を掴んで引き上げるのが見えた。
「やあ、カイト君。君の論文、興味深く読ませてもらったよ」
「……」
カイトはもう答えない。
ヴィンセントは慈悲深い聖職者のような顔で微笑み、懐から無骨な拳銃を取り出した。
「君は優秀すぎた。……『リバース・コード』などという、機械を人間に引きずり下ろす冒涜的な研究さえしていなければ」
乾いた銃声が一つ。
すでに事切れているカイトの頭部に、確認のための弾丸が撃ち込まれる。
「――ぅ、ぁ……」
エレナの瞳から、涙すら蒸発して消えた。
ヴィンセントは靴についた灰をハンカチで拭うと、破壊されたサーバーを見下ろして溜息をついた。
「惜しいことをしたな。君が大人しく『ゆらぎ』のデータだけを渡してくれれば、殺さずに済んだものを」
彼は部下に命じた。
「ここにある全てを焼き払え。不純な思想(コード)を、一片たりとも残すな」
「ボス、そこにシェルターのようなものが。中に生存者がいる可能性があります」
「放っておけ。この高熱だ、中は蒸し焼きだろう。……開ける手間が惜しい」
彼らは去っていった。
カイトが命懸けで作動させたシールドが、皮肉にもエレナを「死体」だと誤認させ、彼女の命を繋ぎ止めたのだ。
静寂だけが残された部屋。
エレナは黒焦げになった手を伸ばし、シールドのガラスを引っ掻いた。
外には、カイトの手からこぼれ落ちた、
あの銀色のペンダントだけが転がっていた。
私が生きているのは、偶然じゃない。
彼が、未来(わたし)を選んでくれたから。
薄れゆく意識の底で、エレナは誓った。
この身が機械に変わろうとも、魂が焼き尽くされようとも。
この理不尽な世界を、壊してやる。
カイトを奪った全てを、灰にしてやる。
崩れ落ちた楽園の中心で、復讐の鬼が産声を上げた。
先端義体工学大学、第4研究棟。
その地下にある空調設備の隙間を縫うように、目立たない鉄扉があった。
カイトが個人で使用している「予備資材室」――
薄暗い室内で、重苦しい駆動音が響いていた。
「……クソッ。またサーボが焼き付いてやがる」
「扱いが雑なんだよ、ロイ。第1世代(ファースト)のパーツは、今の既製品みたいに頑丈じゃないんだ」
作業台に腕を乗せているのは、国家公安局の刑事、ロイ・バッカス。
無精髭にレザージャケット。そして、右腕と右足の皮膚が剥がれ、無骨な機械が露出している。
白衣を着たカイトが、その腕に繊細な調整を施していた。
「文句言うなよ、ドクター。……俺のメンテができるのは、世界中でお前だけなんだ」
「光栄だね。この時代の設計思想は美しい。無骨だが、魂がある」
カイトは楽しそうに工具を動かした。
ロイは周囲を忌々しげに見渡した。埃っぽい、窓のない倉庫のような部屋。
「……いつまでこんなコソコソしなきゃなんねえんだ。表玄関から堂々と入りてえもんだぜ」
「仕方ないさ。君のその義体は、平和な大学には刺激が強すぎる。それに、僕が公安の『廃棄予定品(スクラップ)』を無許可で延命させてるとバレたら、お互いタダじゃ済まない」
カイトは作業を終え、油で汚れた手を拭いた。
「よし、完了だ。出力係数は正常。……無茶しないでくれよ、ロイ。代わりのパーツはもうないんだから」
「へっ。善処するよ」
ロイは右腕を回し、感触を確かめると、紙幣をデスクに置いた。
「ツケといてくれ」
「はいはい。出世払いだろ?」
「……チッ」
ロイはフードを目深にかぶり、入ってきた裏口へと消えていった。
2
カイトは手を洗い、白衣を着替えると、防音扉を開けてメインの研究室へと戻った。
窓から差し込む陽光は、作り物のように白かった。
オートメーション化された農業プラントが空を覆うこの時代、天然の太陽光を浴びることができるのは、ここ「先端義体工学大学」のような特権的な場所か、富裕層のペントハウスくらいのものだ。
部屋には、ピアノの旋律と、少し焦げたコーヒーの香りが漂っている。
「――戻ったのね、カイト」
エレナが振り返った。艶やかな黒髪が光を浴びて輝いている。彼女は同じ大学の学生であり、カイトの恋人だ。
「……うん、いい音だ。今日の君の音は、少し跳ねてるね」
「わかる?今週末のコンクール、課題曲が決まったの」
エレナは鍵盤から指を離し、振り返った。
エレナは神経工学科の学生、カイトは義体工学の若き天才研究者。専門分野も性格もまるで違う二人だったが、互いの欠けたピースを埋め合わせるように惹かれ合っていた。
「コーヒー、淹れ直したわ。さっきのは煮詰まってたから」
「ありがとう。エレナの淹れるコーヒーは世界一だ」
カイトはカップを受け取り、一口飲んだ。温かい。
さっきまでの薄暗い地下室とは別世界だ。
平和で、明るくて、壊れやすい幸せの象徴。
カイトは、この光景を守るためなら何でもするつもりだった。例え、自分の手が油と血に汚れることになっても。
カイトはモニターに向き直り、シミュレーション画像を見つめた。
幾何学的な模様が回転している。彼が極秘に進めている研究『リバース・コード』のデータだ。
「ねえ、エレナ。僕らが老人になったら、どんな顔をしてると思う?」
唐突な問いかけに、エレナは首をかしげた。
「どうしたの、急に。サイボーグ化すれば老化なんて関係ない時代よ?お金さえ払えば、永遠に若いままでいられるわ」
「だからさ。僕は嫌なんだ、永遠なんて」
カイトは椅子を回転させてこちらを向き、真剣な眼差しでエレナを見つめた。
「僕は君と一緒に、シワだらけになりたい。腰が曲がって、お互いの名前も度忘れして……『あれ、眼鏡どこだっけ?』なんて言いながら。そうやって、限りある時間を使い果たして死にたいんだ」
「……変わってる」
「そうかな。でも、それが人間だろ?傷ついて、老いて、消えていく。だからこそ、今この瞬間が愛おしいんだ」
カイトは胸ポケットから、銀色のロケットペンダントを取り出した。
「これ、あげるよ。僕の『お守り』のバックアップだ」
「バックアップ?」
「君が持っていてくれ。君の脳波パターンでしか開かないようにしてある。中身は……まあ、とびきりの愛の言葉ってことにしておいて」
キザな台詞の連発に、エレナは吹き出しそうになった。
エレナがそれを受け取ろうと手を伸ばした、その時だった。
カイトの表情が凍りついた。
彼の手元のモニターが、前触れもなく真っ赤な警告色(レッド・アラート)に染まったからだ。
「――来たか」
カイトが呟く。それは、いつか来るこの日を予期していた者の声だった。
3
彼はエレナの手を引く代わりに、躊躇なく彼女の胸を突き飛ばした。
「えっ……!?」
「エレナ!そこから動くな!」
カイトは、デスクの下にある隠しペダルを力いっぱい踏み込んだ。
ガゴンッ!
重い駆動音と共に、エレナが倒れ込んだ床から、透明な強化樹脂製の隔壁『緊急対爆シールド』がせり上がる。
それはカイトが設置していたギミック、実験事故や襲撃から、たった一人だけを守るための保険だった。
世界が反転した。
音よりも先に、灼熱が来た。
鼓膜を突き破るような轟音。
シールドが完全に閉まりきるまでの、わずか0.5秒の隙間。そこから侵入した爆風と熱線が、エレナの半身を焼き、意識を刈り取る。
「あ、がぁッ……!」
激痛の中で、エレナは見た。
閉まりかけたシールドの向こう側で、カイトが彼女に背を向け、両手を広げて立ち尽くしている姿を。
彼は自らの体を盾にして、シールドの隙間を塞いでいたのだ。
「カイト……!」
声にならない叫び。
熱風がカイトの白衣を、肌を、瞬く間に炭化させていく。
それでも彼は倒れなかった。
エレナを守る壁が完全に閉じるその瞬間まで、彼は炎の中で仁王立ちを続けた。
最後に、彼が少しだけ振り返り、唇を動かしたように見えた。
――生きろ。
轟音と共に天井が崩落し、カイトの姿は瓦礫と炎の向こう側へと消えた。
4
警報音が鳴り響かない。ジャミングだ。
硝煙の向こうから、黒い影たちが現れた。
軍用の光学迷彩スーツに身を包んだ男たち。その先頭に、不釣り合いなほど優雅なスーツを着た紳士が立っていた。
巨大シンジケート『AION』の首領、ヴィンセント。
エレナはシールドの中で、焼けた喉を押さえてそれを見ていた。
カイトのシールドのおかげで、即死は免れた。
だが、体はボロボロで、指一本動かせない。
薄れゆく意識の中で、ヴィンセントが瓦礫の下のカイトを見つけ、その髪を掴んで引き上げるのが見えた。
「やあ、カイト君。君の論文、興味深く読ませてもらったよ」
「……」
カイトはもう答えない。
ヴィンセントは慈悲深い聖職者のような顔で微笑み、懐から無骨な拳銃を取り出した。
「君は優秀すぎた。……『リバース・コード』などという、機械を人間に引きずり下ろす冒涜的な研究さえしていなければ」
乾いた銃声が一つ。
すでに事切れているカイトの頭部に、確認のための弾丸が撃ち込まれる。
「――ぅ、ぁ……」
エレナの瞳から、涙すら蒸発して消えた。
ヴィンセントは靴についた灰をハンカチで拭うと、破壊されたサーバーを見下ろして溜息をついた。
「惜しいことをしたな。君が大人しく『ゆらぎ』のデータだけを渡してくれれば、殺さずに済んだものを」
彼は部下に命じた。
「ここにある全てを焼き払え。不純な思想(コード)を、一片たりとも残すな」
「ボス、そこにシェルターのようなものが。中に生存者がいる可能性があります」
「放っておけ。この高熱だ、中は蒸し焼きだろう。……開ける手間が惜しい」
彼らは去っていった。
カイトが命懸けで作動させたシールドが、皮肉にもエレナを「死体」だと誤認させ、彼女の命を繋ぎ止めたのだ。
静寂だけが残された部屋。
エレナは黒焦げになった手を伸ばし、シールドのガラスを引っ掻いた。
外には、カイトの手からこぼれ落ちた、
あの銀色のペンダントだけが転がっていた。
私が生きているのは、偶然じゃない。
彼が、未来(わたし)を選んでくれたから。
薄れゆく意識の底で、エレナは誓った。
この身が機械に変わろうとも、魂が焼き尽くされようとも。
この理不尽な世界を、壊してやる。
カイトを奪った全てを、灰にしてやる。
崩れ落ちた楽園の中心で、復讐の鬼が産声を上げた。
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