2 / 3
第2話 ゆらぎの魔女
しおりを挟む
1
雨の降る葬儀場は、色を失ったモノクロームの映画のようだった。
追悼の祈りも、参列者のすすり泣きも、分厚いガラスの向こう側で起きている出来事のように遠い。
「残念だったね。優秀な学生だったのに」
「実験中の事故だそうだ。ナノマシンの暴走だって」
「怖いな。やっぱり最新技術にはリスクがあるよ」
無責任な囁き声が、エレナの耳をすり抜けていく。
警察の公式発表は「不慮の爆発事故」。
嘘だ。あれは殺人だった。組織的な襲撃だった。
けれど、誰もその真実を知らない。いや、知ろうとしない。
この国では、巨大シンジケート『AION』の影に触れることは、社会的な死、あるいは物理的な死を意味するからだ。
エレナは濡れた喪服のまま、遺影を見つめていた。
笑っているカイト。
もう二度と、あの温かい手でコーヒーを淹れてくれることはない。
(……ごめんなさい。私は、泣くことすら許されない)
彼女は、ポケットの中の銀色のペンダントを強く握りしめた。
悲しみに暮れる時間はない。
この瞬間も、ヴィンセントはのうのうと生きているのだから。
2
参列者の列から離れた、雨ざらしの場所に、一人の男が立っていた。
ロイだ。
彼は喪服を着ていなかった。
いつものボロボロのレザージャケット姿で、傘も差さずにじっとカイトの遺影を睨みつけている。
その背後に、スーツを着た上司らしき男が近づいた。
「おい、バッカス。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「……関係者だ」
「はあ?お前のような粗大ゴミが、あんなエリートとどういう関係だ」
ロイは濡れた前髪をかき上げ、上司を睨み返した。
「うるせえよ。……俺の主治医(ドクター)だ」
「フン。まあいい。それより、わかっているな?この件からは手を引け」
「……なんで捜査を打ち切った?現場には軍用爆薬の痕跡があった。どう見てもテロだろ」
「上からの命令だ。あれは『事故』だ。……いいか、余計なことを嗅ぎ回るな。特務課の予算をゼロにされたくなければな」
上司は捨て台詞を吐いて、そそくさと屋根の下へ戻っていった。
ロイは舌打ちをし、ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出した。雨で濡れていて、火がつかない。
「……クソが」
彼は吸うのを諦め、タバコをその手で握りつぶした。
カイトは言っていた。『君の代わりのパーツはもうない』と。
俺を直せる唯一の男。
俺を「スクラップ」ではなく「魂のある機械」として扱ってくれた唯一の友人。
それを、腐った組織と金が揉み消そうとしている。
「……上等だ。警察(サツ)が動かねえなら、俺がやるしかねえ」
ロイは遺影に背を向けた。
その瞳に、静かな怒りの炎が灯る。
遠くで佇む喪服の少女(エレナ)には気づかないまま、野良犬は雨の中へと消えていった。
3
エレナは一人でアパートへ戻った。
カイトの匂いが残る部屋。二人で選んだマグカップ。書きかけの楽譜。そのすべてが、鋭利な刃物になってエレナの心を切り刻む。
彼女は濡れた喪服のままデスクに向かい、震える手でカイトが遺した銀色のペンダントを解析用端末に接続した。
カイトが最期に託した「バックアップ」。
エレナの脳波パターンでしか開かないプロテクトを解除すると、膨大なデータが展開された。
それは愛の言葉などではなかった。
――『シンジケートAIONサーバーへのバックドア(裏口)コード』。
そして、『ゆらぎ』の核心部分である「生体適合アルゴリズム」。
カイトは予期していたのだ。
自分の研究が兵器転用される危険性を。そして万が一の時、エレナだけが真実に辿り着けるように、この鍵を残した。
「……馬鹿よ、カイト。私を守るためにこれを残したの?」
画面の青白い光が、エレナの顔を照らす。
本来なら、これを警察に提出して保護を求めるべきかもしれない。だが、警察すらもAIONの息がかかっていることは明らかだ。
かといって、このコードを使って外部からハッキングを仕掛けても、ヴィンセントの堅牢な城壁を崩すには難易度が高すぎる。
(外から壊せないなら、中に入ればいい……)
エレナの脳裏に、狂気じみたプランが浮かび上がった。
この「バックドアコード」を書き換え、特定の条件で発動する強力なウイルスに改造する。そして、それを最も確実に敵の中枢へ届ける方法は――
「私自身が『感染源(ウイルス)』になること」
自らサイボーグとなってAIONに入り込み、ヴィンセントが欲しがる「完全な適合データ」を提供すると見せかけて、システムと同調した瞬間に内側から食い破る。
それは、人間としての自分を完全に殺し、機械の体を受け入れることを意味していた。
4
決意を固めたエレナは、洗面所の鏡の前に立った。
そこには、雨に濡れ、悲しみに暮れる黒髪の女が映っていた。
肩にかかる長く艶やかな髪。
『エレナの髪は綺麗だね。ピアノを弾くとき、揺れるのが好きなんだ』
カイトが愛してくれた髪。彼が指で梳いてくれる感触が好きだった。彼の前で可愛くありたいと願った、乙女心の象徴。
だが、今のプランを実行すれば、もう二度とピアノを弾くことも、彼に撫でてもらうこともない。復讐という修羅の道を行く女に、この髪はあまりに重く、美しすぎる。
「……さようなら」
エレナは引き出しから裁ち鋏を取り出した。
躊躇いはなかった。
ジャリ、という鈍い音と共に、黒い束が床に落ちる。
一度ハサミを入れるたびに、思い出が切り離されていく。幸せだった記憶。温かい食卓。将来の夢。愛される喜び。
それら全てを、復讐者はここで捨て去る。
数分後。
鏡の中には、乱暴に切り揃えられたショートヘアの女が立っていた。
その瞳には、もう涙は浮かんでいない。
そこにあるのは、凍てつくような殺意と、奴らを騙すための冷徹な知性だけだった。
「私は怪物になる。……あなたたちを食い殺す、悪魔に」
エレナはハサミを置き、端末のデータをペンダントに戻した。
行き先は決まっている。
敵の本拠地。地獄の底へ、自ら落ちていくために。
雨の降る葬儀場は、色を失ったモノクロームの映画のようだった。
追悼の祈りも、参列者のすすり泣きも、分厚いガラスの向こう側で起きている出来事のように遠い。
「残念だったね。優秀な学生だったのに」
「実験中の事故だそうだ。ナノマシンの暴走だって」
「怖いな。やっぱり最新技術にはリスクがあるよ」
無責任な囁き声が、エレナの耳をすり抜けていく。
警察の公式発表は「不慮の爆発事故」。
嘘だ。あれは殺人だった。組織的な襲撃だった。
けれど、誰もその真実を知らない。いや、知ろうとしない。
この国では、巨大シンジケート『AION』の影に触れることは、社会的な死、あるいは物理的な死を意味するからだ。
エレナは濡れた喪服のまま、遺影を見つめていた。
笑っているカイト。
もう二度と、あの温かい手でコーヒーを淹れてくれることはない。
(……ごめんなさい。私は、泣くことすら許されない)
彼女は、ポケットの中の銀色のペンダントを強く握りしめた。
悲しみに暮れる時間はない。
この瞬間も、ヴィンセントはのうのうと生きているのだから。
2
参列者の列から離れた、雨ざらしの場所に、一人の男が立っていた。
ロイだ。
彼は喪服を着ていなかった。
いつものボロボロのレザージャケット姿で、傘も差さずにじっとカイトの遺影を睨みつけている。
その背後に、スーツを着た上司らしき男が近づいた。
「おい、バッカス。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「……関係者だ」
「はあ?お前のような粗大ゴミが、あんなエリートとどういう関係だ」
ロイは濡れた前髪をかき上げ、上司を睨み返した。
「うるせえよ。……俺の主治医(ドクター)だ」
「フン。まあいい。それより、わかっているな?この件からは手を引け」
「……なんで捜査を打ち切った?現場には軍用爆薬の痕跡があった。どう見てもテロだろ」
「上からの命令だ。あれは『事故』だ。……いいか、余計なことを嗅ぎ回るな。特務課の予算をゼロにされたくなければな」
上司は捨て台詞を吐いて、そそくさと屋根の下へ戻っていった。
ロイは舌打ちをし、ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出した。雨で濡れていて、火がつかない。
「……クソが」
彼は吸うのを諦め、タバコをその手で握りつぶした。
カイトは言っていた。『君の代わりのパーツはもうない』と。
俺を直せる唯一の男。
俺を「スクラップ」ではなく「魂のある機械」として扱ってくれた唯一の友人。
それを、腐った組織と金が揉み消そうとしている。
「……上等だ。警察(サツ)が動かねえなら、俺がやるしかねえ」
ロイは遺影に背を向けた。
その瞳に、静かな怒りの炎が灯る。
遠くで佇む喪服の少女(エレナ)には気づかないまま、野良犬は雨の中へと消えていった。
3
エレナは一人でアパートへ戻った。
カイトの匂いが残る部屋。二人で選んだマグカップ。書きかけの楽譜。そのすべてが、鋭利な刃物になってエレナの心を切り刻む。
彼女は濡れた喪服のままデスクに向かい、震える手でカイトが遺した銀色のペンダントを解析用端末に接続した。
カイトが最期に託した「バックアップ」。
エレナの脳波パターンでしか開かないプロテクトを解除すると、膨大なデータが展開された。
それは愛の言葉などではなかった。
――『シンジケートAIONサーバーへのバックドア(裏口)コード』。
そして、『ゆらぎ』の核心部分である「生体適合アルゴリズム」。
カイトは予期していたのだ。
自分の研究が兵器転用される危険性を。そして万が一の時、エレナだけが真実に辿り着けるように、この鍵を残した。
「……馬鹿よ、カイト。私を守るためにこれを残したの?」
画面の青白い光が、エレナの顔を照らす。
本来なら、これを警察に提出して保護を求めるべきかもしれない。だが、警察すらもAIONの息がかかっていることは明らかだ。
かといって、このコードを使って外部からハッキングを仕掛けても、ヴィンセントの堅牢な城壁を崩すには難易度が高すぎる。
(外から壊せないなら、中に入ればいい……)
エレナの脳裏に、狂気じみたプランが浮かび上がった。
この「バックドアコード」を書き換え、特定の条件で発動する強力なウイルスに改造する。そして、それを最も確実に敵の中枢へ届ける方法は――
「私自身が『感染源(ウイルス)』になること」
自らサイボーグとなってAIONに入り込み、ヴィンセントが欲しがる「完全な適合データ」を提供すると見せかけて、システムと同調した瞬間に内側から食い破る。
それは、人間としての自分を完全に殺し、機械の体を受け入れることを意味していた。
4
決意を固めたエレナは、洗面所の鏡の前に立った。
そこには、雨に濡れ、悲しみに暮れる黒髪の女が映っていた。
肩にかかる長く艶やかな髪。
『エレナの髪は綺麗だね。ピアノを弾くとき、揺れるのが好きなんだ』
カイトが愛してくれた髪。彼が指で梳いてくれる感触が好きだった。彼の前で可愛くありたいと願った、乙女心の象徴。
だが、今のプランを実行すれば、もう二度とピアノを弾くことも、彼に撫でてもらうこともない。復讐という修羅の道を行く女に、この髪はあまりに重く、美しすぎる。
「……さようなら」
エレナは引き出しから裁ち鋏を取り出した。
躊躇いはなかった。
ジャリ、という鈍い音と共に、黒い束が床に落ちる。
一度ハサミを入れるたびに、思い出が切り離されていく。幸せだった記憶。温かい食卓。将来の夢。愛される喜び。
それら全てを、復讐者はここで捨て去る。
数分後。
鏡の中には、乱暴に切り揃えられたショートヘアの女が立っていた。
その瞳には、もう涙は浮かんでいない。
そこにあるのは、凍てつくような殺意と、奴らを騙すための冷徹な知性だけだった。
「私は怪物になる。……あなたたちを食い殺す、悪魔に」
エレナはハサミを置き、端末のデータをペンダントに戻した。
行き先は決まっている。
敵の本拠地。地獄の底へ、自ら落ちていくために。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる