『0.5秒の永遠 ~復讐のために心を捨てた少女は、最強の兵器となって涙を流す~』

Renato

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第3話 契約の代償

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1
 シンジケート『AION』のフロント企業、巨大製薬会社の本社ビル。
 その最上階にある応接室は、下界を見下ろす天空の城のようだった。
 革張りのソファに深く腰掛けたヴィンセントは、ワイングラスを揺らしながら、目の前に現れた小柄な少女を値踏みするように見つめた。
 ボサボサのショートヘア。喪服のような黒い服。だが、その眼光だけは飢えた狼のように鋭い。

「カイト君の恋人……だったかな。警察ではなく、私に会いに来るとはね」

「単刀直入に言います」

 エレナは端末をテーブルに放り投げた。
 空中にホログラムが展開される。ヴィンセントの目が細められた。

「カイトの研究データです。あなたが欲しがっていた精神安定理論……『ゆらぎプログラム』の本体」

「ほう。……我々の解析班が手こずっているラストピースを、君が持っていたとは」

 ヴィンセントが身を乗り出した。

「いくらだ?金か?それとも、カイト君を殺した実行犯の首か?」

「取引です。……私を、最強のサイボーグにしなさい」

 エレナの声は、氷のように冷たく、そして熱かった。

「この『ゆらぎ』のコア・アルゴリズムは、生体キーである私の脳波とリアルタイムでリンクさせなければ完成しません。……つまり、私が死ねばデータは永遠に失われる」

 エレナは一歩前に踏み出し、ヴィンセントを睨みつけた。

「私を使いなさい。私があなたの実験体になる。……その代わり、私の脳をAIONのメインサーバーに直結させ、演算リソースをすべて私に回して」

 ヴィンセントの眉が動いた。

「メインサーバーへの直結だと?大胆な要求だね」

「それだけの価値があるデータのはずです。それに……あなたのシステムを使わないと、この複雑なプログラムは解凍(コンパイル)できない」

 それは嘘ではない。だが、真実の半分だ。
 直結が必要な本当の理由は、彼女が仕込んだ「ウイルス」をAIONの中枢に流し込み、感染させるため。

 (食いつきなさい。……あなたの強欲さが、あなたの命取りになる)

2
 室内の空気が張り詰める。
 ヴィンセントは沈黙し、やがて喉の奥で低く笑い出した。クックッ、ハハハハハ!

「面白い!復讐心に燃える聖女か。自分自身の身体を『餌』にして、悪魔と契約しようというのか!」

「……イエスか、ノーか。答えなさい」

 ヴィンセントは立ち上がり、エレナの前に立った。
 彼はエレナの顎を指で持ち上げ、まるで金脈を見つけた採掘者のような目で見つめた。

「否定する理由がないね。このプログラムを汎用化できれば、世界の特権階級は文字通り『永遠の命』を手に入れる。計り知れない利益だ」

 ヴィンセントの瞳の奥で、強欲とは違う、個人的な渇望の光が一瞬だけ揺らめいた。

(それに……これがあれば、私の精神崩壊(デッド・コピー)も止まる)

「いいだろう。だが、君の脳にあるデータは『原石』だ。汎用化パッチを作るには、君自身が極限状態でそのプログラムを使いこなし、システムとの同調率を極限まで高め、膨大な**『生体実証データ(クリニカル・データ)』**を精製する必要がある」

「望むところです」

 エレナは心の中で冷たく微笑んだ。
 同調率を高める?ええ、やってあげる。
 同調率が100%に達したその瞬間こそが、私が仕込んだバックドア・ウイルスが発動し、あなたの城を内側から崩壊させる時だ。

「契約成立だ。……代償は高いぞ、エレナ」
「代償?」
「人間としての尊厳だ。二度と、幸せな食事も、安らかな眠りも得られない。君はただの『兵器』であり、データを吐き出し続ける『実験動物』になるんだ」

 エレナはカイトの笑顔を思い出した。
 シワだらけになりたかった未来。温かいコーヒーの香り。
 それら全てを、頭の中で叩き割った。

「構わない。……悪魔にでも何にでもなってやる」

 エレナの瞳に宿る暗い炎を見て、ヴィンセントは満足げに頷いた。

「契約成立だ」

 彼が指を鳴らすと、応接室の巨大な本棚が音もなくスライドし、その奥に隠された通路が現れた。
 冷気と消毒液の匂いが漂ってくる。地獄への入り口だ。

「ようこそ、永遠の世界へ。私の新しい最高傑作(ミューズ)」

 エレナは振り返らなかった。
 カツ、カツ、と靴音を響かせ、闇の中へと歩き出す。

 その背中で、人間としてのエレナ・ハートフィールドは死んだ。

 ここから先は、ただ殺すためだけに動く、悲しき機械の時間だ。
 そして――懐に隠したナイフを、虎視眈々と磨き続けるスパイの時間が始まった。

3
 地獄に底があるなら、ここがそうだろう。
 麻酔は効かなかった。
 ヴィンセントの指示か、あるいは「適合率」を高めるための仕様か。
 エレナは意識を保ったまま、自らの肉体が削ぎ落とされていく音を聞き続けていた。

 ギュイイイイイン……!

 骨を削るドリルの高周波音。 焼け付くようなレーザーメスの熱。
 カイトが愛してくれた肌が剥がされ、その下にある神経網が、冷たい金属繊維(ナノファイバー)へと一本ずつ置換されていく。

「――が、ぁ……っ!」

 声帯が麻痺して悲鳴も上げられない。
 ただ、脳味噌を直接かき混ぜられるような違和感と、灼熱の鉛を血管に流し込まれるような激痛が、終わることなく続く。
 一時間?一日?いや、もっと長く感じる。
 痛みが時間を引き伸ばし、意識を細切れにしていく。

(カイト……助けて……)

 薄れゆく視界の端で、カレンダーの日付が見えた気がした。
 だが、次の瞬間に意識はブラックアウトし、深い闇の底へと沈んでいった。
 そこは、痛覚信号だけが無限ループする、時間の止まった檻だった。
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