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第7話 偽りの黒髪
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1
AION本部。
ヴィンセントは楽しそうに笑い、言い放つ。
「さて、『表の任務』だ。……大学に戻りたまえ」
「大学へ……?」
「ああ。君は『奇跡的に一命を取り留め、手術を乗り越え、復学した女子大生』という設定になっている」
ヴィンセントの目が鋭く光った。
「目的は一つ。カイト君の研究室に残されたサーバーへの物理アクセスだ。我々が押収する前に、彼が隠した『別のデータ』があるかもしれない。……君なら、探せるだろう?」
「……了解しました」
「期待しているよ。」
エレナの姿が見えなくなると、ヴィンセントは手元のコンソールを操作し、部屋の照明を落とした。
闇の中で、彼の瞳だけが爬虫類のように妖しく光る。
「……ボス。彼女に重要なデータを見つけさせて、そのまま回収させるのですか?」
影から現れた側近が問う。ヴィンセントはワインを一口含み、冷酷に笑った。
「まさか。彼女は『優秀な猟犬』だが、飼い主に忠実とは限らない。……カイト君の遺産を見つけたら、必ず隠すだろうね」
「では、監視部隊に回収させますか?」
「いや、それもつまらない。もっと面白い実験をしよう」
ヴィンセントは空中にホログラムの地図を展開した。
「彼女の視覚・聴覚ログは全て監視しろ。彼女が『宝』を見つけた瞬間、その情報を匿名でBEHEMOTHへリークするんだ」
「敵に、ですか?」
「ああ。餌を撒いて、飢えた獣同士を争わせる。……極限の混戦(カオス)の中で、彼女の『ゆらぎ』がどう輝くか。最高のショーになると思わないか?」
ヴィンセントはグラスを掲げた。
その赤ワインは、これから流れる血の色をしていた。
2
この銀髪と紅い目のままでは目立ちすぎる。
「アイギス、擬態モード展開」
『了解。ナノスキン・カモフラージュ、起動』
エレナの皮膚表面を走る微弱電流が、光の屈折率を変化させる。
月光のような銀髪が、徐々に色彩を失い――かつての艶やかな黒髪へと変わっていく。
深紅の義眼も、暗いブラウンの瞳へと色を変えた。
鏡の中にいたのは、死んだはずの「人間・エレナ」の姿だった。
「……完璧ね。まるで幽霊」
エレナは自嘲気味に笑った。
触れれば冷たい鋼鉄の体。見た目だけを取り繕った、脆い仮面。
3
先端義体工学大学のキャンパスは、皮肉なほど平和だった。
エレナは講義棟の長い回廊を歩きながら、背中に突き刺さる無数の視線を感じていた。
「おい、あれがエレナさんだ」
「去年の爆発事故から生還したっていう……」
「美人だけど、なんか雰囲気変わったよな。冷たいっていうか」
噂話をする学生たちの心拍数や体温が、エレナの視界に数値(データ)として表示される。
世界が、記号に見える。
かつては自分も、あの中で笑っていたはずなのに。今はまるで、透明な防弾ガラスの向こう側を歩いているような疎外感があった。
「エレナ!久しぶり!」
カフェテリアで、かつての友人が声をかけてきた。
エレナは口角を数ミリ上げ、完璧に計算された笑顔を作った。
「ええ。久しぶり」
「心配したんだよ。本当に大変だったね……。よかったらランチ一緒にどう?」
断る理由が見つからず、エレナは席についた。
目の前に置かれたトマトソースのパスタ。湯気が立っている。
友人は楽しそうにフォークを動かしているが、エレナは動けない。
食べられないのだ。有機物を摂取すれば、炉心内で不完全燃焼を起こし、エラーを吐く。
「どうしたの?食べないの?」
「……ごめんなさい。まだ、胃の調子が良くなくて」
「そっか……大きな手術したんだもんね……」
友人が同情の眼差しを向け、励ますようにエレナの手を握った。
「元気出してね。生きててくれて、本当によかった」
その手は温かかった。
だが、エレナのセンサーは、それを「外部圧力」としてしか認識しなかった。
ピシッ。
嫌な音がした。
エレナの手の中にあった金属製のスプーンが、飴細工のようにひしゃげ、真っ二つに折れていたのだ。
友人の温かさに動揺し、出力制御(リミッター)が一瞬だけ乱れた結果だった。
「え……?」
友人が目を丸くして、折れたスプーンを見る。
人間の握力で、ステンレスのスプーンがこんな風に折れるはずがない。
「……ごめんなさい。私、どうかしてるみたい」
エレナは逃げるように席を立った。
背後で友人が呼ぶ声がするが、振り返れない。
私はもう、人間じゃない。触れるものすべてを壊してしまう怪物なんだ。
(私はもう、こちらの世界にはいない)
胸の奥の炉心が、寂しげに低く唸った。
4
放課後。エレナは旧校舎の音楽室にいた。
ここなら誰も来ない。彼女はグランドピアノに向かい、鍵盤に指を置いた。
カイトが好きだった、ショパンのノクターン。
目を閉じれば、彼が隣でコーヒーを飲みながら聴いてくれていた光景が浮かぶ。 あの頃の私に戻りたい。ただのピアノが好きな女の子に。
指を動かす。
ポロン、ポロン、ポロン……。
完璧だった。
ミスタッチはゼロ。テンポの揺らぎもゼロ。ペダルの踏み込み深さまで、ミリ単位で制御されている。
アイギスが視界の端で『演奏精度:100%』と評価を表示する。
――けれど、それは音楽ではなかった。
「……違う」
音が硬い。冷たい。
まるでMIDI音源を再生しているような、無機質な羅列。
かつて指先に込めていた「切なさ」や「温かみ」といった感情が、鍵盤に伝わらない。
出力制御された義手は、ピアノを「弾く」のではなく、キーを「押す」作業を行っているだけなのだ。
「もっと……もっと優しく……!」
エレナは焦り、感情を込めて指に力を入れた。
バキッ!!
鈍い音が響き、鍵盤の一つが根元からへし折れた。
ピアノ線が切れ、不協和音が音楽室に悲鳴のように響き渡る。
「あ……」
エレナは折れた黒鍵を見つめ、震える手を胸に押し当てた。
戻れない。
どんなに姿を擬態しても、中身は鋼鉄の怪物。
愛する人の好きだった曲さえ、もう二度と弾くことはできないのだ。
(私は、もう人間じゃない……)
絶望が胸を締め付けた、その時だった。
ガチャリ。 ドアが開いた。
「いい曲だな。……少し悲しいが」
不遠慮な声と共に、男が入ってきた。
レザージャケットを着た無精髭の男――ロイ。昨夜スラム街で戦った男だ。
エレナの心臓(コア)が早鐘を打った。演奏を止め、警戒モードへ移行する。
(まずい。感づかれた……?)
エレナは擬態(カモフラージュ)が解けないよう、必死に感情を抑制した。
ロイはズカズカと部屋に入り込み、エレナの顔をじっと覗き込んだ。
「あんたが、去年の爆発事故の生存者、エレナ・ハートフィールドさんだな?」
「……そうですけど。何か?」
「国家公安局のロイだ。あんたが久しぶりに復学するって情報があってな。単刀直入に聞く。……あいつはが殺された理由は何だ?」
ドキリとする。警察からの意外な尋問に、エレナは驚きを隠すのがやっとだった。
「……警察は事故だと発表したのでは?」
ロイはふいっと視線を外し、窓の外を見た。
「俺はあいつの死に納得してなくてな」
彼は、カイトのために動いている。
その事実が嬉しくもあり、同時に致命的な脅威でもあった。
もし私が「AIONの手先」だとバレれば、彼は躊躇なく私を破壊しに来るだろう。
何よりも、今はゆらぎ適合データ解析をすすめるのが最優先、復讐の障害にしかならないし、彼を巻き込むわけにもいかない。
「あんな優秀な男がヘマをするわけがねえ。裏にデカいネズミがいる。……必ず暴いてやる」
ロイは吐き捨てるように言い、エレナに背を向けた。
「邪魔したな。……あんたも気をつけろよ。この街は、見た目通りの平和な場所じゃねえからな」
ロイが出て行く。
ドアが閉まった瞬間、エレナの髪から黒色が抜け落ち、一瞬だけ銀色に戻った。 極度の緊張による擬態のエラー。
「……危なかった」
エレナはその場に崩れ落ちた。
この「偽りの日常」は、薄氷の上にある。
AION本部。
ヴィンセントは楽しそうに笑い、言い放つ。
「さて、『表の任務』だ。……大学に戻りたまえ」
「大学へ……?」
「ああ。君は『奇跡的に一命を取り留め、手術を乗り越え、復学した女子大生』という設定になっている」
ヴィンセントの目が鋭く光った。
「目的は一つ。カイト君の研究室に残されたサーバーへの物理アクセスだ。我々が押収する前に、彼が隠した『別のデータ』があるかもしれない。……君なら、探せるだろう?」
「……了解しました」
「期待しているよ。」
エレナの姿が見えなくなると、ヴィンセントは手元のコンソールを操作し、部屋の照明を落とした。
闇の中で、彼の瞳だけが爬虫類のように妖しく光る。
「……ボス。彼女に重要なデータを見つけさせて、そのまま回収させるのですか?」
影から現れた側近が問う。ヴィンセントはワインを一口含み、冷酷に笑った。
「まさか。彼女は『優秀な猟犬』だが、飼い主に忠実とは限らない。……カイト君の遺産を見つけたら、必ず隠すだろうね」
「では、監視部隊に回収させますか?」
「いや、それもつまらない。もっと面白い実験をしよう」
ヴィンセントは空中にホログラムの地図を展開した。
「彼女の視覚・聴覚ログは全て監視しろ。彼女が『宝』を見つけた瞬間、その情報を匿名でBEHEMOTHへリークするんだ」
「敵に、ですか?」
「ああ。餌を撒いて、飢えた獣同士を争わせる。……極限の混戦(カオス)の中で、彼女の『ゆらぎ』がどう輝くか。最高のショーになると思わないか?」
ヴィンセントはグラスを掲げた。
その赤ワインは、これから流れる血の色をしていた。
2
この銀髪と紅い目のままでは目立ちすぎる。
「アイギス、擬態モード展開」
『了解。ナノスキン・カモフラージュ、起動』
エレナの皮膚表面を走る微弱電流が、光の屈折率を変化させる。
月光のような銀髪が、徐々に色彩を失い――かつての艶やかな黒髪へと変わっていく。
深紅の義眼も、暗いブラウンの瞳へと色を変えた。
鏡の中にいたのは、死んだはずの「人間・エレナ」の姿だった。
「……完璧ね。まるで幽霊」
エレナは自嘲気味に笑った。
触れれば冷たい鋼鉄の体。見た目だけを取り繕った、脆い仮面。
3
先端義体工学大学のキャンパスは、皮肉なほど平和だった。
エレナは講義棟の長い回廊を歩きながら、背中に突き刺さる無数の視線を感じていた。
「おい、あれがエレナさんだ」
「去年の爆発事故から生還したっていう……」
「美人だけど、なんか雰囲気変わったよな。冷たいっていうか」
噂話をする学生たちの心拍数や体温が、エレナの視界に数値(データ)として表示される。
世界が、記号に見える。
かつては自分も、あの中で笑っていたはずなのに。今はまるで、透明な防弾ガラスの向こう側を歩いているような疎外感があった。
「エレナ!久しぶり!」
カフェテリアで、かつての友人が声をかけてきた。
エレナは口角を数ミリ上げ、完璧に計算された笑顔を作った。
「ええ。久しぶり」
「心配したんだよ。本当に大変だったね……。よかったらランチ一緒にどう?」
断る理由が見つからず、エレナは席についた。
目の前に置かれたトマトソースのパスタ。湯気が立っている。
友人は楽しそうにフォークを動かしているが、エレナは動けない。
食べられないのだ。有機物を摂取すれば、炉心内で不完全燃焼を起こし、エラーを吐く。
「どうしたの?食べないの?」
「……ごめんなさい。まだ、胃の調子が良くなくて」
「そっか……大きな手術したんだもんね……」
友人が同情の眼差しを向け、励ますようにエレナの手を握った。
「元気出してね。生きててくれて、本当によかった」
その手は温かかった。
だが、エレナのセンサーは、それを「外部圧力」としてしか認識しなかった。
ピシッ。
嫌な音がした。
エレナの手の中にあった金属製のスプーンが、飴細工のようにひしゃげ、真っ二つに折れていたのだ。
友人の温かさに動揺し、出力制御(リミッター)が一瞬だけ乱れた結果だった。
「え……?」
友人が目を丸くして、折れたスプーンを見る。
人間の握力で、ステンレスのスプーンがこんな風に折れるはずがない。
「……ごめんなさい。私、どうかしてるみたい」
エレナは逃げるように席を立った。
背後で友人が呼ぶ声がするが、振り返れない。
私はもう、人間じゃない。触れるものすべてを壊してしまう怪物なんだ。
(私はもう、こちらの世界にはいない)
胸の奥の炉心が、寂しげに低く唸った。
4
放課後。エレナは旧校舎の音楽室にいた。
ここなら誰も来ない。彼女はグランドピアノに向かい、鍵盤に指を置いた。
カイトが好きだった、ショパンのノクターン。
目を閉じれば、彼が隣でコーヒーを飲みながら聴いてくれていた光景が浮かぶ。 あの頃の私に戻りたい。ただのピアノが好きな女の子に。
指を動かす。
ポロン、ポロン、ポロン……。
完璧だった。
ミスタッチはゼロ。テンポの揺らぎもゼロ。ペダルの踏み込み深さまで、ミリ単位で制御されている。
アイギスが視界の端で『演奏精度:100%』と評価を表示する。
――けれど、それは音楽ではなかった。
「……違う」
音が硬い。冷たい。
まるでMIDI音源を再生しているような、無機質な羅列。
かつて指先に込めていた「切なさ」や「温かみ」といった感情が、鍵盤に伝わらない。
出力制御された義手は、ピアノを「弾く」のではなく、キーを「押す」作業を行っているだけなのだ。
「もっと……もっと優しく……!」
エレナは焦り、感情を込めて指に力を入れた。
バキッ!!
鈍い音が響き、鍵盤の一つが根元からへし折れた。
ピアノ線が切れ、不協和音が音楽室に悲鳴のように響き渡る。
「あ……」
エレナは折れた黒鍵を見つめ、震える手を胸に押し当てた。
戻れない。
どんなに姿を擬態しても、中身は鋼鉄の怪物。
愛する人の好きだった曲さえ、もう二度と弾くことはできないのだ。
(私は、もう人間じゃない……)
絶望が胸を締め付けた、その時だった。
ガチャリ。 ドアが開いた。
「いい曲だな。……少し悲しいが」
不遠慮な声と共に、男が入ってきた。
レザージャケットを着た無精髭の男――ロイ。昨夜スラム街で戦った男だ。
エレナの心臓(コア)が早鐘を打った。演奏を止め、警戒モードへ移行する。
(まずい。感づかれた……?)
エレナは擬態(カモフラージュ)が解けないよう、必死に感情を抑制した。
ロイはズカズカと部屋に入り込み、エレナの顔をじっと覗き込んだ。
「あんたが、去年の爆発事故の生存者、エレナ・ハートフィールドさんだな?」
「……そうですけど。何か?」
「国家公安局のロイだ。あんたが久しぶりに復学するって情報があってな。単刀直入に聞く。……あいつはが殺された理由は何だ?」
ドキリとする。警察からの意外な尋問に、エレナは驚きを隠すのがやっとだった。
「……警察は事故だと発表したのでは?」
ロイはふいっと視線を外し、窓の外を見た。
「俺はあいつの死に納得してなくてな」
彼は、カイトのために動いている。
その事実が嬉しくもあり、同時に致命的な脅威でもあった。
もし私が「AIONの手先」だとバレれば、彼は躊躇なく私を破壊しに来るだろう。
何よりも、今はゆらぎ適合データ解析をすすめるのが最優先、復讐の障害にしかならないし、彼を巻き込むわけにもいかない。
「あんな優秀な男がヘマをするわけがねえ。裏にデカいネズミがいる。……必ず暴いてやる」
ロイは吐き捨てるように言い、エレナに背を向けた。
「邪魔したな。……あんたも気をつけろよ。この街は、見た目通りの平和な場所じゃねえからな」
ロイが出て行く。
ドアが閉まった瞬間、エレナの髪から黒色が抜け落ち、一瞬だけ銀色に戻った。 極度の緊張による擬態のエラー。
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エレナはその場に崩れ落ちた。
この「偽りの日常」は、薄氷の上にある。
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