一の恋

紺色橙

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12 自分事、他人事

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 いつ言おうかどう言おうかと考えていたら、あまりうまく眠れなかった。昨晩帰宅してそのまま親に言うのもありだったかもしれないと一晩明けて思うけれど、悩んでいるうちに時間が過ぎた。

 この熱気が無くなるのにあと2か月くらいかかるんじゃないかと思う暑さ。秋なんかもうやってこないのかもしれない。冷房が24時間働く室内から外を覗き、再びカーテンを閉めた。

 時刻は9時半。昼くらいに迎えに来てくれる予定だからまだ早い。もう一眠りしようかと布団に転がっては見たものの、頭の中は昨晩思い悩んでいたことで占められている。
 どうしようか。なんて言おうか。Aさんとのことを親に否定されたところで開き直ってしまおう。親に言われたからと言って、好きが無くなるわけじゃない――そうだと、いいけど。

「彼女じゃないんだ」と言おうか。
「俺が最近会ってる人は34歳の男性だ」と最初から伝えてしまおうか。
 ネットで知り合ったというのは言うべきか。どこでとなるんだから結局言うことになるだろう。少しだけ後ろ暗い気持ちがあった。知らない人と気軽に会ってしまったことに対して、少しだけ。Aさんが良い人だったからいいものの、そうではなかった場合だって当然あったはず。俺は運がよかった。運がよかっただけだから、疚しさがある。

 カーテンで遮光されているけれど、隙間からは細く日差しが入ってくる。壁まで一直線に走るそれを見て、体を起こした。スリッパをはいてリビングに向かい、テレビを見ている親の後ろ姿を確認した。ドキドキと緊張する心臓を抱えながら何もない振りをして朝食をとる。氷も入れてない水を飲み干し、また新しく注いだ。

「今日も出かける」
「夜に帰るの?」
「多分」
 Aさんが夜までは厳しいというのなら、そうはならない。連絡が無いから平気だろうとは思う。

「……あのさぁ」
 緊張で顔が赤くなる。テレビに向かい、斜めの位置に座る親を見ないようにした。
「あー……彼女じゃないんだよね」
「今日会うの? 友達?」
「そうじゃなくて」
 彼女、ではないんだ。

「俺の好きな人、男なんだ」

 親の顔が見れなかった。テレビを見ていた顔がこっちを向くのが分かる。視線を合わせられない。
「そうなの。それで言いたくなかったの?」
 耳が熱を持つのがわかる。恥ずかしい。
「学校の子?」
「違う。ネットの、知り合い」
 Aさんは今恋人なんだろうか。両思いではあるし優しくされているし甘やかされているけれど、一歩引かれているのも分かる。
「その人俺より年上で」
「何歳?」

 言葉に詰まった。Aさんとの歳の差をなんてことないと思っていたけれど、口にするのが憚られた。当事者としては、Aさんと二人だけの関係だったら気にしない。何でもない。でも、俺ではない誰かに20近く年が離れている恋人がいるって聞いたら、間違いなく「えっ」て思ってしまう。そういう世間に挟まれている。

「えーと、たしか、34歳」
 要らない言葉を間に置いた。曖昧でない数字をすんなり口にできなかった。
「随分離れてるじゃない」

 好きになるときに年なんか気にしなかった。俺の話を聞いてくれる優しいあの人が、何歳かなんて考えもしなかった。

「話したってことは、会わせてくれるの?」
 黙る俺に親が期待の言葉を投げた。
「会ってどうすんの」
 会わせたくはなかった。嫌だと思った。
「えーだって、どんな人なのかなーって気になるじゃない。それに、心配だし」
「優しい人だし」
 心配なんて何もいらない。俺がこうして自分に対する不安に気づくことをわかっていて、キスもしない人。俺より経験がある、大人の人。

「心配よ」
「別に年上だからって――」
「年じゃないわよ。知らない人だからよ」

 今日も暑くなりますとテレビの中でキャスターが言った。上目遣いに親を見る。

「女の子よりは心配は少ないかもしれないけど、心配は心配よ。親だもの」
 その言い草に顔をしかめる。
「あんたが、嫌なことをされたり危ないことをされないならいいの。でももしそういうことになったらすぐ逃げなさいよ。いい?」
「そんなん、ないよ」
「ないならそれでいいじゃない」
 冷房で冷える自分の二の腕を撫でた。Aさんは悪い人じゃない。怖い人じゃない。でもそれは俺だけが知っている。
「付き合うことに大賛成ではないけど、あんたが悪いようにされないなら、否定はしないよ」
「うん」

 またテレビを見始めた親の横で、黙ってAさんにメッセージを送ると、すぐに返事があった。
『親に言った』
『ご挨拶に伺ってもいい?』

 うちの親は放任主義だと思う。ずっとそう思ってきた。学校をさぼっても、行き先も告げず夜に家を出ても何も言われなかった。でも、心配はされていたらしい。

『一瞬顔見せるだけ、できる? ほんと一瞬。俺が茶化されるの嫌だし』
『いいよ。空いてる駐車場に入れたら連絡するね』
 Aさんに嫌がられなかったことに安堵した。親に一瞬でもAさんを会わせるなんて、俺の自己満足でしかない。何を言われるか分かったもんじゃないし、"ご挨拶"なんて時間は取りたくなかった。



 着いたよ、と通話が来て1階に降りた。駐車場に既に車を置いてきたAさんは、アイロンのかかったシャツを着ていた。「一瞬でも会うのなら」と考えてくれたことが申し訳なくて嬉しかった。

 熱気の抜けるところが無いエレベーターで唾を飲む。ついさっき出てきた玄関を開けた。
「来たよ」
 リビングに向かって呼びかければ、パタパタとスリッパを響かせ親が来る。玄関の外にいたAさんを手招いた。
「突然お伺いして申し訳ありません。澤村さわむら和史かずふみと申します」
「あら、わざわざすみません。まことの母の紀美子です」
 深くお辞儀をした彼に、親も同じく頭を下げた。

 狭い玄関で二人の間に立ち、交互に見やる。自分の立ち位置がどこなのか定まらず、交わされる挨拶に耳を塞ぎたくなった。足元の揃えられた靴を見て、靴箱の閉じられたドアのラインを見た。この人が俺の好きになった人だって、認めさせるために連れてきたわけじゃない。でも実質的にはそういうことで、わーと叫んでしまいたくなる。

 家に上げようとする母親を手で払い、和史さんを押すように家を出た。
「二人とも気を付けてね」
 ドアが閉まる前声をかけられた。ばたんと閉じて、Aさんの手をぎゅっと握った。
「恥ずかしい。てか、ほんとにわざわざ、あんなものまでごめんなさい」
「お母さん甘いもの平気だったかな」
「めっちゃ食べる」
 誰かが使ったのか1階に戻っていたエレベーターを呼んだ。和史さんが持ってきてくれた紙袋のお菓子は親が喜んで食べるだろう。
「恥ずかしい」
 顔から熱が引かない。下りのエレベーターでは手を繋いでいた。

 本当に一瞬だったから、親は余計なことを言わなかった。それだけのことにほっとする。
 外に出れば眩しさに両手で影を作った。家から離れたコインパーキングに歩く。
「あっつい」
「暑いね」
 恋人を親に紹介するなんていう恥ずかしさに上がった体温は、外の暑さに飲み込まれていく。もう自分の顔が赤いのはこの気温と日差しのせいだって言えるだろう。
「嬉しかったな」
「ん?」
「真くんのお母さんに会えたの」
 なんて答えればよいのかわからず、ただ「うん」と頷いた。

 コインパーキングには日影が無く、停められていた車は熱くなっていた。車内に詰まる、酸素が薄いようなもったりした空気。冷房が音を立て風を吹く。

 運転席に座った彼の腕を引いた。寝てる間にこっそりしてしまったキスを、起きているこの人にしたかった。

 腕一本引っ張ったところで距離が近くなるわけでもなく、言わなければ伝わらない。口にせずとも繋がれた右手を享受して、空いている左手を伸ばした。抱きしめようとしてくれるのを留めて顔を寄せる。気付いてくれた和史さんは少し引いて「いいの?」と訊いた。
「恋人にして」
 両想いってだけじゃない、恋人になりたい。
 
 してくれたのは触れるだけのキスだった。目を閉じるでもなく一瞬で終わってしまって、本当にされたのかも次の瞬間には曖昧になった。それでも和史さんは恥ずかしそうな困った顔をして、つい、というように上がってしまう口元を隠さず俺の頭を撫でた。物足りなかったけど、彼が笑っているから良いんだろうと思った。

 シートベルトをしてすぐに出発した。だんだんと冷えてきた車内で「1時間は長いなぁ」と彼が言う。さっきのコインパーキングでは、支払いを終えているのだからすぐに出なければならなかった。車を動かし目指すのはいつも通り和史さんの家。そこに行けば誰にも見られず、時間を気にせず、触れても良いんじゃないかと思い至った。その為にまず1時間我慢しないといけない。いつもはそんなに遠くもない1時間の距離を、今は少し遠く感じた。
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