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九月になっても夏は終わらず、汗で制服のシャツが肌に張り付く。朝、電車のクーラーが弱ければそれだけでもうやる気はマイナスになった。
すっかり夜から昼間へと予定が変わった土曜日。寝ている間にかいた汗を水のシャワーで流し着替える。
「どんな子なの? 同じ学校の子?」
コップに氷を放り込めば、横から自分のにも入れろと手が伸びてきた。同じように親のコップに氷を入れる。残り少なくなった氷。製氷機からばらばらと追加された。
「何」
「彼女に会いに行くんでしょ? 教えてよ」
煩わしい。冷蔵庫から出した麦茶を、要求していないが注がれた。
「やだ」
「恥ずかしいの? いいじゃない」
恥ずかしい――確かに恥ずかしいと思う。親に自分の恋愛事情を話すなんてのは恥ずかしいことだ。自分が好きになった人のことを見定められるようなのも嫌だった。
「まぁ……あんたももう高校生だしとやかくは言わないけどね、避妊だけはしなさいよ。女の子には優しくね」
少し厳しく、少し茶化すように言われた。俺は返事をしなかった。
以前感じたときよりも重くは無いし苦しくもなかったが、胸の中にまた靄が発生していた。蜘蛛の糸のようにぼんやりとした何かが絡まっている。
「どうかした?」
少し助手席のシートを倒させてもらった。寝転ぶほどではないが、だらしなく座る。
「んー、なんかもやもやしてて」
窓からは強い日が差し込み、運転するAさんの右腕を特に焼いてしまっていた。夏なんか早く終わればいい。外は見事なまでの快晴だったが、体の中は曇り空。
「体調が悪い? 精神的なもの?」
「精神的なものだと思う」
具合が悪いのならやめようと、Aさんならきっと言う。だからそうではないのだと伝え車を出してもらった。
冷房を付けた車内で冷たい風を直接浴びる。窓ガラスだって冷えているはずなのに、夜とは違い日光が勝ってしまっている。夜と同じ道を昼に見ると、なんだか景色が違く見える。ライトアップされていた屋上の企業看板は今では雑然とした風景の一部となっていた。川向うを歩く大勢の人。日陰もない場所で日傘が動く。痛いほどの日光に影は濃く、吸血鬼でなくたって燃え死ねるだろうと思った。
「Aさんさぁ、俺くらいの時好きな子いた? 親に聞かれた?」
「いたけど、親には言ったかなぁ」
「さっき、親に教えてって言われた」
「それで?」
「親に言うとか恥ずかしいから、何も言わなかった」
横顔が笑う。だって恥ずかしいじゃないか。手を繋いでいたいとか、キスをしたいとか、何だったらもっと――。そういういわゆる"性"に関することを親に言うのは恥ずかしい。
避妊しろと言われた。相手が女の子だって思われている。息子がうっかり子供なんか作ってしまったらとんでもないと、多分言いたかったのはそれだけなんだろう。俺とAさんはそれに当てはまらない。だから言わなくたっていい。でも、もやもやする。
『言えないような関係』
Aさんは先日そう言った。Aさんが同い年の女の子だったら、親に言ってた? 言ってないと思う。恥ずかしいことに変わりはない。でもそれはただの恥ずかしいで、言わなかった「違う」の一言ではない。
Aさんが心配しているのは、今俺が抱えているもやもやについてなのかもしれない。
「深く座って」
Aさんの家につけばいつもAさんは少しだらしなくソファに沈むから、それを奥まで追いやった。従い行儀よく閉じられた足を広げ、そこに背を向け座る。Aさんの腕を貰って自分の腹に巻き付けて、溜息を吐きながら寄り掛かった。
冷房のついている部屋だってこうしてくっついてしまえば暑い。でも暑さへの不快感だけでなく気持ちよさがある。安心感がある。後ろで顔に当たる俺の髪をくすぐったがるこの人を、俺は好きでいる。
「Aさん、明日も来れる?」
「いいよ。そうしたら今日は少し早く送ろうね」
「別に夜で良いのに」
お腹が空けばファストフードを買ってきたり、コンビニ弁当を買ってきたり、宅配を頼んだり、そうしてご飯を食べる。配信されている映画を流し、眠くなったら眠る。俺とAさんはこの閉じられた家で完結している。
「明日さ、呼んだら来てくれる?」
「ん? 迎えに行くよ?」
「んーん。もし、うちに来てって言ったら来てくれる?」
「おうちにお邪魔するの? それとも」
「親、明日の昼もいると思うから」
Aさんは俺より倍も年上の男性だ。親の方が年は近いと思う。たまたま、そうだった。釣書を渡されて好きになったわけじゃない。俺はそうして自分の気持ちを肯定しているのに、やはりどこかでは隠している。
「いいよ」
「呼ばないかもしれない。好きにしろって、親が会わないっていうかもしれないし」
「うん。呼ばれたら行くよ」
背中の体温に身を任せる。親はなんて言うだろうか。そもそもなんて切り出そうか。自分の親のことを悪く考えたくはないけれど、Aさんにひどく失礼なことを言ったりはしないだろうか。心配と不安は多い。
「ほんとに良いの? 嫌じゃない?」
「どうして?」
「だって、なんか……」
Aさんを親に紹介するっていうのは、俺の自己満足かな。言ってしまえばもやもやは無くなるって、自信もって恋をしていますって言い放てると思っているのかも。それはAさんにも失礼なんじゃないだろうか。
「イチくんみたいな若い子に、私の告白を受け入れてもらえないのが当然だと思っているからね」
大丈夫だよと彼は言う。親に紹介できなくても、した上で関係を否定されこうして会うことが出来なくなったとしても、俺が親にも言えずに離れていったとしても、Aさんは当然だと思っている。
歳の差なんか関係ないと思うけど、同性なんて関係ないと思うけど、こうして悩んでしまうのだから俺は子供なんだろう。
後ろから重さを感じ振り返れば、Aさんは眠ってしまっていた。俺がいるからなのかはわからない。だけどもし、本当に俺が少しでもAさんの眠りに一役買っているのなら嬉しい。
体の力は全て抜け、俺がいなくなったらAさんは前に倒れてしまうだろう。後ろにしてもソファの高さは足りず、頭の支えはない。ぐーっと手を伸ばし、掠る指先で反対側にあるクッションを手繰り寄せた。それをどうにか端に詰め、Aさんが少しだけ横になれるように整える。
ベッドからタオルケットを持ってこよう。その後落ちてしまわないように、またここに座っていればいい。
Aさんの眼鏡を外す。眼鏡で作られていた影ではない目の下のクマ。冷房で乾いた唇に、起こさないようそっとキスをした。
すっかり夜から昼間へと予定が変わった土曜日。寝ている間にかいた汗を水のシャワーで流し着替える。
「どんな子なの? 同じ学校の子?」
コップに氷を放り込めば、横から自分のにも入れろと手が伸びてきた。同じように親のコップに氷を入れる。残り少なくなった氷。製氷機からばらばらと追加された。
「何」
「彼女に会いに行くんでしょ? 教えてよ」
煩わしい。冷蔵庫から出した麦茶を、要求していないが注がれた。
「やだ」
「恥ずかしいの? いいじゃない」
恥ずかしい――確かに恥ずかしいと思う。親に自分の恋愛事情を話すなんてのは恥ずかしいことだ。自分が好きになった人のことを見定められるようなのも嫌だった。
「まぁ……あんたももう高校生だしとやかくは言わないけどね、避妊だけはしなさいよ。女の子には優しくね」
少し厳しく、少し茶化すように言われた。俺は返事をしなかった。
以前感じたときよりも重くは無いし苦しくもなかったが、胸の中にまた靄が発生していた。蜘蛛の糸のようにぼんやりとした何かが絡まっている。
「どうかした?」
少し助手席のシートを倒させてもらった。寝転ぶほどではないが、だらしなく座る。
「んー、なんかもやもやしてて」
窓からは強い日が差し込み、運転するAさんの右腕を特に焼いてしまっていた。夏なんか早く終わればいい。外は見事なまでの快晴だったが、体の中は曇り空。
「体調が悪い? 精神的なもの?」
「精神的なものだと思う」
具合が悪いのならやめようと、Aさんならきっと言う。だからそうではないのだと伝え車を出してもらった。
冷房を付けた車内で冷たい風を直接浴びる。窓ガラスだって冷えているはずなのに、夜とは違い日光が勝ってしまっている。夜と同じ道を昼に見ると、なんだか景色が違く見える。ライトアップされていた屋上の企業看板は今では雑然とした風景の一部となっていた。川向うを歩く大勢の人。日陰もない場所で日傘が動く。痛いほどの日光に影は濃く、吸血鬼でなくたって燃え死ねるだろうと思った。
「Aさんさぁ、俺くらいの時好きな子いた? 親に聞かれた?」
「いたけど、親には言ったかなぁ」
「さっき、親に教えてって言われた」
「それで?」
「親に言うとか恥ずかしいから、何も言わなかった」
横顔が笑う。だって恥ずかしいじゃないか。手を繋いでいたいとか、キスをしたいとか、何だったらもっと――。そういういわゆる"性"に関することを親に言うのは恥ずかしい。
避妊しろと言われた。相手が女の子だって思われている。息子がうっかり子供なんか作ってしまったらとんでもないと、多分言いたかったのはそれだけなんだろう。俺とAさんはそれに当てはまらない。だから言わなくたっていい。でも、もやもやする。
『言えないような関係』
Aさんは先日そう言った。Aさんが同い年の女の子だったら、親に言ってた? 言ってないと思う。恥ずかしいことに変わりはない。でもそれはただの恥ずかしいで、言わなかった「違う」の一言ではない。
Aさんが心配しているのは、今俺が抱えているもやもやについてなのかもしれない。
「深く座って」
Aさんの家につけばいつもAさんは少しだらしなくソファに沈むから、それを奥まで追いやった。従い行儀よく閉じられた足を広げ、そこに背を向け座る。Aさんの腕を貰って自分の腹に巻き付けて、溜息を吐きながら寄り掛かった。
冷房のついている部屋だってこうしてくっついてしまえば暑い。でも暑さへの不快感だけでなく気持ちよさがある。安心感がある。後ろで顔に当たる俺の髪をくすぐったがるこの人を、俺は好きでいる。
「Aさん、明日も来れる?」
「いいよ。そうしたら今日は少し早く送ろうね」
「別に夜で良いのに」
お腹が空けばファストフードを買ってきたり、コンビニ弁当を買ってきたり、宅配を頼んだり、そうしてご飯を食べる。配信されている映画を流し、眠くなったら眠る。俺とAさんはこの閉じられた家で完結している。
「明日さ、呼んだら来てくれる?」
「ん? 迎えに行くよ?」
「んーん。もし、うちに来てって言ったら来てくれる?」
「おうちにお邪魔するの? それとも」
「親、明日の昼もいると思うから」
Aさんは俺より倍も年上の男性だ。親の方が年は近いと思う。たまたま、そうだった。釣書を渡されて好きになったわけじゃない。俺はそうして自分の気持ちを肯定しているのに、やはりどこかでは隠している。
「いいよ」
「呼ばないかもしれない。好きにしろって、親が会わないっていうかもしれないし」
「うん。呼ばれたら行くよ」
背中の体温に身を任せる。親はなんて言うだろうか。そもそもなんて切り出そうか。自分の親のことを悪く考えたくはないけれど、Aさんにひどく失礼なことを言ったりはしないだろうか。心配と不安は多い。
「ほんとに良いの? 嫌じゃない?」
「どうして?」
「だって、なんか……」
Aさんを親に紹介するっていうのは、俺の自己満足かな。言ってしまえばもやもやは無くなるって、自信もって恋をしていますって言い放てると思っているのかも。それはAさんにも失礼なんじゃないだろうか。
「イチくんみたいな若い子に、私の告白を受け入れてもらえないのが当然だと思っているからね」
大丈夫だよと彼は言う。親に紹介できなくても、した上で関係を否定されこうして会うことが出来なくなったとしても、俺が親にも言えずに離れていったとしても、Aさんは当然だと思っている。
歳の差なんか関係ないと思うけど、同性なんて関係ないと思うけど、こうして悩んでしまうのだから俺は子供なんだろう。
後ろから重さを感じ振り返れば、Aさんは眠ってしまっていた。俺がいるからなのかはわからない。だけどもし、本当に俺が少しでもAさんの眠りに一役買っているのなら嬉しい。
体の力は全て抜け、俺がいなくなったらAさんは前に倒れてしまうだろう。後ろにしてもソファの高さは足りず、頭の支えはない。ぐーっと手を伸ばし、掠る指先で反対側にあるクッションを手繰り寄せた。それをどうにか端に詰め、Aさんが少しだけ横になれるように整える。
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