僕しかいない。

紺色橙

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1 失敗ルート

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-1- 藍染

 窓上部薔薇模様のステンドグラスに光が散る。 
 壁掛け時計と手元の時間にズレはない。猫のしっぽのような数字の上を細い針が進む。
 授業中眠くて時間が過ぎるのを待っている時のよう。1秒が確認できる世界。
 カチコチ、カチコチ。頭の中で音を追う。

 退屈な頭の中は23時のパソコンの前。左手がWASDキーを押す。
 ゲームは深夜にやるに限る。外の音が死んでいるから、足音がよく聞こえる。
 上は取っていたし背後の通路のドアを閉じて罠を置いてた。スキルクールタイムだって消化済み。
 俺ならそこから出てくるって場所で敵を待つ。ゲーム内の抑えられた息遣い。カシャリと地面の金網が踏まれた音に攻撃した。1キル。
 うん、そこまでは良かったな。完璧な狙い通りだった。
 問題はその後。ドアの罠に敵が引っかかると同時にフラッシュを投げられて、視界と音が死んでる中それでも移動したつもりが引っかかってしまった。
 あれは恥ずかしいな。恥ずかしい。忘れよう。
 てかあのフラッシュの人上手かったな。撃ち負けしてあと一発ってので落とせなかったし。ランクはそんなに上がってなかったけど新規かなぁ。
 昨晩はぜんっぜん活躍しなかったけどキルレが1割らなかっただけマシか。
 ふぁああと欠伸が漏れる。

 知り合いのじいさんがやっている喫茶店。たまにバイトとして働くこの店で、今日は朝から俺一人。
 詳しくは聞いていないが、撮影にこの店を使いたいという人が午前貸し切りを頼んできたらしい。
 半分趣味のように店を続けるじいさんは、それに対してただのバイトを一人投げた。
 もうすぐ予定の時刻になる。
 蔦の絡まる窓からは陽が差し込むけれど満足に外の風景は見えない。同じように外からだってこちらを窺うことは難しい。
 潜むようにソファに沈み落ちた腕。
 つるりとしたソファの革を指先で叩いた。

 ――チリン。
 真鍮のベルが鳴る。
 約束の9時ピッタリ。通勤通学の時間も過ぎ店の中も外も静かな中、男が二人入ってきた。
「あ、おはようございます。予約してた篠原です」
 やたらとかさばる荷物を持ったべっ甲色のボストン型眼鏡の男が目を細め、人の良さそうな顔をして笑う。もじゃもじゃの髭が年齢不詳にしていた。
 ベルがゆらゆら。両の手でそれぞれの肩紐を握り、肩を狭めて荷物→体→荷物と順にドアへ押し込んでいる。膨らんだ鞄は苦しそうに押し出された。
「おはようございます。よろしくおねがいします」
 その後ろで背の高い、けれど猫背気味の若い男と目が合い、丁寧にお辞儀をされた。
 聞き心地の良い声。低すぎるわけでもない柔らかい低い声。
 慌てて俺も立ち上がり会釈をする。
「バイトの藍染です。マスターのじいさんは裏の家に居るので、何か店のものを貸すとかなら俺が対応します」
 とは言っても特別な物などこの店には何もない。貸せるとしたらコンセントと食器くらいだ。
「あ、ほんとですか。有り難いなぁ。早速なんですが、荷物とかどうしたらいいでしょうかね」
 店主自らが対応しに出てこないことに、特に不満はないようだった。
「ご自由にお使いください。そこらへんの席に置いててもいいし」
 どうせ誰もいないのだ。何をするのかも知らないが好きにしたらいい。
「あ、なら隅にでも……」
 篠原さんはいそいそと隅のテーブルに向かい荷物を置いた。二人掛け用の赤茶色のレザーソファは持ってきた鞄ですっかり埋まってしまう。落ちる気配もないほどみっちりだ。
 あの荷物、抱えて電車に乗ったのだろうか。
「じゃあムラサキはまず、――」
その鞄を開き、小さな声で篠原さんが猫背の男に指示している。
 俺は居るのが仕事で特にやることもない。
 流石にここでスマホ開いてゲームしてますから好きにやってってのは、ないよなぁ。
 終わる時間までどうしようかと居場所を求め、とりあえずすぐに移動できるよう、カウンターの椅子をくるりと回し腰掛けた。
 
「――意外」
 頬杖を付きぼんやり男たちを眺めていたら、つい言葉が漏れた。
 店の隅、荷物の中から服を取り出すと猫背気味の男――ムラサキと呼ばれていた男が躊躇いなく着替えだした。男はチラとこちらを見て、ずぼっとシャツに頭を通す。
「お見苦しいものを」
「いやいや」
 猫背具合に眠そうな目、体の線がわからないストンと落ちた丸首の白いTシャツ。そのイメージやぱっと見からは想像できないが男の体は鍛えられていた。
「鍛えてんなぁって思って」
「篠原さんが、服のために鍛えろっていうんです。服をきれいに見せるためにと」
 なるほど。
 着衣を邪魔しない程度に見た目のためだろう筋肉があったのはそれでか。
 ムラサキはそのままちゃきちゃきと下も着替えていく。恥じらいは特にないようで堂々としている。慣れているんだろう。
 外からは張り付かない限り蔦が邪魔して店内をはっきりとは見えないし、ここには男しか居ないというのも、気にしない要因かもしれなかった。
「モデルさんなんですね」
 その背の高さにも納得がいく。
 感心したように言ったのは、見てしまった言い訳。
 ジロジロ不躾に凝視する気はなかったんだよ怒らないでね。
「あー、ムラサキはね、猫背だからね。だからいつもシャンとしてって言っててね」
 篠原さんが男の背中をぺしぺしと叩く。
「でもいいでしょう。ボクの服がよく似合う」
 その手はそのまま着衣を細かく直し、更に柔らかそうな波打つ髪の毛もいじり、センターで分けられたそれを片方耳にかけさせた。
「デザイナーなんですか?」
「あ、そうです。言ってませんでしたね。今日はここで撮影をさせてもらうんです。この喫茶店たまたま通りがかった時にこの寂れた感じとか蔦の具合とかが良くてね、中に入ってみたらまたこう、いい感じに廃れていて」
 なかなかに失礼なことを言っている。
 でも、言いたいことはわかる。綺麗にしているけれど綺麗にされていないこの古びた喫茶店は店主のじいさんと同じだと俺も感じている。
 表の植木鉢は茶色く枯れ春の終わりも夏の訪れも未だ知らせていないし今後も知らせる予定はなく、看板の文字もかすれている。何処からきて何処まで繋がっているのかわからない蔦は元気よく成長し深い緑は店を覆い、営業しているのかしていないのかを曖昧にさせた。
 埃ははたいているもののステンドグラスの細かいところは曇っているし、使い古されたソファにもカウンターにも少なくない傷は、いつ付いたのか分からぬほどに同化している。オレンジに光る鈴蘭のようにぽてっとしたランプは可愛らしいとは思うが、店の薄暗さを加速させていた。

 丁寧に丁寧に整えられた服と髪型。篠原さんが手を離すと男はふるっと頭を振った。
 完成した様に少し見惚れる。
 かっこいいなあの人。

 特に頼まれてもいないが、雑に紅茶を入れた。
 何も考えずに手にしたダージリン。
 カップに入れてから、この季節だし冷たいほうが良かったんじゃないかと思った。今から氷でも突っ込んでしまおうか。まぁとりあえず出しておきますねってだけのものだ。味わい楽しむためではなく撮影の合間に喉を潤す程度の役割。ほっとかれれば冷めるだろう。
 灰瑠璃色の少しでこぼこした丸っこいカップをムラサキのテーブルに持っていく。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
篠原さんには真っ白のつるりとしたカップにした。

 デザイナーが自分の作った服をかっこいいモデルに着せて撮影する。それだけ聞くと「おっ」と思うし興味が湧くが、篠原さんは先程からスマホで写真を撮っていた。
 なにか違くない? もっとごついカメラとかはないのか。フィルター加工するから変わらないのか?
「青好きなんですか」
「ん?」
 下から柔らかい声をかけられる。
「髪の色」
 ソファに腰掛けるムラサキの視線が俺の頭に注がれていた。次にカップに移動する。
「青は好きだけど……。あーそのカップ別にじいさんの失敗作とかじゃないですからね? なんか、貴方の雰囲気に合うかなって思って」
 今俺の頭には前髪のところに少し青が入っている。
 カップは実は俺のお気に入りで、いわゆる侘び寂び感があると個人的には思っている。ただの綺麗でもかっこいいでも均整の取れたでもない、この喫茶店のような。
 いつもいつも客に合わせてカップを選び提供しているわけじゃない。そんなめんどくさいことするわけない。もしそんなことを公にしたら文句も言われそうだし。
 今回はなんとなくだ。なんとなく、そのカップに手を伸ばした。
「ムラサキは雰囲気あるよね! だからモデル頼んでるんだ」
 篠原さんには男へ対する俺の言いたいことが伝わったらしい。やたらと熱を持った口調で言われる。
 言われた本人は分からないといった顔をしているが、雰囲気なんて曖昧なものを決めるのは他人であり、当然だろう。

 篠原さんはスマホをテーブルに置くと、何枚か服を出して移動した。先程コンセントと水を貰えないか聞かれたからそれのためだ。
 熱されたアイロンがシュッシュとスチームを吹いた。くるりと小さくなっていたアイロンマットが開かれ、テーブルの上に広げ置かれる。またくるりと閉じそうなのを手で押さえていた。
「少し話しませんか」
 近くの柔らかな声と視線に誘われる。あくまでもこちらを尊重し窺う優しい少し低い声。
 篠原さんを見て準備に時間が掛かりそうだと判断し、暇つぶし用の店員は男の前に座った。
「朝から大変ですね」
 来て早々着替えも忙しそうだし。
 男はカップにそっと口をつけ微笑んだ。人好きのする笑みだ。
「ここは静かで居心地がいいので、ずっといてもいいくらい」
 静かで落ち着ける要素は今の所この人にはない気がするが。
 陰気な店というのを物凄く良く言えばそうなる、か……?
「藍染さんはいつもここでバイトしてるんですか?」
「いつもじゃなくて、頼まれればいる程度で」
 なんだか面接みたいだ。
 男はにこやかだが、まっすぐ目を見てくる。縫い留められるようで緊張する。大した話もしていないのに唇が乾く。
 気づかぬように目をそらしソファに凭れ掛かる。両手をついて体を支えた。
「紅茶、ありがとうございます。来てすぐ頼めばよかったですね」
「あ、いや。それ冷たいの出せばよかったな……」
 失敗したと思ってることを話題にされると恥ずかしい。
「撮影でほっといちゃうと、氷も溶けてぬるく薄まってしまうからこれのほうが良いですよ」
 完全にフォローされている。
 そもそも冷たい温かいの前に何が欲しいか聞くべきだった。冷蔵庫にはジュースもあるし、服を汚したくないだろうから色のない水の方がよかったかも知れないのに。

「ほんと、かっこいいですね。いるだけで雰囲気持ってんの強い」
 失敗の話題も誤魔化せず代替の話題もない。無言の空間に耐えられずに、脈絡無く心の声が漏れた。
 ただの接客ならまだしも、見知らぬ人との対面会話となるとはっきり言って苦手だ。篠原さんの準備がさっさと終わればいいのに。様子を見るにも背中側にいるため、覗き込むようなことは目の前の人間に対して失礼かと思い出来やしない。
 でも心のなかで早くと思ってるんだから同じか。
「ありがとうございます。自分ではわからないけど」
 男は小首を傾げ、俺の突然の言葉を受け取った。落ちてきた髪を耳にかける。
「だからですよ」
 初対面の男に突然かっこいいだの言われても気持ち悪いだろうに、褒められたことを素直に受け取るのもスマートだ。かっこつけてないのにかっこいい男。
 第一印象は背が高いのに猫背のぱっとしない男だったが、まじまじと顔を見てみればその眠そうな目はくっきりとした二重で輪郭も整っているし、立ち上がってしゃんとすればその猫背も伸びて長身がそのまま映える。
「何センチ?」
「身長? 184.5だったかな」
 砕けて聞いてしまったが、彼はそれに合わせてくれた。
「俺より10も高いわ」
185といい切ってしまっても良いものをご丁寧に184.5と返す。細かい人なんだろう。
 170を超えた程度の自分の身長にコンプレックスを感じたことはないが、かっこいい男を目の当たりにすると羨ましさはあった。
「藍染さんも素敵ですよ」
 よくわからない社交辞令に気恥ずかしくて目をそらした。
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