僕しかいない。

紺色橙

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7 夜道

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-7- 藍染

 12時から20時までしか来ないメッセージの通知は選挙活動みたいだ。
 朝というか昼は確実に起きているだろう時間。そして終わりはまだ確実に寝ていないだろう時間にしか通知はこない。別に通知なんて切ってしまえば音も鳴らなくなるんだし気にしなくていいのに。
 発信元の『ムラサキ』からは、たわいのない話が送られてきた。
 当たり障りのない天気の話、かわいい猫の画像、面白い動画、スポーツ、占い、料理、新作のアニメ映画、ファッション、ゲーム。
 絶対にムラサキ本人は興味を持っていないだろうというものまでとにかく片っ端から投げられた。
 連絡先を交換してしまったが故にあの人は、律儀にやり取りをしようとしているのだ。
 よろしくの後が何一つなくたってそんなものだろうと思うのに、わざわざちゃんと俺が反応できるものは何なのかって探っているようだった。
 社交辞令だろうと思った。
 適当に返信すればもうその話題が続くことはなかったし、そこでやり取りも途切れたから。自分からは送りましたよという義務のようなものだと。


 先日篠原さんから飲みの誘いが来た。
 奢りだというし、わざわざ誘ってくれたのだからと深く考えずにOKと返事をした。
 少し肌寒い十月の夜、ガヤガヤした店内にムラサキと二人。篠原さんはまだ来ていない。
 今日まで続いていたムラサキの選挙活動のおかげで、二人きりでも気まずい空気が薄れているのは確かだった。相手がこっちに探りを入れていたように、こっちからも多少は相手を知ることができたから。
「今日も帰ったらゲームするんですか?」
 ピコッと通知が来る。篠原さんからの連絡だ。
 適当に俺の好きなものばかり数品頼んで、もうすぐ来る予定の篠原さんを待つ。
 篠原さんが入って来る予定で俺の斜め前、奥に座った男は、食べ物には大して手を付けず酒を飲んでいる。
「どーかな。いつも深夜までやってるけど、酒飲むと寝ちゃうかも」
 いつも深夜まで起きているから、気にしなくて良いんだよ。
「パソコンでやってるんですよね」
「そう。うちハードが……ゲーム機本体がないから」
「ですよね」
 ムラサキは自分の中で確認したように相槌を打つ。
「この前言ってたの、僕の家でやりますか?」
「この前?」
「タイトルを覚えてないんですけど、シリーズ物の新しいのが出るとか」
 ああ。ゲームの話題を出されて、気になっているものがあると答えた記憶がある。パソコンではなくゲーム機が必要なそれは、DL価格自体はそう高くないものの何せゲーム機本体代が今から必要なのでやろうとは思っていなかった。
「ゲーム機あるの? 後ネット繋がる? ムラサキさんゲームしてないっしょ」
「あります。ネットも繋がってると思います」
 でも人様の家でやらせてもらうってのもなぁ。
「どういうものなのかやりたいなと思って、あんまりゲーム自体やらないから教えてもらえたらと」
 ムラサキ用に入れるついでにどうか、ということか。
 興味を持っていたのは確かにシリーズものとは言え、ストーリーもなくタイトルだけ継続しているようなものだし、新作ならやる人間も同じように初心者なわけだから入りやすいかも知れない。
 時間内に目標を目指すシステムなら、勝っても負けても1回やって終わりとか区切りも付けやすい。
 キャラクターも可愛いデフォルメだったから、戦いっていってもとっつきやすいかも。

 しかし、人様の家に行くのか。
 俺は滅多に他人の家に行かない。中学生以降記憶がない。
 それは友達の家が遠かったこともあるし、その頃は友達の家族が在宅していることが多く、気まずい気がしていた。
 うーん。
「僕向谷に住んでるんです。近いですよね」
 今回の飲み会は岡見駅という、俺の最寄り駅で開催された。
 岡見と向谷は二つしか離れていない。
 となると、遠いところだから行かないという断りは有効ではない。
「一人暮らしでちょっと散らかってますけど、掃除しておきます」
 そして家族に乱入されることもない、と。
 教えるといってもすごくゲームが上手いわけでもないが、全くしない人間よりかはできるだろう。
 でもなぁ。
 他人の家での身の置き場がない予感がするんだ。それこそ中学以降他人の家に行ってないわけだから、距離感がわからないというか。
「時間が合えばな」
「ネットが繋がってるか確認しておきますね」
 はっきりとはしていない断りに対しての優しい返事だった。

 義務でやり取りしているんだと思っていたが、この人はやっぱり探ってたんだな。
 俺がどういう物に興味を持っていて、どういうことなら会話ができるのか。
 そのうち社交辞令も終わりを告げるだろうと結構雑に返事をしていたのが、今となっては申し訳なかった。


 特に好きでもないビールを一杯飲み干す頃、俺たちを見つけた篠原さんがムラサキを更にぐいぐいと押すようにして座敷についた。
「あー、この前の写真あったでしょう。あれSNSに上げたんだけど結構反応があってね。あ、ビールください」
 座るが早いか、テーブルの上を見て確認すると店員さんを捕まえ頼みつつすぐに話し出す。
「こないだの写真……」
「えーと、これこれ」
準備していたのかすぐに写真を提示された。
「あー、ピントずれてるやつ」
 俺がカウンターの椅子に座りそれをムラサキが見上げている、なんてことはない写真だ。ピントは言っていたようにグラスに入り、炭酸の気泡がキラキラしていた。ストロボを使っていない写真は喫茶店の薄暗い明かりを頼りにしていて幻想的でもあった。
 自分にも送られてきていたがまじまじと見てはいなかった。
 恥ずかしいだろ。自分の写真をそんなじっくり見るなんて。元々イケメンなわけでもなし、写りが良くても程度は知れている。それなら見ないほうが良い。見なければ何も存在しない。
「これがSNSで結構反応良くてね、それで相談なんだけど……」
 篠原さんが丸い縁の中の丸い目でじっと見てくる。もじゃもじゃ髭が唇と一緒に動く。
「藍染くん、うちのモデルしない?」
「は?」
 ものすごいそっけない声が出た。
「あ、いや無理にとは言わないけどね、あの写真本当に反応良くて、ムラサキと一緒にモデルをしてくれないかなって。いやほんとに無理にとは言わないんだけど」
 篠原さんは慌て言い訳を並べるように喋りだす。
 手元のタブレットでサイトを表示する。ただ服が並んだ写真。ムラサキが着用モデルをしているのも、していないのもある。
 この間店で撮った写真はイメージ写真やコンセプト写真なのだろうか。
「勿論、あー、大した金額は出せないんだけどお金は払うし」
「いいっすけど」
「藍染くんの時間に合わなかったら仕方ないから、ほんとに無理は……いいの?」
「俺で良ければ?」
疑問系に疑問系で返す。
 そんなものに誘われるだなんて滅多にあることではないから、一回くらい体験してもいいだろう。
「あの写真俺私服だし顔判別つかないですけどね。あと俺はムラサキさんみたいにかっこよくないっすからね?」
 端へと追いやられた男と俺は残念ながら違うのだ。
「そんなことないよ!!」
 一気に飲み干されたグラスがダンっとテーブルに置かれ、篠原さんが強く言った。
 思わず笑ってしまう。
「僕も藍染さんと一緒できたら嬉しいな」
 ムラサキにはすでに話が通っていたのだろうか。二人のときにはそんなこと言わなかったけれど特に驚いたふうでもない。
「いやー受けてくれるなんて、期待はしてたけどしてなかったから」
 気が緩んだのだろうか、ニコニコと笑みを浮かべ篠原さんは次々に注文する。空のグラスが店員によって片付けられ、満ちたグラスが運ばれてくる。

 自分が欲されることでなんだか特別になった気がした。


 あれから篠原さんのテンションは上がったまま酒の量も飯の量も話も増えた。
 モデルの他に雑用をしてほしいこと、都合のいい日取り、お金のこと、篠原さんの事務所兼自宅の場所。後は殆ど、篠原さんの熱意。

 篠原さんに仕事の連絡が来たのと、完全な酔っぱらいが出来上がってしまったのでお開きになった。
 店の外に出て赤い顔をしたムラサキをとんとんと突く。反応がない。
 篠原さんの隣、同じようなペースで酒を呷っていた彼は、実はどうやら酒にあまり強くないらしい。いつもはそんなに飲まないんだよと篠原さんは語った。反応も虚ろで、起きているのに寝ているようだった。いつも眠そうな二重瞼はもうすぐ閉じてしまいそう。
「ごめんね、藍染くん」
 ムラサキは俺の家に連れて行くことにした。
「大丈夫ですよ。向谷まで二駅だし、起きた時に帰りやすいだろうから」
 篠原さんは今から人に会いに行くと言うし、ムラサキの家の場所はわかってもこの酔っぱらいをタクシーの人に任せるのは流石にできない。俺がついていくといっても部屋に届けていたら終電も不安があった。
 飲み会を俺の最寄り駅でやってもらったこともあるし、篠原さんが奢ってくれるというので結構俺が食っていたから、タクシー代を更に出させるのもなぁと思ったのもある。これっきりならまだしも、一回は一緒にやることになったわけだし。
 ムラサキは店で水も飲めていたしトイレにも行けていたから、だいぶぼんやりしてはいるが大丈夫だろう。たぶん。会話はもう成り立たないが。
「あ、また連絡するね」
 篠原さんの申し訳無さそうな顔に手を振って、ゆっくりと歩きだす。

 店を出たのは0時を回っていただろうか。
 彼は三時間近くあまり物も食べず、酒を飲み続けていたことになる。
 急がずゆっくり、横目に猫背を見る。センターパートの前髪がゆらりと揺れる。歩いているが目は虚ろで、たまに唇は薄く開かれ静かに呼吸していた。
 肌寒い空気は俺の目を覚まさせ、案内のために繋いだ手の熱も顕にした。
 等間隔の街灯を見ながら歩く。
 栄えている駅でもないから人通りは少ない。少し歩けばもう住宅街だ。
 雲は高く薄っすらとしか無い。眠っているマンションの屋上にある赤い光もきれいに見えた。
 風が吹いてムラサキの薄いジャケットがはたはたと腕に当たる。
 騒がしい居酒屋に雑に置かれていたそれからは、タバコの臭いも彼の匂いも喧騒すらも漂ってはこなかった。


 ゆっくりと15分ほど歩いて家に着くとムラサキをベッドに座らせ、まず水をやった。彼は落とさないように両手でコップを持つと、それを味わうかのごとく着実に飲んでいる。緩慢な動きで脱がれたジャケットを受け取り、すぐに目につくだろう椅子にかける。
 もともと眠たそうな瞼はもうほぼ開いていない。
 手からコップをどけてパソコンデスクに置き、そのままベッドに寝かせることにした。途中で吐き気がして起きるかも知れないのでゴミ箱を空けて傍に置いておく。座った際にポケットからはみ出して落ちそうになったスマホも、引き抜きコップのすぐ隣に置いた。
 横たわった彼が少し微笑んだ気がした。すぐに寝息が聞こえる。
「ふぅ」
 起きたら無理をしてまで飲むなと言ってやろう。酒に強くない彼がこれほど飲んでいた理由はわからないが良いことはない。

 他人を部屋に入れるのなんてはじめてのことだった。
 
 自分以外の気配に、少し緊張する。
 途中で起きてきたら困るし、他人がいる中で風呂に入るのもはばかられる。
 散らかっていた物を少しだけ静かに静かに片付けた。自分の家なのに物音を立てないように動く。
 一息ついてスリープモードのパソコンを起こす。ゲームを今からする気分にもなれないが、じゃあ即寝ましょうという気分でもない。
 寝床もないなと気づき、ゆっくりそっと毛布を取り出す。挟まって寝れば体も多少は痛くないだろうか。
 窓を開けて換気が終わるまでの間音楽でも聞いていよう。なんだったら朝までそのまま起きていてもいい。
 ぺたりと裸足で触れるフローリングも窓から入り込んでくる夜風も少し冷たかった。

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