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-6- ムラサキ
お気に入りを複数持っていそうな彼に"好き"を聞いた。
きっと彼も僕の友人たちと同じように熱中できる好きがあるだろうと思ってのことだった。
好きなものに対しては饒舌になる人が多く、それを聞くことで少しは仲良くなれるんじゃないかという打算。
藍染さんはスマホを手にカウンターに背を向けた。
棚に置かれたこの喫茶店からは浮いているピカピカのコンポに向かうと黙ったまま曲をかけ、何もなかったかのように新しいグラスをくれた。
――何が悪かっただろうか。
前向きな好きを聞いただけなのだが、明らかに失敗したと感じた。
彼が僕と同じように熱中するものを持たない人間だった? そうは思えない。前回出してくれたカップも、努さんと同じように"雰囲気"を見て好んでくれたところも、何かを"好き"になる人だと絶対思うのに。
流れてきたのは僕でも知っている曲で、友人でもそれを好きだといってる子はいて、何も不自然ではない。
ただ――ただ完璧に"好き"を普通のBGMとして扱う藍染さんに勝手に違和感を覚えた。
三ヶ月前、外と切り離されたこの世界に王様の如く存在していた彼が、特別な好きを雑に扱うとは思えなかった。
だけれど、ごめんなさいと謝るのも違うだろう。でも違和感を覚えてしまった以上僕もこれ好きですって乗るのもおかしい。それに特段好きなわけではないし、知っていますっていうのも……
グラスに触れた手がひんやりする。ゴクリと喉を通せば、思ったよりも辛かった。
カウンター向こうの真っ黒な瞳が光を宿し、その口の端が上がる。
思わず顔に出てしまったらしい。
「辛いっしょ」
声が笑っている。
「予想外でした」
空気が緩むのを感じる。
BGMはBGMでしかなくなった。
「それ結構好きなんだ。強くて。まさに刺激的で」
そう言うと藍染さんは小さくシンプルなグラスを用意し、同じように炭酸を注いだ。僕の手元の氷がカランと音をたてる。
「店で出してるもんじゃなくて俺用に買ってたんだけどね。店出て真っすぐ行った角にスーパーあるんだけど、そこでしか見たことなくてさ。あと通販くらいしか」
「大変刺激的です」
藍染さんは下を向き歯を見せて笑う。「そりゃよかった」と小さく漏らされた。
彼のグラスはもう空になっている。僕のグラスはきっとそのうち溶けた氷で薄まり、炭酸は飛んでしまうだろう。
彼の"好き"は、これだ。
間違いなくここに存在している。
「藍染さん、髪色変えたんですね」
ここに来てから今更な話題にカウンターチェアが90度くるりと回り、彼の顔がきちんと見えるようになる。
ぐしゃりと髪を触った。
三ヶ月前は真っ直ぐで青を含んでいた黒は消えすべては灰色に満ちている。
「グレーですよね?」
夜に傾く店内は少し薄暗い。コンビニほどの真っ白さはどこにもなく、はっきりと色を確かめられなかった。
銀というべきか灰色というべきか、人間の頭に対してそんなきっちり色分けもできないだろうから判断はつかない。
「うん」
藍染さんは目をぱっちりと開き僕を見た。
おそらく『灰色』で合っている。
「キレイな色ですね。似合ってる」
「せっかく髪伸ばしてるからそれに合うのがいいよなって思って」
まるで褒められ慣れていないかのように彼は視線をそらし少し早口で呟く。
刈り上げられていた部分は会えない三ヶ月の間に伸び、わからないように紛れていた。
「髪伸ばしてる理由あるんですか?」
せっかくと言うから。
「あーいや、ない。ないよ」
せっかくと言ったのに。ふるりと首を振られる。
こちらを向いてくれた瞳は僕から離れる。
また、失敗をしてしまったようだった。
人の好きを聞くのは楽しい。と同時に、僕は、人間というのは自分に興味を持ってほしいものだと思っている。だから好きを聞くことやそれに通じることに興味を持っていますよと示すことは、仲良くなるのに必須だし何より手っ取り早い手段だ。
だから良い関係を持続させるためにも友人たちの変化に気づくようにしたいと思っているし、彼らの好きなものを僕も好きになりたいと思っている。今のところ後者に関してはうまくいっていないが。
藍染さんにも同じようにと思ったのだけれど、僕のコミュニケーションの仕方は彼に対してはどうにもうまく嵌まらない。
嘘をついて褒めているわけでもないし、褒めた事自体が悪かったようにも感じないのだけれど、なぜか。
拒絶されているとは思わないけど――けど、だ。
なにかズレているんだろうか。途中まではうまくいっていたのに。
友人の好きなものについて聞くと熱心にそれを語ってくれる。わからないなりにそれは楽しいし、それほど魅力のあるものなんだろうと客観的に思うのだ。
でもそれはまず好きなものを教えてくれればこその話。
今のところ僕には、藍染さんは強い炭酸が好きということしか分かっていない。
髪色については照れていたし褒めることは絶対に悪くなかったはずだ。でも話を断ち切られてしまった。
言うのが恥ずかしい? だとしたらどうして?
炭酸と髪の違いはなんだろう。
「あ、藍染さん。今ね、写真を撮っていたんだけど、よかったらデータ送らせて?」
「データ?」
「そう。藍染さんの写真。いい?」
僕の入り込めない沈黙の距離など無視して入ってきた努さんに乗じて近寄り、真似してトークアプリの自分のアカウントも提示する。藍染さんは除けようともせず当然のように僕のも登録してくれた。
「これさっき撮ってた写真なんだけどね。ちょっとピントがグラスに行っちゃってるけどなかなかいい感じだと思ってさ、これSNSにあげていいかな?」
「いいすよ」
出された写真を一瞥しただけで藍染さんは軽く許可した。
写真を撮られることも人に見られることも気にしていないのだろうか。それなら他人から見える髪の話だって問題ないだろうに。
他人から見えないものは駄目ということ?
髪を伸ばす"せっかく"の理由だけが引っかかった?
彼の出してくれた好きな曲も好きな炭酸も、他人に見られることを想定しているものなのか。
「やった! あ、これね、url出すよ。ボクの作ってるブランドのSNSとか……」
努さんは眼鏡を直すとぽちぽちとデータを送りつけている。連写しているため確認に時間がかかるようだ。
「努さん僕には?」
「ムラサキも欲しいの?」
「うん」
欲しい。
「じゃあ後でね」
新しく登録された藍染さんにただ一言よろしくと送りつけると、ぽんっと変な顔のくまのスタンプが一つ返ってきた。
未だ残る炭酸はやっぱりどうにも辛かった。
刺激的で、すんなりと喉を通ってはいかないし、一度にたくさん口に含むことも出来ない。それでも口に含み喉を通す。
理解したいと思った。
刺激にブルっと体が震える。黒い瞳がそれを見ていた。
お気に入りを複数持っていそうな彼に"好き"を聞いた。
きっと彼も僕の友人たちと同じように熱中できる好きがあるだろうと思ってのことだった。
好きなものに対しては饒舌になる人が多く、それを聞くことで少しは仲良くなれるんじゃないかという打算。
藍染さんはスマホを手にカウンターに背を向けた。
棚に置かれたこの喫茶店からは浮いているピカピカのコンポに向かうと黙ったまま曲をかけ、何もなかったかのように新しいグラスをくれた。
――何が悪かっただろうか。
前向きな好きを聞いただけなのだが、明らかに失敗したと感じた。
彼が僕と同じように熱中するものを持たない人間だった? そうは思えない。前回出してくれたカップも、努さんと同じように"雰囲気"を見て好んでくれたところも、何かを"好き"になる人だと絶対思うのに。
流れてきたのは僕でも知っている曲で、友人でもそれを好きだといってる子はいて、何も不自然ではない。
ただ――ただ完璧に"好き"を普通のBGMとして扱う藍染さんに勝手に違和感を覚えた。
三ヶ月前、外と切り離されたこの世界に王様の如く存在していた彼が、特別な好きを雑に扱うとは思えなかった。
だけれど、ごめんなさいと謝るのも違うだろう。でも違和感を覚えてしまった以上僕もこれ好きですって乗るのもおかしい。それに特段好きなわけではないし、知っていますっていうのも……
グラスに触れた手がひんやりする。ゴクリと喉を通せば、思ったよりも辛かった。
カウンター向こうの真っ黒な瞳が光を宿し、その口の端が上がる。
思わず顔に出てしまったらしい。
「辛いっしょ」
声が笑っている。
「予想外でした」
空気が緩むのを感じる。
BGMはBGMでしかなくなった。
「それ結構好きなんだ。強くて。まさに刺激的で」
そう言うと藍染さんは小さくシンプルなグラスを用意し、同じように炭酸を注いだ。僕の手元の氷がカランと音をたてる。
「店で出してるもんじゃなくて俺用に買ってたんだけどね。店出て真っすぐ行った角にスーパーあるんだけど、そこでしか見たことなくてさ。あと通販くらいしか」
「大変刺激的です」
藍染さんは下を向き歯を見せて笑う。「そりゃよかった」と小さく漏らされた。
彼のグラスはもう空になっている。僕のグラスはきっとそのうち溶けた氷で薄まり、炭酸は飛んでしまうだろう。
彼の"好き"は、これだ。
間違いなくここに存在している。
「藍染さん、髪色変えたんですね」
ここに来てから今更な話題にカウンターチェアが90度くるりと回り、彼の顔がきちんと見えるようになる。
ぐしゃりと髪を触った。
三ヶ月前は真っ直ぐで青を含んでいた黒は消えすべては灰色に満ちている。
「グレーですよね?」
夜に傾く店内は少し薄暗い。コンビニほどの真っ白さはどこにもなく、はっきりと色を確かめられなかった。
銀というべきか灰色というべきか、人間の頭に対してそんなきっちり色分けもできないだろうから判断はつかない。
「うん」
藍染さんは目をぱっちりと開き僕を見た。
おそらく『灰色』で合っている。
「キレイな色ですね。似合ってる」
「せっかく髪伸ばしてるからそれに合うのがいいよなって思って」
まるで褒められ慣れていないかのように彼は視線をそらし少し早口で呟く。
刈り上げられていた部分は会えない三ヶ月の間に伸び、わからないように紛れていた。
「髪伸ばしてる理由あるんですか?」
せっかくと言うから。
「あーいや、ない。ないよ」
せっかくと言ったのに。ふるりと首を振られる。
こちらを向いてくれた瞳は僕から離れる。
また、失敗をしてしまったようだった。
人の好きを聞くのは楽しい。と同時に、僕は、人間というのは自分に興味を持ってほしいものだと思っている。だから好きを聞くことやそれに通じることに興味を持っていますよと示すことは、仲良くなるのに必須だし何より手っ取り早い手段だ。
だから良い関係を持続させるためにも友人たちの変化に気づくようにしたいと思っているし、彼らの好きなものを僕も好きになりたいと思っている。今のところ後者に関してはうまくいっていないが。
藍染さんにも同じようにと思ったのだけれど、僕のコミュニケーションの仕方は彼に対してはどうにもうまく嵌まらない。
嘘をついて褒めているわけでもないし、褒めた事自体が悪かったようにも感じないのだけれど、なぜか。
拒絶されているとは思わないけど――けど、だ。
なにかズレているんだろうか。途中まではうまくいっていたのに。
友人の好きなものについて聞くと熱心にそれを語ってくれる。わからないなりにそれは楽しいし、それほど魅力のあるものなんだろうと客観的に思うのだ。
でもそれはまず好きなものを教えてくれればこその話。
今のところ僕には、藍染さんは強い炭酸が好きということしか分かっていない。
髪色については照れていたし褒めることは絶対に悪くなかったはずだ。でも話を断ち切られてしまった。
言うのが恥ずかしい? だとしたらどうして?
炭酸と髪の違いはなんだろう。
「あ、藍染さん。今ね、写真を撮っていたんだけど、よかったらデータ送らせて?」
「データ?」
「そう。藍染さんの写真。いい?」
僕の入り込めない沈黙の距離など無視して入ってきた努さんに乗じて近寄り、真似してトークアプリの自分のアカウントも提示する。藍染さんは除けようともせず当然のように僕のも登録してくれた。
「これさっき撮ってた写真なんだけどね。ちょっとピントがグラスに行っちゃってるけどなかなかいい感じだと思ってさ、これSNSにあげていいかな?」
「いいすよ」
出された写真を一瞥しただけで藍染さんは軽く許可した。
写真を撮られることも人に見られることも気にしていないのだろうか。それなら他人から見える髪の話だって問題ないだろうに。
他人から見えないものは駄目ということ?
髪を伸ばす"せっかく"の理由だけが引っかかった?
彼の出してくれた好きな曲も好きな炭酸も、他人に見られることを想定しているものなのか。
「やった! あ、これね、url出すよ。ボクの作ってるブランドのSNSとか……」
努さんは眼鏡を直すとぽちぽちとデータを送りつけている。連写しているため確認に時間がかかるようだ。
「努さん僕には?」
「ムラサキも欲しいの?」
「うん」
欲しい。
「じゃあ後でね」
新しく登録された藍染さんにただ一言よろしくと送りつけると、ぽんっと変な顔のくまのスタンプが一つ返ってきた。
未だ残る炭酸はやっぱりどうにも辛かった。
刺激的で、すんなりと喉を通ってはいかないし、一度にたくさん口に含むことも出来ない。それでも口に含み喉を通す。
理解したいと思った。
刺激にブルっと体が震える。黒い瞳がそれを見ていた。
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