ファーストフラッシュ

紺色橙

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第三章 捨てる、捨てない

3-6

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 ケースケさんが買ってくれたコートを着る日は少なくなった。
 それでもしまうにはまだ早い。
 去年は暖かくなったと思ったら寒くなったから、まだ出しておけと言われた。
 オレの誕生日は過ぎ、19歳になった。
 去年はこの季節にケースケさんに初めて会ったのだと、ずいぶん昔のことのように思い出される。
 去年から変わらない部屋は同じように暖かく、同じように日差しを取り込んでいる。

 
 朝日堂で働き始めてから、ケースケさんがオレにスマホをくれた。
 連絡が取れたほうが良いだろうと与えられたそれで、オレはこっそりケースケさんの写真を撮った。
 ケースケさんのシフトは分かっていて、ケースケさんがオレのことを分かっている必要は無くて、入れてもらった連絡先が押されることは無かった。
 使わない電話番号をオレは何度も口に出して覚えた。
 この番号さえ覚えておけば、まだケースケさんに繋がっていられると信じた。


 ネットに繋がるようになって、色んなレシピを調べられるようになった。
 材料3つだけと書かれたお菓子のレシピ。
 これなら作れるだろうかと目を通す。
 お金がかかってしまうのは嫌だから、道具を新しく買いたくは無い。
 ケーキ型もクッキー型も絞り袋も使わないのがいい。
 家にあるものだけでどうか。

 レシピを見て材料と過程と道具を見る。
 これは作れないと消していくたびに、それだったらオレなんかが作るよりもやっぱり店長の作ったものを買ってきた方が良いという結論になってしまう。
 店長はお店をやっているプロで、オレはそうじゃない。
 オレがケースケさんにレベルを下げたものでさえやってあげたいと思うのは自分勝手な考えだ。

「雪、おーい」
「はい」
「なんかあった? 怖い顔してるけど」
 ケースケさんが喜ぶことを探したい。
 けど見つからない。
「何もないです」
 何も見つからない。

「なぁ、ケーキ屋、どう?」
 曖昧な聞き方。
「きついとかだったら、無理しないでやめろよ?」
「大丈夫です」
「お前は大丈夫しか言わねーけど、無理して倒れたら元も子もないからな」
 倒れてしまったらケースケさんに迷惑がかかる。
 店長にも依子さんにも迷惑がかかる。
「大丈夫です」
 オレは病気にかかったことがない。
 だから大丈夫。
 店長は良い人だし、仕事は大変じゃない。
 それに依子さんが色んな話をしてくれて面白い。
「雪、しんどいって言ってみて」
「え?」
「しんどい、辛い、無理って言ってみて」
 何故そんなことを言わせるのかわからないけれど、ケースケさんに言われた通り、言葉を口にする。
「しんどい。辛い。無理」
 ケースケさんは眉を少し上げて、そうそうと頷いた。
「なんかあったらちゃんと言えな」
 まるで練習。
 きっとオレはそれを口に出さなくてもやっていける。
 こうしてこの人がオレを見ててくれるから。
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