ファーストフラッシュ

紺色橙

文字の大きさ
37 / 52
第三章 捨てる、捨てない

3-10

しおりを挟む
 お菓子作りに興味があるのだと話せば、店長が本を貸してくれた。
 店にいる間にそれを眺める。
 発行年月日が随分と古い、昔のお菓子の本。中を見れば古めかしい言葉で綴られている。
 きっと今とやっていることはそう違わないだろう。
 新しい本は折り目がつけられ、店長はそれを家で作っていたんだろうと思わせた。

 もしオーブンがあったならこれを作れるかなと甘いにおいを嗅いで思う。
 店長が作る綺麗な焼き色のクッキー、ふわふわのスポンジ。
 あのデコレーションケーキのように綺麗に飾るのは無理だとしても、この土台を作れたら。
 
「図書館で借りてみたら?」
 借りた本を覗き込み依子さんが言う。
「図書館」
「もっと作りたいって思うのがあるかもよ」
 あくまでも貸してくれているのは店長の本で、店長が作りたいと思ったもの。
 だからオレが作りたいものを探してみたらどうかという提案だった。
 本を買うのは高いし借りれるならばそれが良い。
 だけど。

 荷物になってしまうな、と思った。
 店長の本は借りてもここで読むだけで持ち帰りはしない。
 図書館の本を借りたら家に持ち帰ることになる。
 あの家に物が増える。
 突然出ていかなければならなくなったときに、本を持ち出すのは大変だ。
 これは借りものだから少し待ってくださいと言えばケースケさんは待ってくれるだろうけど。

 
 ケースケさんはオレを追い出そうとしない。
 言ってくれた「ここにいてもいい」という言葉をオレは頼りにしている。
 それに甘えていたらいけないんだろうなとも思うのに、何もわからない振りをして言葉だけを飲み込んでしまいたい。

 本がなくとも荷物は増えた。
 夏服に変える頃になれば、月日が過ぎる速さを感じた。
 最初に買ってもらった冬服。
 次に買ってもらった夏服。

 連絡もせずに押しかけたオレをケースケさんは迎え入れてくれた。
 あの日、気持ち悪さが治まって周りを見る冷静さが戻った時、自然と涙が出た。
 ケースケさんは冴木さんと同じようにお世話になった人だ。
 あの時オレはそう思っていて、その顔が記憶の中でぼやけていることをひどく恥じた。
 だというのに当のケースケさんは押しかけたオレに優しくしてくれた。
 親切で優しい人という一歩離れたところからの印象が、あの時違った輪郭を明確にしたような気がする。

 明確になった輪郭にもう一度会いたくなった。
 もう一度会えばさらにもう一度。
 ケースケさんは驚きはしたが嫌な顔はしなかった。
 思えば最初から、ケースケさんにオレは甘えている。
 ゴミは捨てなければならない。だけどケースケさんは捨てなくていいと言った。
 お前にとってゴミなのかと、オレの絵に問うた。
 オレがただ描くだけの、お金にもならず何の役にも立たない絵を取っておいていいと言ってくれた。

 もし、オレが捨てたくないと思うなら捨てなくていいというのならば、オレはやっぱり――。

 首からかけた合鍵を服の下で握りしめた。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...