それは愛か本能か

紺色橙

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第一章 宮田颯の話

1-2 非現実が現実になるとき

 桃は両親を亡くし、義務教育が終わり次第働き始めたらしい。
 どうせ勉強したところで良い成績を修められるわけでもないし、何より明日生きていくのに学校なんかに行っていられなかったと、施設にいたときから考えていたという。
 父にアルファを持つ桃は、可愛い顔をしている。
 さすがアルファの血が入っているだけはあると思わせるような、一般的に整った顔。
 でも性としてオメガをもって生まれた彼は、事故で両親を亡くしても祖父母に引き取られはしなかった。
 捨てられたオメガの集められた施設には義務教育までは居られるという。
 でもそれが終われば即、追い出される。
 オメガ自体の数が少ないと言っても、捨てられる数は多い。

 桃は「寂しい」とよく口にする。
 俺と毎日のように通話したりチャットしているのも寂しいからだ。
 施設は良いところではなく、でも特段悪いところでもなかった。自分と同じようなものだけが集まっていることに慰められたと話す桃は、悲しそうな優しい顔をしている。

 俺の両親はベータだ。
 ただのクラスメイトが普通に就職して別れ、そして再び出会い結婚した。
 俺がオメガだとわかった時、きっと色んな思いがあっただろうなと想像がつく。
 他人にも言われるだろうし、親だとしても劣等種を生んだことに悲しんだだろう。
 幸い悲しまれはしたろうが恨まれるまではせず、今のところ俺は生きている。

 俺の通う学校はほぼベータ、そして少しのオメガがいる。
 アルファは一人もいない。
 当たり前だろう。優秀な人たちと同じ学校なわけもなく、俺は一度も生のアルファという人種を見たことがない。

 いま俺は高二だが、この学校を出て普通に就職できるのか怪しい。
 一年ほど前から強まってきた発情期は、自分の意思すら捨てさせようとしてくる。
 もし、俺の発情期がもっと早くに起こっていたのなら、きっと俺はこの学校にも進学していない。
 何のために生きているのだろうかと、発情期になるとよく考える。

 周期アプリで一週間前と予想される頃から薬を飲み始める。
 実際に発情期が始まれば、さらに強い薬を足す。
 ぼんやりする頭で授業を受け、あとから教師にプリントを貰う。
 きっとまともに聞いてはいられないだろうと配慮された授業内容のプリントだ。
 それはこの学校のとても良いところだと、ここを選んでくれた両親に感謝している。


***


 昼過ぎの教室。
 給食の後片付けも済んだ頃、にわかに騒がしくなった校内。
 廊下の向こうから段々と歓声のようなものが近づいてくる。
「なんかアルファが来てるらしいよ」
 前の席にどかっと座った友人の声が頭から降ってくる。
 珍しいな面白そうだなと元気な時なら見に行きもしただろうが、残念ながら三か月に一度の発情期に苦しんでいる今そんな元気はない。
「へぇ」
 クーラーの冷気を肌に感じながら、午後の授業が終わるまでの一秒一秒を数える。

 歓声が一層大きくなり、先生の声で人がどかされていく。
「お前らあんまり騒ぐな。ちょっと静かに」
 先生の注意なんか誰も聞いちゃいない。
 
「よろしくみんな。少しこのクラスで一緒に勉強させてもらうことになった」
 
 凛とした声が教室に響く。
 先生とは違う声。
 歓声が一瞬静まり、またわぁっと大きくなる。
 その声につい顔を上げた。
 顔を上げざるを得ないような、人を注目させる声だった。
「すげぇな」
「うん」
 アルファという性そのものが優秀なのだということは分かっていた。でもそれを目の当たりにしたことは無かった。
 通る声はまっすぐに教室の端まで届き、死に体の俺にも顔を上げさせた。
 誰しもが彼に注目し、その姿を、顔を、行いを見ている。
 意志の強そうな目が一人一人の顔を確認するように向けられる。
 怖い、と思った。
 俺は彼の視界に居てはいけないと、目が合った瞬間逸らす。
 まるで上から押し潰されそうで、アルファに対して圧倒的なオメガの劣等性を感じさせられた気がした。
 薬の副作用でぼんやりしていた頭は冴え、全神経が彼に向けられているのがわかる。
 見たくないのに彼を見ずにはいられない。それが怖くてぎゅっと目を閉じた。

 抑制剤を飲むのはオメガだけの話ではない。
 発情期のオメガがいるとわかれば、アルファが同じように抑制剤を飲み自分を抑えることができる。
 学校は俺がオメガだと知っている。
 その俺と同じクラスにアルファが来たということは、彼もきちんと対処ができるということだ。
 今俺は薬を飲んでいる。
 学校から伝えられているだろう彼も薬を飲んでいるに違いない。
 
「よろしく」
 頭から降って来た声は聞き馴染んだ友人のものではない。
「ぁ」
 喉が引き攣る。
「上条真也だよ。しばらく君の隣にいるね」
 よろしくと自分に向けられた声。
 まるで光でも散っているかのように眩しく見えた。
「よろしく」
 かすれた声に彼は満足そうに頷く。
「オレ日暮、よろしくー」
 友人が前から割り込むように入ってきた。
 それに少し安心する。
「あんたアルファ?」
「そうだよ」
「初めて見た」
 俺の代わりのように不躾に日暮が話す。
「君の名前を聞いてもいい?」
 存在を消したがる俺に対する優しい声色。
「み、宮田」
「宮田、何?」
「宮田颯」
「颯君だね。是非、仲良くしてほしい」
 俺は頷くことしかできなかった。

 そもそも拒否権を持つ人間はいただろうか。
 アルファが求めたことに対して拒否できる人間は、あの教室にいなかったんじゃなかろうか。
 挨拶を済ませ再び先生と共に教室を出て行った彼は、翌日からみんなと授業を受けるという。

 動悸がする。身体が熱を持つ。
 アルファのフェロモンに本能が反応する。
 
 テレビや雑誌の向こうにしかいなかった非現実のアルファという存在が現実に現れた。
 同時に、薬を飲む以外直視できていなかった自分のオメガという性が露わになる。
 自分はあれに捕食されるものなのだ。
 目が二つあり、手が二本あり、指が五本ずつあり、鼻で匂いを嗅ぎ、口から言葉を発し、その二本の足で地に立つ。
 同じなのに同じではない。
 あれがこの世界を統べるというのなら、まさに俺は地を這う獣なのだろう。
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