あしもとの金木犀

ヰ野瀬

文字の大きさ
1 / 1

あしもとの金木犀

しおりを挟む
 昔から金木犀が咲く道がある。誰かが育てているのだろう。毎年、10月過ぎになると歩くたびに強い香りが鼻腔をくすぐる。この香りが好きだ。癖になる甘さがある。それでいて優しい。いつまでも
嗅いでいたくなる香りだ。
 ここにずっと座っていたい。誰かが通るたびにスマホを傾けては画面を見ているふりをする。不自然で怪しいと思われないために、金木犀のそばに居続ける。田舎だからか、話しかけてくるのはおばちゃんとおじちゃん、たった1人の同級生の眞緒まおだけ。いいとこだ。人混みが苦手な自分にとってここは都合のいい場所。
 スマホを傾けながら目をつぶった。香りだけに意識を集中させる。この時間、幸せだと思う。たった数分こうしているだけで落ち着く。
 口の中の息を吐き出すようにふうっと声に出す。
「またこんなところにいる。小春こはるはいつもここでなにしてるの。僕は金木犀の強い香り苦手なんだよ、勘弁して」
 怠そうに猫背な背中をさらに丸めて私を睨みつけてくる。
 いつもばあちゃんに頼まれては探しにくる2つ年上の大学生。拓杜たくとは嫌々いいながらも探しに来てくれる優しい兄のような存在だ。だけど、優しいのは眞緒だけで私のことは嫌いなのか、昔から冷たい。いつも睨むようにして目を細めてくる。
「だったら探さなければいいじゃん」
「お前ほんと自己中だよな。せっかく探しに来てやったのに、なんなのその態度」
「ばあちゃんに頼まれても探しに来なくていいから」
 その場から逃げようと拓杜のいる方向とは逆に歩を進めると、腕を掴まれる。
「心配してんだろ」
 どういうものなのか、そんなのは分かりきっている。朝と夜にしか家にいないせいで昼間の動向を探られているのだ。家出をしようと体を売ろうとしたときも運悪く拓杜に捕まった。いいこちゃんになんてなれず非行に走ろうとしている私の手綱を掴んで離さない拓杜がうざい。タバコもお酒も未遂で止められるし、盗撮でもしてるんじゃないかと思うくらいタイミングがいい。恐ろしいやつだ。だから今日もしょうがなく、ここで落ち着いていた。
 髪の毛を茶髪に染めて、ピアスを片耳10個ずつ開けて濃い化粧をして繕って、悪ぶる。
「お前いい加減にしろよ。どれだけ迷惑かけたら気が済むんだよ。ばあちゃんはお前がおかしなことをするたびに心配してんだ、いい加減大人になれよ」
 拓杜の手の力が強くなる。
「……大人になるって、なんなの。わけわかんない。拓杜は痛い文章でも書いて売ってけばいいんじゃない? 私のことなんてほっといてよ。なんでいちいちばあちゃんの言うこと聞いてるわけ? 暇なの?」
「お前なぁ、ほんと」
 深い溜息を漏らし、腕を離すと思いっきり頬を平手打ちをされた。
 驚いてその場から動けずにいると、ひりひりと時間差で頬が痛み出す。同時に苛立ちが底から湧き上がってくる。
「嫌い」
「は?」
「拓杜なんか嫌い。もう構ってこないで。キモい」
「キモ……い……?」
 明らかに落ち込む拓杜を無視して逃げるようにして金木犀の香る木に身を隠した。誰にも見つからないように金木犀のたくさん生えている木と家の間に入り込む。知り合いの家だから入り込んでも何も言われることはない。気づかれてもばあちゃんにさえバレなければいい。しばらくはここで少しだけ目をつむっていよう。日差しのささない木陰、建物の汚れた壁に背中を預けて眠り込んだ。
 歯の掠れる音と虫の鳴く声が心地よく体全体を抱擁されているようだ。
「あれ、こはちゃんじゃん。こんなとこで何してんの? 汚いから服汚れちゃうよ」
 目を開けると足元がみえる。生脚にサンダル。ハーフパンツを履いた女子。眞緒だった。そういえばこの家は眞緒のじいちゃんちだ。今日はいないと思っていたのにどうしてこんなところを歩いているんだろう。
「なんでいるの」
「なんでいちゃだめなの。ここで勉強するのが好きなんだよね。こはちゃんはひとんちでなにしてるの」
「……金木犀の近くで寝てみたかったの」
「なんでそんなガキみたいなことしてんの」
「まだガキだからいいでしょ」
 起き上がり、服についた砂を払い落とす。適当な服を着ていたから汚れても大丈夫な格好だ。
「ほんといつもダサいけど、今日はいつにも増してくそダサいよ」
「うるさいなぁ。いいじゃん。どうせこんな服、着こなせるわけじゃないし」
「そういうこと言ってるんじゃないよ」
 困った顔で微笑みかけてくる彼女を無視して、また逃げるようにその場を離れた。
「なんですぐ逃げるかな……」
 小声で言ったであろう声はハッキリと聞き取り、気まずくなって走った。
 金木犀が生えている神社の御神木の裏に体育座りでしゃがみこむ。
 居場所がないここには、ただそこにある金木犀の甘い優しい香りに包まれながら死にたいと思った。目をつぶってまた眠るように深く息を吸って吐いた。もう日が暮れる。そんなものどうでもいい。人がいないのか、誰もいないおかげで気づけば朝日の光が瞼を照らした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

復讐は静かにしましょう

luna - ルーナ -
恋愛
王太子ロベルトは私に仰った。 王妃に必要なのは、健康な肉体と家柄だけだと。 王妃教育は必要以上に要らないと。では、実体験をして差し上げましょうか。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完】はしたないですけど言わせてください……ざまぁみろ!

咲貴
恋愛
招かれてもいないお茶会に現れた妹。 あぁ、貴女が着ているドレスは……。

【完結】元お義父様が謝りに来ました。 「婚約破棄にした息子を許して欲しい」って…。

BBやっこ
恋愛
婚約はお父様の親友同士の約束だった。 だから、生まれた時から婚約者だったし。成長を共にしたようなもの。仲もほどほどに良かった。そんな私達も学園に入学して、色んな人と交流する中。彼は変わったわ。 女学生と腕を組んでいたという、噂とか。婚約破棄、婚約者はにないと言っている。噂よね? けど、噂が本当ではなくても、真にうけて行動する人もいる。やり方は選べた筈なのに。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

処理中です...