あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第四部

会議の行方

 次の瞬間、会議室から音が失われた。心臓の鼓動が聞こえそうな静寂の中、イステル侯爵の口も止まった。ヴォルフ様の名を出したわね。さっきまで顔を赤くしていたイステル侯爵の顔が見る見る色を失っていった。

「なるほど。俺が王位を狙っていると、そう言いたいのか?」

 切れ味の鋭い真剣のような静寂を無遠慮に破ったのはヴォルフ様だった。腕を組んで椅子に背を預けるお姿はこの場にいるだけよりも威厳があって別格に見えるわ。

「そ、そういうわけでは……」
「だが、俺の名を出しただろう」

 今更そんなつもりはなかったなんて通じないわよ。ヴォルフ様を貶める気だったのは明らかだわ。

「そっ、それは……わ、私はただ、侯爵が王位を狙っているとの噂を聞いて……」

 イステル侯爵は蒼白になりながらもしきりに汗を流しハンカチを額に当てていた。これ以上ない失言よね。場合によっては不敬罪や扇動罪に問われてもおかしくないわ。陛下に知られたら面倒なことになりそうな予感をひしひしと感じた。

「そうか。この際だ、改めてはっきりさせよう。俺は王位になど興味はない。そのような面倒な地位など欲してはいない」

 低い声が朗々と会場に響き渡る。大きな声を出しているわけではないのに、ヴォルフ様の声はどうしてこうも通るのかしら。

「なっ! 玉座に対してそのような物言い! 不敬ではありませぬか!」
「どこがだ? 王位が欲しいというなら問題だが、要らぬと言っているのにか?」
「だ、だからそのような不遜な態度が問題だと申し上げているのです!」

 ヴォルフ様が眉間に皺を深く刻んだ。ヴォルフ様にしてみれば要らないと言っているのにどうして欲しがっていると思うのか理解し難いのでしょうね。間近で陛下やコルネリア様と接していたらご苦労が多くてそんな風には思えないのだけど、上辺の煌びやかさに目を奪われてその陰にある現実を知ろうともしない者たちはそう考えるのね。

「そもそも王太子殿下がお姿を現さないのは侯爵がそう仕向けているからではありませんか? お身の安全のため、陛下がお戻りになるまで外出や面会を制限されると聞きますが、実は既にお二人は亡き者だとの噂もございますぞ」

 イステル侯爵の剣幕にもヴォルフ様は眉を軽くしかめるだけだった。それこそ言いがかりだわ。

「待て、イステル侯爵。さすがに言葉が過ぎるぞ。相応の理由なくしてそのような発言は貴殿の立場を危うくするぞ」
「バルトリック侯爵、根拠はございます」
「ほう、どのようなものか?」
「我が息子は恐れ多くも王太子殿下の側近の一人としてお側に侍らせていただいております。しかし、先日に襲撃事件以降、面会に伺ってもお会いするどころか手紙のお返事すらもいただけない状況とか。さすれば御身に重大な何かが起こったと案じても致し方ないかと」

 恭しくイステル侯爵がバルトリック侯爵にそう告げた。確かに一理あるけれど、側近じゃなくてまだ候補よね。正式な側近になるのは卒業後だもの。

「だったら実際に会って確かめてみろ。バルドリック侯爵、そこにいるのだろう?」

 さすがにこのやり取りにうんざりされたのか、ヴォルフ様が宰相様にそう進言した。実際、今日はこのために集まったのだからさっさとお呼びするのが手っ取り早いわ。いい加減、ヴォルフ様を悪し様に言う彼らに苛々してきたし。彼らに賛同する方たちとは今後のお付き合いも考えなければいけないわね。

「左様でございますね。では、殿下をこちらに」

 バルトリック侯爵の声を受けて文官が隣の間に繋がる扉の向こうへと消えていった。程なくして護衛と侍従を従えたリカード様とハンス様が現れたわ。お二人とも心なしか表情が固いのはこのような場にまだ慣れていないせいかしら。最前列に座すヴォルフ様の姿を認めてかリカード様の表情が一層固くなったように見えた。

「おお、リカード様とハンス様、よくご無事で……」
「リカード様、お会いしとうございました!」

 イステル侯爵が感極まったような声を上げ、その息子と思われる少年がそれに続いた。よくご無事でって……それってどういう意味かしら? 重ね重ね失礼ね。

「殿下、倅が何度かお見舞いに参じましたがお会い出来ませんでした。何か不都合でもございましたか? 少々、お痩せになられたようにお見受けしますが……」
「殿下、せっかくの機会です。問題がおありのようでしたら今この場で」

 イステル親子が急くように殿下に話しかけた。宰相や五侯爵家の当主を差し置いて直接声をかけるなんて図々しいわね。そして貴族らの前で詳らかにしろと言うのね。彼らはお二人が我が家に滞在されていたことをご存じないから、王宮で軟禁されていたと思っているのかしら。そしてリカード様はなんて仰るかしら? 皆の視線がリカード様に集まる。

「皆の者、心配をかけてすまなかった」

 表情に固さは残るけれど、リカード様は堂々と口を開いた。

「レオナルドも見舞いに来てくれたそうだな。感謝する」
「いえ、当然のことにございますれば」

 令息が恭しく頭をされた。名は知っていたけれど彼が……マルレーネ様に釣書を送ってきたイステルの令息って彼だったのね。

「それで殿下。今までどうなされておいでだったのですか?」
「ああ、先日までゾルガー侯爵の元に身を隠していた」
「ゾ、ゾルガー侯爵? ど、どうして臣下の元になど……」

 イステル侯爵が目を丸くしているけれど、その言い様に悪意を感じるのは私だけかしら?

「ああ、父上のご意志でな。お陰で大変な目に遭ったよ」

 笑顔でそう答えられたリカード様だけど、それって鍛錬のことを指しているのかしら? それとも、恥ずかしい場面をマルレーネ様に見られたこと?

「大変と申しますと……まさかゾルガー侯爵が殿下方に不敬なことを?」

 イステル侯爵、どうあってもヴォルフ様を悪者にしたいようね。今後イステル領への穀物の販売は無しにしてもいいかしら。

「ああ、鍛錬に参加させられたのだが……」

 私たちに視線を向けて話し始めたリカード様だったけれど、言いかけたまま動きが止まった。どうやらマルレーネ様の姿に気づいたようね、視線がそちらに向かったままだから見なくてもわかるわ。だったら彼女に声をかけて正解だったわね。今回の件、彼女のためでもあるけれど、リカード様の行動を制限する目的もあったから。

「殿下?」

 突然言葉を失った殿下にレオナルドが訝し気に声をかけた後、視線の先を見て僅かに顔を歪めた。その変化はどういう意味かしら? なんだか気になるわね。

「な、何でもない……ああ、ゾルガー家でのことだが、中々に厳しいものだった。お陰でいい鍛錬になったよ。ゾルガーの騎士が強いのも納得だった」

 声が上ずっているわね。慌てている様子からして彼女への想いは継続中と思っていいのかしら? だったら改善の見込みもあるかもしれない。フレディも卒業前は頼りなかったけれどザーラに恋してからは別人のように変わったわ。恋は人を変える。だったら彼もまだ変わる可能性があると信じたい。

「さ、左様ですか。ですが側近の私共にまで隠されるなど……」
「王からの指示だ。身を隠すついでに鍛え直せと頼まれた」
「さ、左様でございますか……」

 レオナルドが尚も食い下がったけれどそれをはねつけたのはヴォルフ様だった。陛下の名を出されてはそれ以上何も言えないわよね。文句があるなら陛下に言えばいい。言えるものなら、だけど。

「イステル侯爵、よろしいかな?」
「は、はい」

 バルトリック侯爵にそう問われたイステル侯爵は力なく答えた。思い描いていた展開にならなくて残念そうだけど、これ以上物申すなら不敬罪や扇動罪に問われる。さすがにそこまで浅はかだとは思いたくないわ。

「そうそう、皆は案じているようだが、ゾルガー侯爵が王位に就くことはない。彼にその気があったら既に王位に就いていただろう」

 場がいったん落ち着いたところでそう告げたのはベルトラム侯爵だった。

「ベルトラム侯爵、どうゆうことですかな?」

 尋ねたのは六侯爵家最年長のロンバッハ侯爵だった。イステル侯爵はすっかり委縮してしまっているわね。

「ちょうど彼の出自が明らかになった直後、先王様が我らの前で彼に王族に戻る気はないかとお尋ねになったことがあったんだよ」
「な、何と……」
「先王様が……」

 場内にざわめきが走った。それは初耳だわ。五侯爵会議の席でってことかしら。

「だが侯爵はその気はないと一蹴した。王族に戻る気はないと。今陛下に何かあっても次代の王はリカード殿下に変わりはないし、その後にはハンス殿下やエーリック様がいらっしゃる。だから皆の懸念は的外れだ」

 ベルトラム侯爵の言葉を受けて貴族たちから騒めきが上がった。

「わかったか。俺は王座など望んではいないし、この先も未来永劫望むことはない」

 その場にいた貴族たちが静かに頭を下げた。




♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢

本日3巻が刊行されます。
書店に並ぶのは週明けになるかと思われますが(私の地元もそう)、電子版は今日から配信の予定です。

3巻まで出せるなんて思っていなかったのでとても嬉しいです(初めて出した本は売れなくて続刊出来なかったので…)
これも読んでくださり応援してくださった皆様のお陰です。
この場をお借りして心から御礼申し上げます。
4巻も出せるよう、これからも頑張ります。



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