あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
309 / 331
第四部

帰宅◆

 大型の馬車がゆっくりと王都の道を進む。車内にはアベルが控えるのみ。まだ日が高い時分は往来が多く、おのずと速度も控え目になる。王都の門から屋敷の敷地は隣接しているが、王宮の馬車乗り場から普段使う屋敷の東門まではそれなりの距離がある。目を閉じてこれからのことに思いを馳せる。

 爵位をフレディに譲る話は王によって邪魔された。ゾルガー侯爵夫人の座を望み俺に直談判したあれだったが、この話をすると意外にも乗り気になっていた。その地位が欲しかったのではないかと尋ねると、誰にも侮られない立場が欲しかったけれどもう十分だと言う。それを言葉通りに受け取っていいのだろうか。俺は心の機微とやらがよくわからない。あの言葉の中に違う思いが隠れていないか気になる。

「アベル」
「はい?」
「イルーゼは、俺が隠居しても構わないと言っていた。あれは本心だと思うか?」

 一瞬、アベルの動きが止まった。俺がそんなことを尋ねるのは意外だと思ったか? 今までこの手の質問はティオかスージーの役目だった。だが、ティオもスージーも年を取った。そろそろ後進に道を譲る頃合いだと言うようになった。だったら質問する相手も変えねばなるまい。

「奥様、ですか……どうでしょうか……」

 口元に手を当てて考え込んでしまった。相手が悪かったか? アベルはよく女心がわからないと言っていたな。マルガと喧嘩するたびに『女心がわからないんだから』と責められると。イルーゼとマルガは別人だが同じ女、考え方も似通っている部分はあるはず。

「あの奥様ですか? いや、正直、何とも……」
「わからんか?」
「はぁ……なんせ奥様は、いつも私の想像の遥か上を行かれますので……」
「そうか、すまなかった」

 どうやらアベルに聞くのは時間の無駄のようだな。マルガとは婚姻したが、未だに夫婦らしい生活には程遠いと嘆いているとブレンが言っていた。こいつらはよくわからん夫婦だ。参考にはならないか。仕方がない。本人に聞くしかなさそうだ。



「ヴォルフ様」

 玄関の扉を潜るとイルーゼの姿があった。その両手にはアンゼルとエリーゼが繋がっていた。庭に出ていたのか。

「おかえりなさいませ」
「とーしゃま、おかりなちゃませ!」
「とおさま、おかえりなさい」

 エリーゼが足にぶつかる勢いで駆けてきた。両手を上げるので望むまま軽い身を抱き上げると歓声を上げた。アンゼルはイルーゼから手を放さない。こいつは母親が好きらしい。

「戻った」
「ふふ、思ったよりもお早いお帰りでしたのね」
「ああ」

 さすがに子の前で会議の内容を話すわけにもいかないか。スージーが子どもたちに湯浴みを促すと、子らは手を繋いでその後をついていった。イルーゼと共に部屋へと向かいながら暑く重い上着を脱ぎ、首元を緩めた。正装は窮屈だ。暑くなると余計に鬱陶しい。

 執務室のいつもの席に腰を下ろす。ティオが冷たい水を満たしたグラスを出したのでそれを一気に煽った。少しだけ身体の中に籠った熱が発散された気がした。

「ヴォルフ様、お話しせねばならないことがあるのですが……」

 隣に座したイルーゼが躊躇いがちにそう声をかけてきた。

「そうか。俺もだ」

 そう告げると僅かに怪訝そうに俺を見上げたが、すぐに何かを得心したような顔をした。

「……もしかして、陛下に反対されましたか?」
「ああ。お前もか?」
「はい。ザーラが、どうしてもと……」
「そうか」

 どうやらどちらも予想通りの結果になったらしい。まぁ、すんなりと要求が通るとは思っていなかったが。

「すまない。約束を守れなかった」
「ふふっ、構いませんわ。簡単ではないことはわかっていましたから」

 困ったような笑みを浮かべたが、互いに思った通りになったということか。王や五侯爵家の当主たち、フレディとザーラの反対は予想していたから落胆はないが、これとの自由な時間は惜しく思う。

「王には三日以内に簒奪の噂への対策を考えるように言ってきた」
「三日以内ですか? それは、さすがに……」
「無理だと思うか?」
「え、ええ」
「俺もだ」

 そう言うとふっと噴き出した後、声を立てて笑った。ああ、お前は笑っている方がいい。落ち込むかと案じていたが、そうだな、お前はそういう奴だ。

「ふふっ、仕方ありませんわね」

 ひとしきり笑いが収まった後、少し呆れたようにそう言った。

「怒らないのか?」
「ええ、こうなるだろうなと思っていましたから。残念ですけれど、陛下がしっかり対策をしてくださるのであれば、もう少し様子を見てもいいかと」
「あれにどれほどのことが出来るかわからんがな」

 そう言うとまた笑いが戻ってきた。お前からも王がそう見えるのならやはり鍛えねばならんな。

「王に俺以上に優秀になれと言ってきた」
「ヴォルフ様以上にですか?」
「ああ。そうなれば簒奪されるなどと言う者もいなくなるからな」
「それは、確かにそうですけれど……」

 困ったような笑みに変わったな。あいつにそれは無理だと思っているのか。俺もそう思うが、三年……せめて五年後に賭けるしかないだろうな。俺も今までのように口を出すことは控えるが。

「またしばらく苦労を掛ける」
「ヴォルフ様と一緒にいるなら、苦労なんかじゃありませんわ」

 お前は簡単にそう言うのだな。フレディですら俺と共にいると緊張するとオリスにぼやいているというのに。

「お前に話しておくことがある」

 言いたくはないが他から耳に入るよりは俺から話しておきたい。

「どうなさいましたの?」
「ルタ国の王太女のことだ」
「王太女って……アデライデ様のお子の?」
「ああ。以前、女王から俺を娘の王配にとの話があった」
「…………え?」

 さっきまで口元に残っていた笑みが消え、目を丸くして俺を見ていた。お前の春の淡い空のような瞳に俺が映る。

「お、王配に、って……そんな、の……」
「女王の戯言だ。あの女が王の即位式でこの国に来た時、雑談の中で俺のような王配が娘に欲しいと言った」
「そ、そうですか……」

 そう言いながらもまだ笑みは戻ってこない。やはり気にしたか。俺がお前以外の女を抱くわけがないのに。

「その話はそれで終わったと思っていたが、王がルタを訪れた時、またそんなことを言ったらしい。もし俺が隠棲したら声がかかるかもしれないと。俺は断ったし、王も俺を手放す気はないが、正式に要請があれば断るのも面倒だ。だから引くのはもう少し時間が要る」
「そう、ですか……ヴォルフ様は優秀で、凛々しいですもの……他国であれば悪逆王の話も関係ありませんし……王太女様は、お淑やかで品があると……」

 俯いて何やら呟いているが、何を気にしている? 大人しい女が俺と一緒にいられるはずもないだろうに。お前のように真っ直ぐにぶつかってくる女でなければ会話もままならん。

「イルーゼ」

 名を呼ぶとハッと気づいたように俺を見た。どこか戸惑っているように見える。どうした? 何も憂いることはない。手を伸ばして頬に手を当てる。

「俺の妻はお前だけだ。第二夫人を迎えることもない。他から耳にすれば気にするかと思い俺から話した。それだけのことだ」

 話さないと余計な疑念を生むかもしれない。俺とお前との間にそんなものは不要だ。屋敷に囲って満足する女なら耳に入れなければ済むが、お前はそれを良しとせず俺と並び立ちたいと願う。だったら話さない選択肢はない。
 
「大丈夫、なのですね?」
「ああ。俺はお前以外を妻にしない。そう言ったのを忘れたか?」

 そう告げると一層目を丸くした後、顔から緊張が抜けて幼子のように笑った。俺の手を取って頬をさらに摺り寄せてきた。抱きしめようかとも思ったが、今日は汗をかいた。

「少し待て。湯を浴びてくる」
「ふふっ、わかりました。では私も」

 少し早いが今日くらいはゆっくりするのもいいか。フレディたちも気を揉んでいるだろう。

「今日は子やフレディらと夕食を取るか」
「久しぶりですわね。子どもたちも喜びますわ」

 王らとの話し合いの結果はフレディらにも伝えねばならん。だったらちょうどいいだろう。皆が集まるとお前が喜ぶ。そうやっていつも笑っていてくれ。それだけで俺も安心する。



感想 1,753

あなたにおすすめの小説

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

夫「お前は価値がない女だ。太った姿を見るだけで吐き気がする」若い彼女と再婚するから妻に出て行け!

佐藤 美奈
恋愛
華やかな舞踏会から帰宅した公爵夫人ジェシカは、幼馴染の夫ハリーから突然の宣告を受ける。 「お前は価値のない女だ。太った姿を見るだけで不快だ!」 冷酷な言葉は、長年連れ添った夫の口から発せられたとは思えないほど鋭く、ジェシカの胸に突き刺さる。 さらにハリーは、若い恋人ローラとの再婚を一方的に告げ、ジェシカに屋敷から出ていくよう迫る。 優しかった夫の変貌に、ジェシカは言葉を失い、ただ立ち尽くす。

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。

真実の愛の裏側

藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。 男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――? ※ 他サイトにも投稿しています。