あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第二部

敗北

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 ゲオルグ様が負傷すると騎士たちの動きが止まった。それだけ彼は優秀な剣士で、その彼が負けた衝撃はかなりのものだったらしい。ヴォルフ様が立ちあがると騎士たちはそれだけで数歩後退り、公爵は呆然とその様子を眺めていた。

 ヴォルフ様が人差し指を口に添える。指笛が静まり返った室内を通り抜けると、扉から騎士が物音を立てずに現れ、その姿に緊張が一気に緩むのを感じた。

「縛っておけ。怪我をした者には手当てを」
「はっ」

 恭しく首を垂れると騎士は散開して倒れ込んだ騎士たちを手際よく縛っていく。

「さすがゾルガーの騎士。手際がいいね」

 殿下が嬉しそうにその様を眺めていた。公爵側の騎士は最終的には三十ほどになっていたけれど、殆どヴォルフ様お一人で無力化してしまわれた。規格外の強さだと思っていたけれど、想像をはるかに超えていたのだと改めてその強さに心が震えた。

「忌まわしい……ゾルガーめ……」

 怨嗟の声は公爵から発せられたものだった。どうしてそこまで厭えるのかと思うほど強く深いものだった。

「残念だったね、公爵。兄上に喧嘩なんか売るからだよ。やるなら相手をちゃんと見極めないと」

 殿下が嬉しそうに公爵に話しかけた。騎士の手柄はヴォルフ様の手柄、兄を誰よりも敬愛していると自称している殿下はこの部屋で最も誇らしげな表情を浮かべていた。

「……貴様は……あの男が邪魔ではないのか?」

 暫く殿下を睨みつけていた公爵がようやく口にしたのは、殿下への問いだった。

「邪魔って、兄上が?」
「お前にとっては王位を奪うかもしれない相手だろうが」

 その問いは猜疑心という名の毒を殿下に注ぎ込むつもりだったのかもしれない。でも……

「奪ってくれるのなら全然構わないよ。私よりも兄上の方がずっと王に相応しいからね」

 王位などに興味はないと言わんばかりの殿下に公爵が目を見開いた。彼にとって王位は何を置いても手に入れたいもので、それを自ら手放すなど考えられない愚行なのかもしれないわ。そんな公爵には殿下の考えは理解出来ないでしょうね。殿下はヴォルフ様が一言よこせと仰れば喜んで譲ってしまわれそう。その光景が容易に浮かんだ。

「断る」

 殿下の言葉を否定してヴォルフ様が剣を鞘に納めてこちらに向かってきた。

「そんな面倒なものはいらん」

 ヴォルフ様は公爵を見ることすらせずに私の隣に立った。

「お怪我は?」
「問題ない。それよりもお前は……」

 そう言いながら確かめるかのように全身を見下ろされた。大きな手がかつらを外すとゲオルグ様の声が聞こえたけれど、今はそれどころじゃないわ。

「私は大丈夫です。それよりも屋敷が……!」

 ヴォルフ様がご無事なのも心配して下さったことも嬉しいけれど、王都の屋敷の方が心配だった。フレディ様やロッテ、ティオたちが……!!

「心配無用だ。襲撃の可能性はフレディに伝えてある。あの屋敷も襲撃に備えた造りになっている」

 だったら大丈夫なのかしら? 常に警戒はしていたし、公爵父子の様子からして綿密な計画を立てているとは思えないけれど……

「大丈夫だ。帰る頃には掃除も済んでいるだろう」

 そこまで言われたら信じるしかないわ。ヴォルフ様を、屋敷のみんなを。ロッテだって剣は私よりも上達しているもの。

「いいなぁ、夫人は。心配して貰えて。ね、俺も頑張ったんだよ?」

 少し肩の力が抜けたところで、誉めてと言わんばかりに殿下がヴォルフ様に話しかけた。

「何をした? イルーゼは隙を作ったがお前は見ていただけだろう?」
「え? あ~だって兄上が強いってわかってるから……それに血の繋がった双子の弟なんだよ? 少しは心配してくれても……」
「それだけ口が回るなら必要ないだろう。それよりも周りに誤解を与えるようなことを言うな」

 殿下の想いは一蹴されてしまったわ。もっとも殿下の場合、邪険にされることすら楽しんでいる節があるから気分を害してはいなさそうだけど。

「ええ~冷たいなぁ。それにさっきの言葉は本音だよ。兄上の方がずっと優秀だからね。王になれば我が国が強国になるのは間違いないよ」
「そんなことをすれば国が荒れる」
「そうかなぁ……じゃ、反対する者は粛清すればいい」
「俺を独裁者にするな」

 殿下、国と民を何だと思っていらっしゃるのですか……そう思ったけれど殿下の表情から本気ではないのは伺えた。もしかしたらわざと公爵に聞かせているのかもしれないわ。兄王に強い劣等感と反発心を持つ公爵への当てつけに。公爵を見ると秀麗な顔は血の気をなくし、今は表情どころか魂まで抜け落ちているように見えた。それくらい衝撃的だったのでしょうね。それは計画が失敗したことか、殿下とヴォルフ様の関係なのかはわからないけれど……

「公爵、残念だけどあなたの負けだ。これからどうする?」

 公爵に問いかけたのは殿下だった。もう礼儀は不要と思われたのかさっきから口調も気安いものになっている。

「忌々しい……異母姉上に似て優秀で可愛げがないくせに何かと温情を掛けたがる。虫唾が走るよ」
「誉め言葉として受け取っておきますよ」
「腹の一つも立てれば可愛げもあるものを」
「父上ッ!?」

 公爵は苦々しい表情を浮かべ嫌悪感を隠しもしなかった。王妃様にそれほど劣等感を抱いていたってことかしら。それでもこれ以上足掻く素振りを見せなかったのは意外だった。ゲオルグ様の方が往生際悪くそんな父に抗議の声を上げたけれど、公爵はそれを無視した。

「あなた方の道は二つ。一つは私や兄上への殺害未遂で極刑。我が国でもいいけれどアーレントとの関係が悪化するのは面倒だから国に強制送還の後毒杯。これが順当かな」
「失敗した以上、そうなるだろうな。むしろそれ以外の道などないと思うが?」

 力なく答えたけれど背を丸めることはしなかった。せめて王族の一員として矜持だけは捨てまいとしているように見えた。

「そうだね。でも我が国の王太子と筆頭侯爵は性格が悪いんだよ。毒でも使えるものは使う主義なんだ」

 殿下の口調が明るいけれど、言っている内容は清廉潔白さとは縁遠いものだった。いくら王族は清濁併せのむと言っても、それをわざわざ言う必要はないと思うのだけど……

「何をさせる気だ?」
「そりゃあ、我が国にとって利になることを。ね、兄上」

 殿下は嬉しそうだった。何か考えがおありなのでしょうね。我が国にとって益になる何かが。

「お前の娘をグレシウス王太子に嫁がせて関係改善に努めろ。これ以上緊張を高めるな」
「クラリッサを……だが、あの子は……」
「あの国で妃や貴族を押しのけて寵を得る器量はないだろうな。我が国が作った伝手を貸してやる。ないよりはマシだろう」
「……」

 この提案に否やとは言えないわよね。断れば家族は毒杯、妻の実家や息子の妻の実家も何かしらの罰は免れない。殿下を巻き込まなければ話は違ったでしょうけれど殿下は自ら飛び込んでこられたわ。正攻法で依頼しても断られると踏んで、最初からそのつもりで動かれていたのでしょうね。

 クラリッサ様が嫁げばアーレントとグレシウスの緊張は治まり、このあたりの政情も暫くは落ち着くはず。この上で我が国とグレシウスの王孫同士の婚姻が成れば盤石だわ。アーレントとグレシウスが結託して我が国に攻め込む可能性もないとは言えないけれど、アーレントもグレシウスも我が国とは反対側にある国と火種を抱えている。我が国との関係は良好に保っておきたいはずよ。それに、グレシウスに残っているリシェル様が築いた人脈や情報網をクラリッサ様に提供するということは、彼女の行動を監視出来ることでもある。残る障害は、クラリッサ様がこの婚姻を受け入れるかよね。でも、彼女に拒否する権利なんかないのだけど……

「お、お父様……何が、どうなっているのですか……」

 消え入りそうな声が公爵に縋りついた。父に奥の部屋へ下がれときつく命じられていたクラリッサ様が、侍女に支えながら扉から顔を出した。




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