あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第二部

初めて見る姿

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 いつもよりも少し激しく、でも気遣いを感じた交接は離れていた時間が生んだ心の隅間を埋めていった。窓一つない部屋はろうそくの灯がなければ闇一色で、手の届く場所にいても愛しい顔の輪郭すらも覚束ない。それでも熱く大きな身体といつもの香りに包まれて不安や寂しさは、安心や愛おしさへと塗り替えられていった。いっそ深くつながり合ったまま溶け合ってしまえたら寂しさなんか感じなくなるのかしら……

 疲労の限界を超えて微睡む私の髪を大きな手が繰り返し行き来する。眠りに誘うようなその動きに薄れていく意識の中、夢を見ているのだと感じた。ヴォルフ様がこんなことをするはずがないもの、だからこれは夢……目を開けたらきっと覚めてしまうわ。このまま優しい手つきを感じていたい……頬が緩むのを感じながらこのまま続いてほしいと願った。



 意識が浮上して最初に感じたのはシーツの感触だった。いい夢だったという温かい気持ちと、やっぱり夢だったのだという小さな落胆がどこからともなく訪れる。手を伸ばしてもシーツの冷たさばかりで、意識を失う前にはあった熱いほどの温もりは消えていた。お陰で思考がはっきりしたわ。ヴォルフ様はもう起きてしまわれたのね。一人残されるのはいつものことだけど、今日はいつも以上に寂しく感じた。

 私の想いはヴォルフ様には届かない。返って来ることもない。いつかはそのことで心が軋んで苦しいと感じる日が来るかもしれないけれど、唯一の妻として側にいられるわ。子が出来ない限り第二夫人は迎えないと、私以外の女性を抱かないと約束して下さった。恋愛の末での結婚ではないのだからそれ以上を求めるのは我儘でしかない。あの大きな手を独り占め出来るだけで十分幸せだわ。って……今日は妙に感傷的になっているわね、どうしたのかしら? こんなの私らしくないわ。両手で頬を叩いて気合を入れる。しっかりするのよ私!

「ロッテ、いる?」

 後ろ向きな気持ちを振り払い、気を取り直していつも側にいてくれる姉のような彼女の名を呼ぶ。今は朝? それともお昼前かしら? 今日はこれまでの報告をする予定なのだから起こしてくれると思っていたのに……

「イルーゼ様? お目覚めになりましたか」

 居間に続く扉からロッテが燭台を手に顔を出した。向こうの部屋は明るいわね。

「ええ。寝過ごしてしまったかしら? 今日は報告の話し合いをするのよね」
「はい。ですが旦那様がゆっくり休ませてやれと仰られましたので」
「ヴォルフ様が? 今はいつ頃?」
「はい。今はお昼前です。目覚められなかったらそろそろお声がけをと思っていたところでした」

 起こしてほしかったのに。でもヴォルフ様の指示ならロッテは何も言えないわね。昨夜はあんなことがあった後で今から? と思ったけれど、私も不安な時間が長かったせいかヴォルフ様の存在を強く感じたかったからそこに不満はないけれど。フレディ様にはなんて説明されたのかしら? ただ疲れているからと言って下さっているとは思うけれど。

「身なりを整えましょう。昼食はいかがいたしますか?」
「ヴォルフ様たちは?」
「特に何も伺っていないのでいつも通りかと」
「じゃ、私もそれでお願い」

 たらいの水で顔を濯いで着替えをし、髪もまとめて貰った。久しぶりのいつもの朝の支度もあんなことがあったせいか新鮮に感じるわ。終わる頃にヴォルフ様の訪れがあった。いつもの動きやすさを重視した簡素な騎士服に安堵を感じる。特に顔色も悪くないし目の下の隈もないわ。いつも通りでいるって幸せなのね。こんな日々がずっと続いて欲しい。

「よく眠れたか?」
「ええ。ヴォルフ様こそちゃんと休まれましたの?」

 シーツは冷たかったし、もしかして朝早くから起きて仕事をされていたのではないかしら? いくら体力があるとはいってもこの数日はろくに休めなかったはず。無理はしないでほしいのに。

「心配ない。無理はせん」
「そうして下さいませ。この家にも我が国にもヴォルフ様のお力が必要です。後継が育つまでは元気でいて下さいませんと」
「……そうだな」

 微妙な間は何かしら? 私の発言を一々気にされる方ではないと思うのだけど何か気に障ることを言ったかしら? そう言えば昨日も何か言いたげだったわよね。気になるわ。

「どうした?」

 そんな気持ちが顔に出ていたのか逆に尋ねられてしまった。どうしよう……尋ねてもいいのかしら? でも、私の気のせいかもしれないし……

「いえ、何でも」

 特にこれと言って気になるところもないし、こんな風に感じるのはまだ疲れが残っているせいかもしれないわね。

「……少し、いいか?」
「え? ええ」

 手を振ってロッテに下がるように促すと、そのまま手を取られて三人は座れるだろうソファに導かれ、隣り合わせで腰を下ろした。どうなさったの? 何か問題でも起きた? フリーデル公爵たちの置き土産でもあったのかしら? じっと見下ろされたけれど……昨夜も似たような状況が、あったような……

「……お前は、どうしたい?」
「え……?」

 具体的な説明もないままの問いかけに、どう答えていいのかわからなかった。咄嗟に思い付いたのはフリーデル公爵親子のことだけど、それは昨日お話した通りよね。他に何かあったかしら……

「あの、どのことについてでしょうか? それがわからないと……」
「お前は、俺を愛していると言った。命をかけていると」

 真っ直ぐに目を見てそんな風に言われた。急にどうなさったの? 確かにそう言ったけれど、改めて指摘されると恥ずかしい……それに、その件についてこんな風に聞かれたのは初めて、じゃないかしら?

「俺には筆頭侯爵としての責務がある。この家と国を支える義務と責任が」
「え、ええ。それは重々承知しておりますけれど……」
「そのためには俺個人の感情は邪魔でしかない」

 それは……そんな風にお考えだってことは理解しているわ。ヴォルフ様の肩にはゾルガー一族だけでなく多くの民の人生もかかっている。個人的な感情が国の決断に影響を与えてはいけない。私よりも公を優先することは寂しくとも仕方がないと思っているけれど……何が仰いたいの?

「だが……それが本当に正しいのか、最近、わからなくなってきた」
「ヴォルフ様!?」

 急に何を仰るの? それはこれまでのヴォルフ様を否定することになってしまうのに。

「俺は影として引き取られた時から私的な感情は捨てろと言われてきた。そうしなければ影など務まらないと、生き残れないと。実際、そのお陰でこうして生きている」

 噛みしめるような言い方は初めて聞くものだった。こんな話をされるのも。急にそんな風に言われてもどう相槌を打っていいのかわからない。言葉の続きを待つように視線を返すしか出来なかった。

「だが……それでお前が犠牲になるのは……そう思うと、心がざわつく」

 …………信じられなかった。ヴォルフ様がそんなことを仰るなんて。だってヴォルフ様はいつだってゾルガーの、国のことを最優先にしていらっしゃる。私も使用人たちも大切にして下さるけれど、大局の前では駒として躊躇わずに使う非情さも持ち合わせていて、私を犠牲にすることで家や国が救われるならそれを厭わない方だと思っていた……なのに……

「そ、れは……」

 どういう意味なの? 少しは私のことを惜しいと、駒として切り捨てるには勿体ないと思って下さるの? そう思い上がってもいいの? 祈るような、乞うような想いが身体の奥からせり上がって来るけれど、期待するなと、やめておけと制する声が頭の片隅で囁く。

「そ、そんな風に思って下さるだけで十分ですわ。私は、前にも申しました通り、想いを返していただくつもりはありませんから」

 この話はこれで終わりにしたい。終わってほしい。期待を持たせないで。そうでないと私は……私はそんなに強くないのよ。今手の中にあるささやかな幸せで満足していたいの。そうしないときっと欲が勝手に育って、いつかは醜い姿を晒してしまう、から……

「……お前が、命をかけて俺の側にいると言うのなら、俺は……」

 珍しくヴォルフ様が言葉を探しながら何かを言おうとしたその時だった。突然ヴォルフ様が覆い被さって来てソファに押し倒されたけれど、その動きは昨夜の交接前のそれとは一線を画していた。

「……ヴォルフ様!?」
「ヴィム、何をする!?」

 珍しくヴォルフ様が尖った声を上げた。




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