あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

酒盛り◆

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 屋敷に戻る頃には賑やかな大通りも人どころか猫一匹も見かけないほど静寂に包まれていた。二週間ほど前まではお祭り騒ぎだった酒場ですら闇の中だ。世界は日常に戻っていた。

 王の交代はどの国であっても危険と背中合わせだ。この機会に付け込もうとする者、何かを企もうとする者どもが一気に動き出す。それらの動きを全て把握することなど不可能だ。精々企んでも無駄だと思わせるのが精一杯。だが今のところそれは功を奏している。このまま何事もなく過ぎれと願う。

 新たな王は前向きな歓迎で迎えられた。王としてはまだ若く見栄えも悪くない。民の前では相応の威厳を持ちながらも慈悲深い為政者として振舞うくらいはやってのける。先王夫妻が先々王の二の舞を避けるために心血を注いだ結果だろう。先王の政策を引き継ぐと早くに宣言しているため現場の混乱も少なく、他国にも不安を感じさせていないはず。足を引っ張っているのは俺の存在かもしれない。王の双子の兄などという地位は厄介だ。公表しなければよかったものを。今更言っても詮無いことだが。

「お帰りなさいませ」

 屋敷に着くとティオが出迎えた。そろそろ年齢的に夜遅くまで付き合わせるのはきついだろうか。俺よりもこの家に長くいて俺を導くためにと義父が用意した忠実な僕。そろそろグレンに仕事を引き継がせる準備を始めてもいいかもしれない。

「これは?」
「王に貰った。イルーゼにだそうだ。毒見を」
「畏まりました」

 酒瓶を渡し私室に向かう。顔を見てからと思ったらまだ起きていた。一度は眠ったが目が覚めてそれから眠れないらしい。今日は疲れただろう。寝るように伝えて部屋に戻った。

 部屋に入ると湯あみの準備は終わっていた。当主なら何人も使用人の手を借りるものだが俺にはいない。人がいると無意識に警戒して落ち着かないし、多くの傷痕に不快感を持つ者もいるだろう。一人の方が気楽でいい。ゆっくり湯に浸かる。あれはもう眠っただろうか。

 湯あみを終えた頃ティオがワゴンに軽食を乗せてやってきた。酒は飲んだが食べる物は少なく腹が減った。あれはもう寝ただろうと思ったが、隣室から気配を感じる。まだ眠っていないのか? 様子を見に行くとこちらを見上げていた。眠れないというので少し付き合わせることにした。王に貰った酒を飲ませると表情をほころばせる。甘い酒を喜び気に入ったのか杯を重ねた。呑んでみたが甘すぎて胸やけしそうだ。それでもこれが喜ぶのなら取り寄せるか。

「ヴォルフ様、そのお酒は……」

 ティオが選んだのはこれの実家が作っている希少酒だ。義姉は商才があり、少ない資源を無駄にしまいと搾りかすも利用している。中々に味わい深い酒は一部の嗜好家から受けるだろう。まだ立て直すと言えるほどではないが夫妻は順調に返済しているし、失った販路も取り戻している。十年もすれば元に戻るだろう。それまで伯爵が邪魔をしないよう見張る必要はあるが。

「陛下は薄情ですわ。夫婦ですのに……」

 いつの間にか話題は王夫妻の話になっていた。今日の茶会でのあらましはマルガや護衛の報告書からも上がっている。ガーゲルンの娘が波風を立てようとしているが些細なことだ。王妃も悩みはしてもあの程度で潰れることはないが、付き合いの短いこれにはわからないか。

「ヴォルフ様も陛下の肩を持たれるのですか?」

 相槌を打っていたら何故かそんなことを言い出した。別に王の肩を持つつもりはない。夫婦のことに口出しする気がないだけだ。

「あの二人は過去があってああなっている。下手に口を出すな」

 あの二人はそれぞれの理由で拗らせている。下手に手を出せば益々拗れるだろう。触らぬ神に何とやらだ。

「それはそうですけれど……コルネリア様は悩んでいらっしゃるのに……」

 素直に同情する心根はこれのいいところだが、さてどうしたものか。

「片方の話だけ聞いてもう片方を責めるのはお門違いだ」
「それは、そうですけれど……」
「王がああなった理由は王妃にある」
「コルネリア様に?」
「最初に王を拒絶したのは王妃の方だ。だが王妃には王妃なりに事情があった」
「それって……コルネリア様には婚約者がいたこと?」
「知っているか?」
「噂くらいですが……」

 仕方がない。これが下手に口を出して引っかき回せば王が泣きついてくるかもしれない。それは面倒だ。何かあった時のためにも真実を知っておいた方がいいだろう。そう思って二人のこれまでの経緯を話した。

「そう、だったのですか……」

 王の前の婚約者の死。舞い込んできた身持ちが悪いと評判の王女との縁談。急遽国内貴族の令嬢と婚約せねばならなくなった王と、それに便乗して暗躍したミュンターの前当主。当人らの意思を無視して成された婚約と、王と王妃の間で交わされた約束。王妃の元婚約者の裏切り。どれも決していい話はなかった。あの二人も国の犠牲者とも言えるかもしれない。

「王は王妃のために約束を守ったが、反故にしたのは王妃だ。王妃のせいではなかったとはいえ、王の努力を無にしたのは王妃だ。だから王を責めるのは筋が違う」
「そう、ですね」
「二人の間のことは当人にしかわからない。愚痴は聞いても口を出すな。それが互いのためだ」
「え、ええ」

 どうやら思っていたものとかけ離れていたのだろう。驚いている。だが、原因の一端が王妃にあっても王に非がないわけでもない。互いに歩み寄ろうとしながらも要所要所で意地を張って失言を繰り返し合った。それが今へと繋がっている、それだけのことだ。

「あの程度の噂も日常茶飯事だ。目に余るようになれば王が対処している」
「陛下が?」

 上げた顔は酔っているせいか血色がよく、驚きで大きくなった目はいつもよりも幼く見えた。

「ああ。噂ですらあの二人にとっては相手の気持ちを確かめるためのものでしかない。二人とも離れる気はない。だからお前が気にする必要はない」

 俺も最初は真面目に話を聞いていた。助言など求めていないと知ってからは聞き流しているが問題は起きていない。そう告げると安心したのか間の抜けたため息をついた。

「はい。あのお二人はあれで仲がいいんですね」

 仲がいい、のかは疑問が残るが、互いを手放す気はないからそうとも言えるかもしれない。もっとも、どちらかが別の相手に目移りしたら面倒なことになるだろう。そうなっても俺には関係ない。関わらないに尽きる。

「なんだか……難しいですね」
「そうだな」

 人の感情ほどわかりにくく厄介なものはない。

「私、ヴォルフ様の妻になれて……よかったです」
「……そうか」

 急にどうした? ああ、酔ったのか。顔だけじゃなく耳まで赤くなっている。呂律も怪しくなってきたな。まぁ、この程度なら二日酔いにはならないだろうが。

「ふふっ、このお酒、甘くて美味しいです。焼き菓子も」

 花が綻んだような笑顔を浮かべて焼き菓子を口に運ぶ。夜は太るから食べないと言っているから止めるべきか。だが、楽しそうにしているのに水を差すのも憚られる。たまにはいいか。機嫌のいいこれを見ているのは悪くない。

「うふふ、ヴォルフ様ぁ~」

 上機嫌でくっ付いてくる。その様は犬か猫の子のようだ。頭を撫でてやると嬉しそうに目を閉じて身をゆだねてくる。柔らかい身体と俺好みの香油にこれの匂いが混ざり合って俺を誘う。わざとか? だったら押し倒してもいいか? だが明日は用事がある。今からでは寝る時間がなくなるか。

「ほら、水を飲め」
「お水……」

 大分呂律が回らなくなっている。酔った上に眠くなったか。眠れなくなったと言っていたな。だったらもう眠ればいい。これ以上は俺も耐えがたい。水を飲み終えたのを見届けてからベッドに運ぼうと抱き上げると驚いて抱きついていた。子どものように無防備な顔をして頬を寄せてくる。困った奴だ。今日は勘弁してやるが、俺を煽った責任は後日とってもらうぞ。

「ほら、寝るぞ」

 そっとベッドに下ろすとあどけない笑顔を向けてきた。こうも邪気がないと襲えないな。

「大好きです」

 そう言いながら抱きついてくる。全く、襲ってくれと言っているようなものだが、これにそんな自覚はないだろう。今はただ甘えたいだけだ。早く寝ろとの思いを込めて宥めるように背を叩く。これからまた一騒動あるかもしれない。今だけでも穏やかに眠れとの思いを込めて抱きしめた。




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