あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
183 / 338
第三部

侍女の懇願

しおりを挟む
 主とその客の会話に口を挟んだゲルハー夫人に私は舌打ちしたくなった。というのもこの夫人は曰く付きの人物だったからだ。

 ゲルハー前伯爵夫人クラウディア様。年相応の落ち着きと品を感じさせる穏やかな美貌を持つ彼女は、前イステル侯爵の実妹で先王様の婚約者候補の一人、そして恋人だと噂されていた方。先々王様がアーレントからの申し出を受けて王太后様を先王様の妃にされたため、その後ゲルハー伯爵に嫁がれたけれど子が出来ず、その後世継ぎを欲したゲルハー伯爵が第二夫人を迎えて二男二女を設けるとその立場は厳しいものになった。幸いにも夫人の実家を憚った伯爵は冷遇することはなかったけれど、子を産めなかった第一夫人の立場は察するに余りある。

 三年前、夫が亡くなると伯爵家は第二夫人の産んだ嫡男が後を継いだため夫人は婚家を出たけれど、実家との折り合いがよくなかったため王宮の侍女の職に就かれたという。最初は前王太后様の侍女を務めていたけれど、亡くなられた後はロジーナ様の侍女に、そして今は……

「ああ、ヴォルフ、イルーゼちゃん、紹介するわ。ゲルハー前伯爵夫人のクラウディア様よ。陛下とは古くからの知り合いで半年ほど前に専属になったの」

 王太后様からは彼女への悪感情は感じられなかった。むしろ仲のいい友人として遇しているようにも見られる。だけど、世間はただの侍女だなんて思っていない。

「侍女が主と客人の会話に口を挟むとはどういうことだ」

 明るい室内の軽やかな空気をぶった切ったのは隣に座る威圧感満載の夫だった。一瞬で空気が重く冷たいものへと変じ、季節が三月ほど戻ったような気がした。

「ヴォ、ヴォルフ……」

 負い目が多々ある息子の冷たい指摘に王太后様が顔を青褪めさせて名を呼んだけれど、空気を読んだりしないヴォルフ様は容赦なかった。

「恋人だったと言われた者を側に置いて何をするつもりだ? 譲位すれば世間の目が向かないと思ったのか?」

 ヴォルフ様の淡々とした問いが向けられた先は先王陛下だった。そう、即位式典の前後から上がった先王様に関する噂――譲位すると決まった途端に昔の恋人を呼び寄せてよろしくやっているらしい――そんな噂が王宮の内外で実しやかに囁かれていた。譲位するといっても陛下から当面は補佐をと望まれているだけに、ルタ国との関係を疑われているイステルを生家に持つゲルハー夫人の存在は貴族家の間で様々な憶測を呼んでいる。中には夫人が先王様を篭絡して操ろうとしていると言う者まで出てきている。

「ヴォルフ、クラウディア様はそんな方ではないわ。この方は……」
「その言い訳が貴族家に通じると?」
「それは……」

 王太后様はそれ以上を口に出来なかった。聡明な方だからヴォルフ様の意図を察してくださったらしい。

「代替わりした今が好機だと様々な者どもが様々な手を使って動いている。実子に余計な手間をかけさせて楽しいか?」
「ヴォルフ!」

 先王様が腰を浮かせて抗議の声をあげたけれど、それを王太后様がその手を取って制された。

「陛下……」

 王太后は左右に頭を振り、それを見た先王様は気持ちを整えるかのように二、三度息を吐くと腰を下ろした。

「……ヴォルフの言う通りだな。すまなかった……」

 先王様が深く息を吐いた。よかったわ、ヴォルフ様の思いをわかって下さって。

「そう思うのならその侍女を遠ざけろ。少なくとも王族から外せ」
「そ、そんな……」

 声をあげたのはゲルハー夫人だった。凛とした王太后様に対し、年をとってもどこか儚げな雰囲気を持つ彼女が困惑する様は庇護欲を招くわね。

「ヴォ、ヴォルフ様、私は他に行く場所が……」
「名呼びを妻以外に許した覚えはない」

 ピシャリと音がしそうな勢いでヴォルフ様が夫人の声を遮った。ヴォルフ様、そこで妻と入れる必要は……って、やだ、こんな場面なのに私ったら……

「働き口を望むなら紹介する。何なら縁談でもいい。ここを去れ」
「そ、そんな……」
「余計な詮索を既に生んでいる。それを払拭するには縁談が手っ取り早い」

 手っ取り早いって……ヴォルフ様、それで人様の人生を変えるのは……いえ、この方の場合、それが一番なのだけど。容赦がないわ。ずっとこの手の問題に忙殺されていたから気が立っていらっしゃるのかもしれないけれど……それとも、暗示が薄れているせいかしら?

「クラウディア様、今は下がってくださる?」
「ですが……」

 王太后様の要請にゲルハー夫人が異議を唱えた。見た目は儚げでも主に言い返すなんて中々に我は強いのね。

「ゲルハー夫人、決して夫人の不利になることはせぬと私が保証する。だから今は……」
「いいえ! いいえ! 私は陛下の側を離れたくありません。やっと……やっとお側に侍ることが出来るようになったのに……!」

 綺麗に結い上げた髪がほどけそうな勢いで夫人が頭を左右に振って声を荒げた。その必死な態度に先王様も王太后様も驚きの表情を露わにしていた。もしかして、ゲルハー夫人、本当に先王様のことを?

「夫人、何を言って……」
「陛下! どうかどうか! 私をお側に置いて下さいませ。私の心は昔から少しも変わっておりません! ゲルハー家に嫁いでからもお慕いするのは陛下お一人でした!!」

 思いがけない告白に陛下が一層目を丸くした。王太后様は落ち着いていらっしゃるからもしかしてご存じだったのかしら。いえ、聡い王太后様なら何かを感じていた可能性はあるわね。もしかしたらご存じの上でお側に置かれていた?

「私は家のために耐えるしか出来ませんでした。急に王太子妃候補ではなくなった私には好条件の縁談も既になく、格下のゲルハー家に嫁ぐしかなかった。でも、そこでも侮られ、子が産めないと第二夫人を迎えられて……夫が亡くなった後も婚家にも実家にも居場所はなかった。やっと心安らかに過ごせる場所を見つけたのです。どうか、どうか、このままここに置いて下さい!」

 必死に懇願しはらはらと涙を流すさまはずっと年上なのに可憐に見えたけれど、そこに慕っていると言う先王様やその妃である王太后様への配慮は見えなかった。

「お前ひとりのために国を乱しても構わないと?」
「そ、そんなつもりはありません。私は……」
「既に多くの思惑を生み、動き始めている者がいる。何か事が起きた時、その責任を負えるのか?」
「責任など……私はただ陛下のお側で……」
「それが無理だと、既に事が進み始めていると言っている」

 ヴォルフ様は夫人が泣いても懇願しても動じなかった。ただ事実だけを淡々と言葉にされるだけ。とても冷たく見えるけれど、それは先王ご夫妻や即位された陛下、更には我が国を守ることになる。ガーゲルンやイステルがルタ国のアデライデ様に何かを吹き込まれているのなら、コルネリア様を悩ませているガールゲン嬢はその手の者とも考えられなくもなく、事が進んでいると仰るのも考え過ぎとは言い難い。それに気付く人はどれだけいらっしゃるのかしら……

「へ、陛下! どうか私を見捨てないでください。私はずっと陛下だけを……」

 とうとう夫人は陛下の足元に跪いて両手で陛下の服を掴み、その膝に頬を寄せて懇願し始めた。なりふり構わぬ様子は夫人の本心からのものだと感じられるけれど、やっぱりご自身のことばかり……よね? 夫人の要求はどう大目に見ても不貞の誘いだし、それを妻の王太后様や実子のヴォルフ様がどう感じるかなんて少しも考えていないように見える。

いえ、恋すればなりふり構わなくなる心情も居場所がなくて必死になる気持ちもわからなくはないわ。私だって後先考えずにヴォルフ様の妻にしてほしいと懇願したから。だけどヴォルフ様に婚約者がいたり既婚だったりしたらそんなこと絶対に言わなかったわ。不貞なんて自らの品位を損なう真似も、相手を貶めることも出来ないもの。そんなことを思いながら、私は他の方々と共に陛下が何と答えられるのかを待った。



しおりを挟む
感想 1,598

あなたにおすすめの小説

【完結】出来の悪い王太子殿下の婚約者ですって? 私達は承諾しておりません!

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
真実の愛は策略で生まれる ~王太子殿下の婚約者なんて絶対に嫌ですわ~  勉強は出来ず、実技も酷い。顔だけしか取り柄のない一番最初に生まれた王子というだけで、王太子の地位に就いた方。王国を支える3つの公爵家の令嬢達は、他国にも名の知れた淑女であり、王太子レオポルドの婚約者候補に名を連ねた。 「絶対にお断りだわ」 「全員一緒に断りましょうよ」  ちょうど流行している物語の主人公のように演出し、道化を演じて退場していただきましょう。王家も貴族のひとつ、慣習や礼儀作法は守っていただかないと困ります。公爵令嬢3人の策略が花開く!   ハッピーエンド確定、6話完結 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、ノベルアップ+ ※2022/05/25、小説家になろう 恋愛日間20位 ※2022/05/25、カクヨム 恋愛週間27位 ※2022/05/24、小説家になろう 恋愛日間19位 ※2022/05/24、カクヨム 恋愛週間29位 ※2022/05/23、小説家になろう 恋愛日間27位  ※2022/05/21、完結(全6話) ※2022/05/21、カクヨム 恋愛週間41位 ※2022/05/20、アルファポリス HOT21位 ※2022/05/19、エブリスタ 恋愛トレンド28位

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】呪言《ことほぎ》あなたがそうおっしゃったから。

友坂 悠
恋愛
「君はまだ幼い、私は君を大事にしたいのだ」  あなたがそうおっしゃったから。  わたくしは今までお飾りの妻でがまんしてきたのに。  あなたがそうおっしゃったから。  好きでもない商会のお仕事を頑張ってこなしてきたのに。  全部全部、嘘だったというの?  そしたらわたくしはこれからどうすればいいっていうの?  子供の頃から将来の伴侶として約束された二人。  貴族らしく、外あたりが良く温厚に見えるように育ったラインハルト。  貞淑な令嬢、夫を支えるべき存在になるようにと育てられたアリーシア。  二人は両家に祝福され結婚したはず、だった。  しかし。  結婚したのはラインハルトが18になった歳、アリーシアはまだ14歳だった。  だから、彼のその言葉を疑いもせず信じたアリーシア。  それがまさか、三年後にこんなことになるなんて。  三年間白い結婚を継続した夫婦は子を残す意思が無いものと認められ、政略的な両家のしがらみや契約を破棄し離縁できる。  それがこの国の貴族の婚姻の決まりだった。  元は親同士の契約に逆らって離縁しやり直すための決まり事。  もちろん、そんな肉体的繋がりなど無くても婚姻を継続する夫婦は存在する。  いや、貴族であれば政略結婚が当たり前、愛はなくても結婚生活は続いていく。  貴族の結婚なんて所詮そんなもの。  家同士のつながりさえあれば問題ないのであれば、そこに愛なんてものがなくってもしょうがないのかも、知れない。  けれど。  まさかそんなラインハルトから離婚を言い出されるとは思ってもいなかったアリーシア。  自分は傾いた家を立て直すまでのかりそめの妻だったのか。  家業が上手くいくようになったらもう用無しなのか。  だまされていたのかと傷心のまま実家に戻る彼女を待っていたのは、まさかのラインハルトと妹マリアーナの婚約披露。  悲しみのまま心が虚になったまま領地に逃げ引き篭もるアリーシアだったが……  夫と妹に、いや、家族全てから裏切られたお飾り妻のアリーシア。  彼女が心の平穏を取り戻し幸せになるまでの物語。

某国王家の結婚事情

小夏 礼
恋愛
ある国の王家三代の結婚にまつわるお話。 侯爵令嬢のエヴァリーナは幼い頃に王太子の婚約者に決まった。 王太子との仲は悪くなく、何も問題ないと思っていた。 しかし、ある日王太子から信じられない言葉を聞くことになる……。

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

おかしくなったのは、彼女が我が家にやってきてからでした。

ましゅぺちーの
恋愛
公爵家の令嬢であるリリスは家族と婚約者に愛されて幸せの中にいた。 そんな時、リリスの父の弟夫婦が不慮の事故で亡くなり、その娘を我が家で引き取ることになった。 娘の名前はシルビア。天使のように可愛らしく愛嬌のある彼女はすぐに一家に馴染んでいった。 それに対してリリスは次第に家で孤立していき、シルビアに嫌がらせをしているとの噂までたち始めた。 婚約者もシルビアに奪われ、父からは勘当を言い渡される。 リリスは平民として第二の人生を歩み始める。 全8話。完結まで執筆済みです。 この作品は小説家になろう様にも掲載しています。

(完)親友なんて大嫌い!ーあなたは敵なの? 味方なの? (全5話)

青空一夏
恋愛
私はセント・マーガレット学園に通うアニエス・フィルム公爵令嬢。私の悩みは親友のベル・シクラメル公爵令嬢のこと。 普段はとても仲が良くて優しいのに、私のボーイフレンドをいつも横取りするわ。両親に言っても、ベルの味方ばかりする。だから私は修道院に入ってやった。これでもうベルなんかと関わらないで済むもんね。 そしたら・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風の残酷なしの恋愛物語。貴族社会でもある程度自由恋愛の許される世界です。幼い頃から婚約者を取り決める風習のない国です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。