あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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2巻

2-1

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 深みのある暗緑色を基調とした内装と重厚な調度類は、我が国の筆頭侯爵家に相応ふさわしい威厳を生み出していた。それでも、この部屋の空気を一層重々しくしているのは目の前に座して私を見つめる方の存在だと思う。
 ゾルガー侯爵家当主ヴォルフ様。国王陛下にすら言葉を飾らず諫言かんげんするこのお方は、我が国の貴族家の頂点に立ち、彼らを取りまとめている。つややかな黒髪と夏の葉のような鮮やかな緑の瞳、いかつい顔立ちと鍛えられた大柄な身体、尊大な言動から百年前に我が国を恐怖におとしいれた悪虐王の再来だとうわさされ、常に無表情・無口・不愛想と三拍子揃っている。
 そんな彼に向かい合っている私はイルーゼ。ガウス伯爵家の次女でヴォルフ様の婚約者でもある。私が婚約者になったのにはそれなりの紆余曲折うよきょくせつがあった。姉が私の婚約者を奪い、両親がそんな姉をたしなめるどころか私に我慢をいてきたのは五月ほど前のこと。そんな彼らに愛想が尽きた私はヴォルフ様に妻にしてほしいと直談判して、意外にもヴォルフ様は私の提案を受け入れてくださった。
 今日は日課となった夫人教育のためにゾルガー邸を訪れたのだけど、最初にヴォルフ様に目通りを願い出ていた。姉の件で報告することがあったからだ。
 ヴォルフ様のおいとの婚約を解消して私の元婚約者と婚約を結び直した姉だったけれど、いつの間にか五侯爵家の一翼をになうアルトナー侯爵家のクラウス様と親しくなっていた。しかも令嬢にとって最も重視される純潔を捧げただけでなく、いつの間にか麻薬を摂取させられて中毒になっていた。麻薬は所持も使用も重罪。我が家はこれで終わりかと思ったところ、ヴォルフ様のお力で病気を名目に領地で静養という名の謹慎をさせると決まり醜聞しゅうぶんを回避したばかり。領地に行くまでの間も謹慎を命じられていたのに、あの姉は僅かな隙を突いて部屋から抜け出したのだ。お陰で家出か失踪かと屋敷の中は大騒ぎになったのは昨日のこと。

「姉がお騒がせして申し訳ございませんでした」

 監視しておくように言われたにもかかわらず姉を見失った我が家。ヴォルフ様は私の護衛として我が家に人を遣っているからお耳に入っていないはずもなく、今日は一番に謝罪に訪れた。どうして私が姉の件で頭を下げなければいけないのかと思わなくもない。こういうことって親の役目ではないかしら? だけど両親も信用出来ない私はこうして自ら報告するしかなかった。

「お前が謝ることではない。気にするな」
「それでも、我が家の不始末ですから」

 私が何かしたわけじゃないし、姉の監督は家長である父の役目とはいえ、私もガウス家の一員だから無関係とは言えない。

「お前は十分にやっている。姉のことをお前が負う必要はない」

 その言葉に胸に熱いものが込み上げてくる。ああ、この方の十分の一でも家族が私をいたわってくれたら……そう思うのだけど、何故か両親も姉も面倒ごとは私が片付けるものだと思っているらしく感謝すらしてくれない。いえ、私も彼らに感謝されたくてしているわけじゃない。ただヴォルフ様にご迷惑をかけたくないからだ。
 姉が姿を消したと判明しすぐに屋敷中を捜索したところ、今は誰も近付かない庭の一角にある古くて小さな四阿あずまやで倒れているのが見つかった。ここはお祖母ばあ様が若い頃にお祖父じい様に贈られたもので、小さいながらも趣向がらされていた。可愛いものが好きな姉のお気に入りだった場所の一つで、子どもの頃の姉はいつもここで遊んでいたわ。大きくなってからは見向きもしなくなったのだけど、姉はそこで自死を試みようとしていたという。姉を探していた庭師が気付いてすぐに止めたから事なきを得て、手にかすり傷を負っただけで済んだ。知らせを聞いた私はすぐに四阿あずまやに駆けつけたけれど、姉は自室に戻された後だった。
 その後、目を覚ました姉に会いに行ったものの、会いたくないの一点張りで話が出来なかった。日を置かず領地に向かう予定だけど大丈夫なのかと不安が募る。でもヴォルフ様が領地に向かう馬車や宿を手配してくださったから延期も出来ない。

「怪我の程度は大したことがないと聞いた。予定通り領地に向かうよう、伯爵に先ほど使いを遣った」
「ありがとうございます」

 もう一度頭を下げる。私が言っても効果がないとわかってくださったのか、わざわざ家に使いを遣ったという。これで父は姉を領地に送るしかなくなるだろう。逆らえば爵位返上だと再度釘を刺されているから。

「道中に抜け出すかもしれない。護衛を増やしておく」
「重ね重ね……」
「詫びはいい。お前のせいではないと言っているだろう?」

 じっと見られると睨まれているように感じるけれど、そうじゃないと思うし、思いたいわ。この方は世間で言われているほど冷徹ではないから。いえ、自分のふところに入れた人には優しいと思う。フレディ様を見ているとそんな風に思うわ。


 屋敷に帰ると家の中は姉の出発の準備もあってざわついていた。母が同行を申し出て、私が付いていくから心配ない、予定通りに出発すると珍しく強く主張していた。姉の外聞を気にしているのだろう。医師も怪我の程度は問題ないと言っている。それもあって二日後の出発は変わらなかった。


 翌々日の朝、夜闇が白んでいく中、母と姉を乗せた紋章なしの馬車が密かに我が家の門をくぐった。共に向かうのは我が家の侍女が二人、ゾルガー家から派遣された侍女と医師見習い、我が家の護衛が二人、ゾルガー家の護衛が六人だ。二台の馬車と騎馬がひっそりと隠れるように王都を後にした。三日間の旅程は人目を避けたものになる。
 私も父と共に見送りに出たけれど、姉は私とは言葉を交わすどころか視線すらも合わせなかった。立場が逆転した今を受け入れられないのか、合わせる顔がないと恥じているのか……最後まで姉と話をする機会はなく、彼女の気持ちはわからないままだった。まだ精神的に不安定なところが気がかりだけど、こうなっては無事の到着を願うしかないわね。

「最後まで、イルーゼ様に謝罪されませんでしたね」
「そうね」

 父は早々に部屋に戻り、玄関ホールには私とロッテ、バナンだけが残った。ロッテがそう呟いたけれどバナンも同じ思いだったようで苦い笑みを浮かべていた。今は大人しく領地に向かってくれただけでおんの字だと思うことにするわ。もしかしたら最後の最後でごねるかもしれないと心配だったから。
 でも、もしそうなったら姉は生涯幽閉か、最悪毒を飲むことになったかもしれない。ヴォルフ様にはそれだけの力があり、そうと決められたら父が抵抗しても無駄だもの。そうならないために父は必死に母と姉に言い聞かせていたから、その労力が水の泡にならないことを祈りたいわ。


 日が高くなった頃、いつも通りにゾルガー邸に向かった。屋敷に到着するとすぐにヴォルフ様に目通りをお願いした。

「姉は無事に領地に向かいました」
「そうか。姉のことは心配しなくていい。同行させた医師見習いは独り立ちしてもいいくらい優秀だし、護衛にも事情じじょうを言い含めてある。何があってもすぐに対処するだろう」
「ありがとうございます」

 本当にいくらお礼を言っても足りないわ。お忙しいのに細かいところまで気にかけてくださって、やっぱりお優しい方だと思う。

「お前が全て抱え込む必要はない。それは両親や次期後継の兄の役目だ」
「ですが……」
「その調子では俺の妻になったら潰れるぞ。自分の立ち位置を見誤るな」
「……妻……」

 そんな言葉がヴォルフ様から出るとは思わなかった。こんな時なのに頬にじわじわと熱が集まってくるような気がした。もしかして心配してくださっている? 目の奥にツンとした痛みを感じた。至らないところばかりだと思っていたからその言葉が嬉しい。心の中にじんわりと温かいものが広がった。

「俺はこれから王宮に行かねばならんが、フレディが昼食を一緒にと言っていた。相手をしてやってくれ」

 そう言ってヴォルフ様は着替えるために私室に行ってしまわれた。今日は五侯爵家の会議の日だったわね。夫人教育はティオや侍女頭のスージーがになってくれるからヴォルフ様と顔を合わせるのは昼食かお茶の時間くらい。お忙しいと何日も顔を合わせないこともある。フレディ様とは昼食やお茶の時間に顔を合わせるけれど、二人になるのは久しぶりだわ。


 お昼になり、今日は風が強いからと食堂に案内された。顔を出すと既にフレディ様は席についていた。最初に姉の騒動のことを謝罪した。

「気にしなくていい。君が悪いわけじゃないだろう」

 そんな一言が嬉しい。世間は家単位で見るから私に非がなくても家族というだけで同罪扱いだけど、わかってくれる人がいると思うとそれだけで心が温かくなる。

「それで……フィリーネは、大丈夫なのか?」

 続いてかけられたのは意外にも姉を案じる言葉だった。あんなにご迷惑をおかけしたのに。

「ありがとうございます。幸い依存の度合いは大したことがないそうです。薬があれば普段と変わりなく過ごせています」

 姉が自死を試みたことは言わなかった。ヴォルフ様には報告したけれど、優しいフレディ様は気に病まれるかもしれないから。

「そうか……すまなかった。俺もちゃんと向き合っていたらこんなことには……」
「そんな! フレディ様のせいではありませんわ」

 謝罪までされるとは思わなかったわ。でもこうなったのは姉に問題があったから。姉にもう少し分別があったらこんなことにはならなかったわ。

「いや、最初に拒絶したのは俺の方だった。その……令嬢が苦手だったから……」

 フレディ様は幼い頃から令嬢に追いかけられていて苦手意識がおありだったという。そんな彼に婚約者に選ばれた姉は急にベタベタし始めたのだとか。突然の態度の変化に戸惑っていたところに、夜会で給仕を威圧的になじっている姿を見てしまい、その二面性に恐怖を感じ避けていたのだという。
 確かに姉はそういう人だったわ。家でもお気に入りの使用人以外には随分と横柄な態度だったから、フレディ様が嫌悪感を持っても仕方ない。重ねてお詫びを告げるとフレディ様は納得していないようだったけれど、そんな風に思ってくださっただけでもあの姉には過ぎたことだわ。こうなっても姉は反省しているようには見えなかったし。フレディ様はちゃんと反省して前を向いているというのに。

「そう言えば、叔父上とはどうなんだ? その、会話は出来ているのか?」
「え?」
「いや、その……叔父上は表情が変わらないしあの口調だろう? ちゃんと話が出来ているのかと気になって……」

 視線を逸らして言い難そうにしている彼をじっと見てしまった。姉のことだけでなく私のことも気遣ってくださるとは思わなかったわ。

「大丈夫ですわ。ヴォルフ様はちゃんと私の話を聞いてくださいます。私の父なんかよりもずっとです」
「……そうか」

 半信半疑の様子だけど本当にそうなのよね。あの家では誰も私の話を聞いてくれなかったわ。それを告げるとフレディ様が複雑な表情を浮かべた後で弱い笑みを向けてきた。

「叔父上は、その……子どもの頃に苦労されたせいで……心に傷を負われていて……」

 躊躇ためらいながらも私の反応を窺うように告げられた言葉に驚いた。あの超然としたヴォルフ様が心に、傷?

「……それは、一体?」

 そんな極めて個人的なことを聞いていいのかとの戸惑いよりも、信じられない思いが勝った。誰よりも強く傷つくことなどなさそうなヴォルフ様が? とてもそんな風に見えないのだけど……

「すまない、詳しいことを俺から話すのは……だが叔父上は世間で言われるような非情な方じゃない。君は……俺の両親について知っているか?」
「ええ。その……世間で言われている程度のことは」

 それはフレディ様のお父様が駆け落ちした話ね。フレディ様のお父様には学園で知り合った恋人がいたけれど、お相手は身分が低い方だったから婚姻は絶望的だったとか。お父様は当主が決められた令嬢と婚姻したものの、恋人が忘れられず駆け落ちしたと聞くわ。市井しせいで暮らしている間にフレディ様が生まれたとも。

「本来なら跡継ぎになれる立場ではなかった俺を叔父上は後継として育ててくれた。だが、俺の弱さのせいでその期待を裏切ってしまった……」

 眉間にしわを刻む姿には深い自責の念が表れていた。彼は期待に添うべく後継になろうと努力してきたのでしょうね。その努力は実を結ばなかったけれど。優しすぎたのね。私みたいに開き直れれば違ったのかもしれない。

「俺は叔父上に一生かかっても返せない恩がある。そんな俺がこんなことを言うのは図々しいかもしれないが……君には叔父上のことを誤解してほしくなくて……」

 目を泳がせて語る様子に驚いてしまったわ。もしかしてもの凄く緊張している? これを私に伝えたくて昼食に誘ったのかしら?

「そう、ですか。でも……わかりますわ」
「え?」
「フレディ様の言われたこと、私もわかります。ヴォルフ様は私の言葉をちゃんと聞いてくださる方ですから」

 そう、妻にしてほしいと押しかけた時だってヴォルフ様は私の言葉に耳を傾けてくれたわ。私なんて取るに足らない生意気な小娘でしかなかったでしょうに。あの時のことを思い出したら恥ずかしさと共に温かいものが胸を満たして頬が緩んでしまった。

「フレディ様、私は姉に比べて可愛げがないと家では放っておかれました。誰も私の話を聞いてくれませんでしたが、ヴォルフ様は初対面の時も私の話を聞いてくださいました」
「そ、そうか」
「ヴォルフ様はお優しいと私も思います。だから誠心誠意ヴォルフ様にお仕えしたいと、そう考えていますわ」

 自然と笑みが浮かんでしまったわ。この会話が凄く心地いい。後継争いのうわさもあったからお二人は不仲ではないかと心配していたけれど、実際はまったく違ったのね。

「そう言ってくれて……嬉しいよ。俺はこの家の後継には向いていない。だけど叔父上の手伝いをしていきたいと思っている。それを君にも伝えておきたかったんだ」

 ご自身が後継争いの火種になり、私が気をむことを心配されていたのね。やっぱりフレディ様も優しいわ。

「そう言っていただけると私も心強いですわ。ゾルガー家の当主には大きな責任がおありです。どうかヴォルフ様をお支えください。私からもお願い申し上げますわ」
「あ、ありがとう」

 フレディ様が張り付けたものではない笑顔を私に向けた。初めてじゃないかしら。

「よかったよ。君の子と後継争いをする気はなかったからね」
「え? あ……」

 子どもって……言われた意味を理解してなんだか恥ずかしくなってしまったわ。そんなこと考えてもいなかったけれど……確かにそうね。後継争いで兄弟や叔父甥が殺し合うことも珍しくはない。でもその心配はないと、フレディ様はそれを言いたかったのね。


   ◆ ◆ ◆


 王宮の長い廊下を進む。この辺りは王族が住まう領域で、むらがってくる貴族がいないのは面倒がなくていい。目当ての部屋の前に立つと扉を守る騎士が俺の来訪を告げた。返事を受けて騎士が扉を開く。中では俺を呼び出した当人が大きめのソファにゆったりと座っていた。

「リシェルをガーゲルン侯爵にとつがせることにしたよ」

 向かい側に腰を下ろすと王太子がそう告げた。ガーゲルン侯爵は辺境を預かる六侯爵家の一家で北の守護神と呼ばれる英傑だ。二男一女は既に成人して結婚し孫が何人もいると聞く。王都から遠く王とは古くからの友人で忠誠心も厚い。悪くないな。

「本人は了承しているのか?」
「いや、話をするのはこれからだよ。やっとガーゲルン侯爵に了承をもらったところだからね」

 ガーゲルンも面倒を抱え込みたくなかっただろうに。こんな時は我が家が引き受けるのが常だったが、あの女は俺との婚姻を望んでいる。褒美ほうびになるようなことは出来なかった。

「理由はどうする? 相応の理由がなければ納得しないだろう」
「リシェルの納得なんか不要なんだけど。でも、あるよ、理由」
「……クラウスか」
「正解」

 酒の杯を手に出した声は明るく、これからの王女の未来にそぐわないものだった。だが自業自得だろう。

「まさかクラウスが……押収した麻薬を横領して売りさばいていたとは思わなかったよ」
「全部ならすぐに気付いただろうが、一部だけだったからな」

 奴らは巧妙にも廃棄処分になった麻薬の一部をふところに入れていた。しかも少量で効く純度の高いものだけを選ぶという周到ぶり。廃棄した後だから記録にも残らず長らく発覚することはなかったが、クラウスが麻薬から手を引くと言い出して風向きが変わった。今まで甘い汁を吸っていた闇商人からすれば裏切り行為。腹を立てたそいつらの密告でこの件が明らかになった。騎士団の怠慢たいまんも問題だな。大がかりな人事異動があるだろう。これを機に我が家の者を送り込むか。

「それで、奴は?」
「地下牢で取り調べ中だよ。家名に泥を塗る弟はいらないって既に除籍届も出されてる。まだ受理していないけど。今頃は色々白状させられているんじゃないかな」

 アルトナーは弟よりも家を守る方を選んだか。当主なら当然の判断だ。王家としても五侯爵家の者が闇商人と繋がっていたなど看過出来ず、アルトナーへの心証は悪化するだろう。だがそれも弟を野放しにしていた当主の怠慢たいまんだ。
 そうは言ってもこの件を公表することは出来ない。表沙汰になれば五侯爵家どころか王家の威信も地に落ちてしまう。王女と親しい者が麻薬の密売をしていたなどと知られては余計な思惑を生むかもしれない。それは避けたいところだ。

「リシェルも馬鹿だよね。麻薬の売人をしている奴を側に置いて。その上で自分も薬を売っていたんだから」
「そうだな。しかもやり方がまずかった」
「本当にそう。それなんだよね。取り巻きにだけ売ってたなんて、そんなの疑ってくれと言っているようなものだからね」

 婦人病の薬を使って夫人らを囲い込もうとしたんだろうが、時期もやり方も悪かった。麻薬の件は表には出ていないが捜査が進めばどうしても人の口に上る。内輪だけで薬のやり取りをしていたなど何もなくても疑われるものを。それでなくてもグレシウス人の侍女を連れて帰国したことでスパイではないかと疑われていたのに。王はその迂闊うかつさに眉をひそめていた。

「リシェルが疑われる前に辺境に送るよ」
「それだと余計に疑われないか? 時期が悪すぎる」
「ああ、それは大丈夫。あの薬、国として正式に輸入することにしたんだ。夫人方の評判がいいからね。母上の母国でも流通しているらしいからいいかなって」
「そうか」

 最初から正規に輸入していれば王女の功績になったものを。

「そうしていればよかったのにね。やるなら自分が疑われそうな要素は全部排除しておかないと。あの子に権謀術数けんぼうじゅっすうは無理だったね」
「仕方ないだろう。育てた者にその頭がなかったんだ」
「お祖母ばあ様相手に厳しいね」
「事実だろうが」
「まぁ、そうなんだけどね」

 どうせなら王妃に育てさせればよかったのだ。蝶よ花よと育てられた高位貴族出の王太后よりも、王族として他国にとつぎ自分の地盤を築くだけの力を持っていた王妃の方がよほどマシだっただろうに。王太子が王太后の手に渡らなかったのは幸いだった。

「フィリーネはどう?」
「依存性は低いし大したことはない。領地に送ったからしばらくは外には出さん」
「そっか。あの子も馬鹿だよねぇ。この前ハリマンと婚約し直したばかりなのに悪い男に捕まっちゃって。やっぱりリシェルに狙われたのかなぁ」
「多分な。イルーゼは夫人教育と称して外に出なかったから標的を姉に変えたんだろう」

 向こうから仕掛けてくる可能性があったから夫人教育を理由に外に出さなかった。婚姻式が迫っているのも王女の焦りを強めたんだろう。帰国して間がなく有力な伝手つてがないから昔馴染みのクラウスを頼るしかなかった。

「はぁ、そういうところが足りないんだよなぁ」

 ため息をつきながら杯の中身をあおって表情をゆがめた。ケプラー産のワインは酸味が強いからな。

「クラウスもだけどね。避妊薬を麻薬に替えたのはいいけど、子が出来たらどうする気だったんだろうね」
「そんなことまで考えていなかったんだろう。自分はさっさと足を洗い、フィリーネを中毒にして糾弾きゅうだんする気だったんだろうな」
「その前に闇商人と縁を切れなかったのは誤算だったね」
「甘かっただけだ」

 自分の能力を過信していたし、裏社会の連中を甘く見すぎた。世間知らずだったともいうか。次男では当主にしか知らされない裏の話も知らなかったのだろう。

「クラウスも馬鹿だよねぇ。リシェルのこと、さっさと諦めておけばよかったのに」
「そうだったのか?」
「そうだったのかって……知らなかった、か……興味ないもんね、色恋沙汰は。まぁ、クラウスも必死に隠していたみたいだけどね」
「情報として仕入れておくべきだったな」

 恋情は人を動かす大きな理由になるから知っておきたいとは思うが、その感情がどんなものかはわからないし興味もない。子どもの頃からこの年まで想い続けるか……気の長いことだ。そんなにも同じ想いを持ち続けられるものなのか。だが、嫡男ならまだしも次男ではどう足掻あがいても無理な話だった。

「リシェルがグレシウスにとつぐって知ってからだよ、クラウスが変わったのは。女遊びが派手になって、悪い奴らとの付き合いも増えて」
「阿呆だな。身を律して出世していれば今頃手に入ったかもしれんのに」

 未婚の王女は無理でも、子が出来ず未亡人になった今なら許されただろうに。

「それはクラウスが一番理解しているんじゃないかな。相当後悔しただろうね。それで焦ってこのざまだよ」

 二杯目を注いだグラスを揺らしながら波紋を眺めていたが、言い終わると一気に飲み干した。こいつと奴は同じ年で学友として交流があったと聞いている。複雑な思いがあるのだろう。

「今後はどうなる?」
「う~ん、聞きたいことを聞いて、裏が取れたら毒杯だろうね」

 毒を与えて病死とすれば本人も家も名誉は守られる。それが最善だろう。俺が真相を知っているというだけでアルトナーに対しての牽制けんせいにもなる。釣書も二度と送ってこないだろう。

「幼馴染だし共に学んだ仲だからね。罪人として処刑するのは忍びないよ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ。昔は女の子みたいで可愛かったんだぞ。リシェルよりずっとドレスが似合うくらいに」

 俺にはそんな存在がいないからよくわからないが、こいつが言うのならそうなんだろう。


   ◆ ◆ ◆


 姉が無事領地に着いたとの知らせが届いたのはそれから一週間後だった。幸いにも途中で雨に遭うこともなく三日で着いたとお義姉ねえ様からの手紙にあったわ。父には兄からの手紙が届いたようだけど私はその中身は知らない。父は私がヴォルフ様と通じていると警戒してか尋ねても何も教えてくれなかった。
 でも……父の抵抗は無駄なのに。姉にはヴォルフ様の命令で侍女や医師見習い、護衛がついているのよ。私が知らなくても情報はヴォルフ様に伝わっている。この人が当主で大丈夫なのかしらと思ってしまうわ。
 いつも通りゾルガー邸を訪れた私は、姉たちが無事に領地に着いたことをヴォルフ様に伝えてくださるようティオにお願いした。既にヴォルフ様はご存じでしょうからわざわざ仕事の手を止めさせてまで報告することじゃないもの。それでも伝えるのは隠し事をしないとの意思を表すため。

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