戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第二部

口論

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 手当はおじ様がしてくれて、ギルベルト殿は直ぐ側で腕を組んで黙って見ていた。誰も何も言わなくて沈黙が重い……カミルさんがここにいてくれたらいいのに。間が悪いことに今は街に出ているのよね。今すぐ戻って来てくれないかしら……

 火傷は大したことがないと思ったけれど、水ぶくれが出来るかもしれないと言われてしまったわ。それでも火傷の薬が作ってあったからよかった。いくらおじ様がいてもいざ調合しようとなると時間がかかるから。おじ様の向こうでは彼が険しい表情でこちらを見ている。その圧がピリピリと肌を刺すよう。さすがは辺境の悪魔と恐れられただけのことはあるけど……何だって言うのよ……

「さ、暫くは無理に使わないでくださいね」
「……ありがとうございます」

 手当てが終わってしまったわ。気まずい……この圧の中、一度失った勢いを取り戻すのは容易ではないわ……

「おじ様、ごめんなさい。せっかくすり潰したのに……」

 苦し紛れに出てきたのは謝罪の言葉だった。だけど本当に申し訳ないと思っている。だってあの岩のように固い乾燥したエンゼをすり潰すの、本当に大変だったのだから……

「いえ、まだありますから。気にしないでください」
「だけど……」
「力仕事でしたらカミル様たちにお願いすることも出来ますから。それよりも……」

 そう言うとおじ様は視線で背後にいるギルベルト殿を示した。うう、やっぱり話をしなきゃいけないのね。いえ、文句を言ってやろうと思ってここまで来たのだけど。

「おい、質問に答えろ」
「……何でしょう?」

 ダーミッシュ家にはお世話になっているし、その四男の彼に逆らうのもままならない。だけど……理不尽なことを言うのならダーミッシュを出ることも考えるべきかしら。

「どうして出てきた? ダーミッシュで大人しくしていろと言ったよな?」

 有無を言わせない圧を感じるけれど、その言い方にカチンときた。そりゃあ、大人しく待っていてほしいとは言われたけれど、その縁を切ったのはそちらじゃない。

「命令される謂れはございませんが」
「は?」
「もう婚約者ではありませんから、命令される理由はないと申し上げております。一方的に走り書き一つでそうしたのはどなたでしょう?」

 思いっきり厭味ったらしく言ってやると、何かを言おうとしたけれど、表情を歪めて口を噤んだ。

「ここに来たのは仕事だからです」
「仕事?」
「はい。メーネルの解毒剤を私の師が研究していたので、それを調べに来ました。この件は火急のものでブラッツ様もご存じです」
「どういうことだよ……」

 彼の疑問に答えたのはおじ様だった。私では冷静に話せそうにないからありがたかったわ。一方で彼はこの件を全く知らず、酷く驚いていた。王家がそこまでするとは思わなかったのかもしれないし、別の理由からかもしれないけれど。

「……そんなことが……」
「幸い解毒剤は手に入りました。我々は次の便で帰郷する予定です」
「そう、か……」

 そうだったの? 薬草を手に入れるために春まで残りたいと言っていたのに。

「早く戻れ。そして向こうでいい相手を見つけて幸せになってくれ」

 さっきまでの威勢はどこに行ったのか、その声は酷く弱々しいものに聞こえたけれど……その言葉に冷め始めていた怒りが再燃した。

「余計なお世話です」
「……は?」
「結婚しませんから。というよりも出来ませんので」
「な、にを言って……」

 本当にわからないの? こんな朴念仁だとは思わなかったわ。それに……自分はいいわよね。あんなに愛らしくて権力者のご息女と婚約しているのだから将来は安泰でしょうし。そう思ったらこのまま引き下がってあのご令嬢と幸せにさせるものかとの思いが湧き上がった。

「他の男の名と印を彫った女を望む奇特な男性がいると?」

 そう言って服を捲って腕に彫られた刺青を晒した。そこには彼と全く同じ印と共に彼の名が飾り文字で彫られている。ダーミッシュでは名を彫るのは自分か配偶者に限り、配偶者の名を彫った者が再婚するのは稀だと聞く。つまりこれを彫った時点で私が彼以外の男性と結婚するのは絶望的。それを目にした彼が息を呑んだ。精々罪悪感で苦しめばいいのよ。誰がなんと言おうと結婚なんかするもんですか。何も言えなくなった彼と睨み合う。もっとも彼はさっきまでの威勢はどこへやら、完全に困惑している。ああ、そういえば……

「ああ、それとご婚約おめでとうございます」
「……あ?」

 笑顔でそう言うと苦しそうな表情に困惑が混じって、結果的に呆けた表情に変わった。私の性格が悪いわよね。だけど過酷な戦場で過ごしたから可愛いお嬢さんなんかじゃいられなかったわ。

「何を、言って……」
「何をって、それこそなんですか? 相手のご令嬢に失礼じゃありませんか」

 ここまで不誠実な人だったかしら? 私ってよっぽど男性を見る目がなかったのね。やっぱり結婚はしない方が平穏に暮らせそう。

「待ってって。誰が、誰と婚約したって?」
「あなた様と……ここの総督のご令嬢ですわ」
「はぁあ? お前、あの噂を信じたのか? だからさっきから……」
「ちょ! 痛い!」

 さっきからずっとあった距離が一気に詰められて両方の二の腕を掴まれた。痛いというと慌ててすまねぇと謝ったけれど放してはくれない。

「放してください」
「話を聞いて納得してからだ」
「話すことなんて……」
「いいから聞けって!」

 有無を言わせない剣幕に呑まれてそれ以上抵抗出来なかった。というか、何を言うのか興味が沸いたのが一番かもしれない。噂って……じゃ、あの令嬢が言っていたのは……僅かに期待している自分が情けない……

「俺はあの令嬢と、いや、お前さん以外の誰とも結婚する気はねぇ!」
「う、嘘つき!」
「嘘じゃねぇ! 総督には直接断って了承ももらっている。あの娘が一人で吹聴しているだけだ」

 じゃ、あのご令嬢が一人でその気になっているだけってこと? 

「そう、なの? で、でも、私との婚約は一方的に破棄したじゃない!」
「あれは……その方がお前さんのためだと思ったからだ。ザウアーに行けばいつ帰れるかわからねぇ。生きて帰る保証もない。それよりはと……」
「だからって話もせずに一方的過ぎるわ」
「だけど、俺はエーデルに縛られて動けねぇし、治安が悪化しているのにお前さんを呼び出すわけにはいかなかった。話をするのは無理だと思ったんだ……」

 


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